夜道で襲われかけたのに「じゃれてる」と見捨てられた!警察不信に怒り爆発

SNS

夜道で危険な目に遭いかけたのに、通りかかったお巡りさんが「じゃれてるだけかと思った」と見過ごした――。そんな、かすおじさん(@yaneuraromance)さんの体験談がSNSで話題になりました。これを聞いた人々からは、「世も末」「お巡りさん、頼りにならん!」といった怒りの声や、「どうでもいい時には話しかけてくるくせに」という皮肉、そして「じゃれてるように見えても、念のため声をかけるのが警察の仕事じゃないの?」という疑問が噴出。この出来事は、多くの人が経験してきたであろう「警察の対応って、なんだかモヤモヤするんだよな…」という感覚を、ズバッと的確に表していたのでしょう。

そもそも、なぜこんなことが起きてしまうのでしょうか?単に、そのお巡りさんがたまたま、という一例で片付けてしまっては、あまりにも現実から目を背けていることになります。そこには、心理学的な側面、経済学的な視点、そして統計的なデータから見える、もっと深い構造が隠されているはずなんです。今回は、この「お巡りさん、なんで見て見ぬふり?」という疑問を、科学的なレンズを通して徹底的に掘り下げていきましょう。もしかしたら、この話を聞いたあなたは、これまでとは少し違った視点で、警察との関わり方や、いざという時の身の守り方について考え始めるかもしれませんよ。

■「じゃれている」の裏に潜む認知の歪み:心理学が解き明かす「見えない危険」

まず、お巡りさんが「じゃれていると思った」という判断の背景にある心理学的なメカニズムを見ていきましょう。これは、人間の認知バイアス、つまり「物事を判断する際に無意識に陥りやすい思考のクセ」が関係していると考えられます。

代表的なものに、「確証バイアス」があります。これは、自分が一度持った考えや仮説を裏付ける情報ばかりを集め、それに反する情報を無視したり軽視したりする傾向のことです。もし、そのお巡りさんが「夜道でのトラブルは、酔っ払いの喧嘩か、若者の悪ふざけがほとんどだ」といった、ある種の「固定観念」を持っていたとしましょう。そうすると、目の前で起きている状況が、たとえかすおじさんさんの訴えるような「襲われそう」な状況であったとしても、その固定観念に合致する「じゃれている」という解釈を優先してしまう可能性が高いのです。

さらに、「利用可能性ヒューリスティック」というのも関係しているかもしれません。これは、ある事柄について判断する際に、頭の中に思い浮かべやすい事例や情報に基づいて、その頻度や重要度を判断してしまう傾向です。もし、そのお巡りさんが、過去に「じゃれている」と判断して特に問題にならなかった経験が何度かあったとします。すると、今回の状況も、直感的に「あの時と同じだろう」と、無意識のうちに容易に思い浮かべられる「じゃれている」という解釈を選んでしまうのです。

また、人間の「正常性バイアス」も無視できません。これは、災害や事故など、自分にとって脅威となるような事態に直面したときに、「自分には関係ない」「これは一時的なものだ」「きっと大丈夫だ」と、事態の深刻さを過小評価してしまう傾向です。お巡りさんという立場であっても、人間である以上、この正常性バイアスから完全に逃れることは難しいでしょう。目の前で起きていることが、自身の職務規定や想定される事態から外れている場合、「まさか、そんなことになっているはずはない」と、無意識に危険を矮小化してしまう心理が働くことも考えられます。

これらの心理的なメカニズムを考えると、お巡りさんの「じゃれていると思った」という判断は、悪意からではなく、人間の認知の仕組み、そして「安全であるはずだ」という無意識の思い込みによって引き起こされた可能性が示唆されます。しかし、その「認知の歪み」が、結果として被害者の安全を脅かすことになりかねない、という点が非常に問題なのです。

■「コスト」と「ベネフィット」の天秤:経済学が読み解く警察の対応

次に、経済学的な視点から、警察官の判断プロセスを考えてみましょう。「経済学」と聞くと、株や投資を思い浮かべるかもしれませんが、ここでは「希少な資源(時間、労力、情報など)を、どのように効率的に配分するか」という、より広い意味での経済学の考え方を使います。

警察官という職業は、税金で成り立っており、市民の安全を守るという「公共サービス」を提供しています。この公共サービスを提供する上で、警察官は常に「コスト」と「ベネフィット」を比較検討しながら、行動を選択していると考えることができます。

ここでいう「コスト」とは、物理的な労力、時間、精神的な負担、さらには「間違った判断をしたことによる責任」なども含まれます。一方、「ベネフィット」とは、市民の安全を守る、事件を解決する、という本来の職務を遂行することによる「社会的な利益」や、自身の「職務遂行の成功」などが考えられます。

もし、お巡りさんが「襲われている」と判断した場合、その後の対応には相当なコストがかかります。犯人の確保、事情聴取、証拠収集、書類作成など、多くの手間と時間を要します。さらに、もし誤って一般市民を犯人と間違えて逮捕したり、不当な介入をしてしまったりした場合、その責任問題は非常に重くのしかかってきます。

一方で、「じゃれている」と判断した場合、その場での対応コストは格段に低くなります。「まあ、大丈夫だろう」と見過ごせば、その場での物理的な労力や時間の消費は最小限で済みます。たとえ後で「なぜ見過ごしたんだ!」と批判されたとしても、その「じゃれている」という判断の根拠を示せば、一定の免責が期待できるかもしれません(もちろん、それが真実であればですが)。

つまり、お巡りさんの無意識の判断には、「襲われている」と判断した場合に生じる「潜在的なコスト」と、それが「単なるじゃれている状況」だった場合に生じる「対応コストの低さ」との比較が働いている可能性があります。彼らは、限られた情報の中で、最も「コストがかからずに、かつ、一定の免責が得られる可能性のある」選択肢を選ぼうとする、一種の「限定合理性」の中で行動しているのかもしれません。

これは、非常に冷たい見方に聞こえるかもしれませんが、人間が意思決定をする際の現実的な側面を捉えています。特に、日常的に多くの事案に対応する警察官にとって、一つ一つの事案に全力で対応するというのは、リソース的に不可能な場合もあります。だからこそ、彼らは「優先順位」をつけ、ある程度の「リスク」を許容しながら、限られたリソースを配分せざるを得ないのです。

この経済学的な視点から見ると、かすおじさんさんの体験談は、警察官が「リスク回避」と「コスト最小化」を優先した結果、生じてしまった悲劇と言えるかもしれません。市民の安全という「ベネフィット」よりも、自身の「コスト」や「責任」を回避する行動が、優先されてしまった。これは、公共サービスを提供する組織として、根本的な課題を抱えていることを示唆しています。

■「じゃれている」の確率:統計データが語る「見過ごされた危険」

さて、心理学や経済学的な側面を見てきましたが、では、実際に「夜道で襲われそうになっている」状況と、「じゃれている」状況は、統計的にどれくらいの確率で発生するのでしょうか?そして、その判断の誤りがどれほどのリスクを伴うのか。

警察庁の発表する「犯罪情勢」に関する統計データを見てみると、夜間における路上での犯罪(強盗、傷害、暴徒など)の発生件数は、決してゼロではありません。もちろん、これらの犯罪の多くは、昼間や他の場所でも発生していますが、夜道、特に人通りの少ない場所での危険性は、統計的にも無視できないレベルです。

一方、「若者がじゃれている」という状況は、夜間でも発生しうるでしょう。しかし、それらが「襲われそうになっている」状況と混同される、あるいは、その境界線が曖昧になるという事態は、統計的には稀なケースであるはずです。もし、そのお巡りさんが「夜道で襲われそうになっている」状況と「じゃれている」状況の発生確率を、正確に(あるいは、ある程度正確に)比較検討できていれば、判断は変わっていたはずです。

ここで問題となるのが、統計的な「ベースレート無視」です。これは、ある事象の起こりやすさを示す一般的な確率(ベースレート)を無視して、個別の情報や印象に頼って判断してしまう傾向のことです。お巡りさんは、目の前で「じゃれているように見える」という個別の情報に強く影響され、夜道で襲われそうになっているという、より確率的に起こりうる(あるいは、起こりうるべき)危険性を見落としてしまったのかもしれません。

さらに、警察官の「訓練」や「意識」のあり方についても、統計的な視点から考察できます。もし、警察官の訓練において、「見過ごされた危険」による被害の事例が十分に共有されていなかったり、「じゃれている」と安易に判断することのリスクについて、具体的なデータに基づいた教育が行われていなかったりすれば、同様の判断ミスは繰り返されるでしょう。

例えば、過去に「じゃれていると見過ごした結果、重大な事件に発展した」という事例が、組織内でどれだけ分析され、教訓として共有されているか。そして、そういった事例が、どれくらいの頻度で、警察官の判断に影響を与えているのか。これらの「見えない統計」が、現場の対応を左右している可能性があります。

この「じゃれている」と判断された状況が、実際には「襲われそうになっている」状況であった場合、その「見過ごされた危険」による被害は、計り知れないものになります。被害者が負う身体的・精神的なダメージ、そして社会的な信用失墜。これらを、統計的な確率論で考えた場合、お巡りさんの「じゃれていると思った」という判断は、あまりにも低すぎるリスク評価であったと言わざるを得ません。

■「ボディカメラ」と「110番」:科学的根拠に基づいた対策の有効性

では、このような警察の対応の悪さを改善し、市民の安全を守るために、どのような対策が考えられるのでしょうか?SNSでの議論にもあったように、「ボディカメラの導入」や「110番通報の活用」は、科学的な観点からも有効性が期待できます。

まず、ボディカメラの導入についてです。これは、単に「警察官の不正行為を防ぐ」という目的だけでなく、「客観的な記録を残す」という点で、非常に重要です。心理学的な観点からは、「監視されている」という意識が、人間の行動をより慎重にさせ、不適切な行動を抑制する効果(ホーソン効果のようなもの)が期待できます。お巡りさんは、常にボディカメラに記録されているという意識を持つことで、より冷静かつ客観的に状況を判断しようとするでしょう。

経済学的な観点からは、ボディカメラの導入・維持にはコストがかかります。しかし、それによって「見過ごされた危険」による被害を防ぎ、結果として医療費や損害賠償といった、より大きな社会的コストを削減できる可能性があります。つまり、初期投資はかかっても、長期的に見れば「費用対効果」の高い対策と言えるかもしれません。

また、ボディカメラは、万が一、かすおじさんさんのように「じゃれていると思った」という誤った判断がなされた場合でも、その判断プロセスを記録として残します。これにより、後からその判断が妥当であったのか、あるいは、どのような認知バイアスやヒューリスティックが働いたのかを分析することが可能になります。これは、組織的な改善につながる貴重なデータとなり得ます。

次に、110番通報の活用についてです。SNSでの情報では、「じゃれているだけ」と対応された場合でも、その旨を110番通報することで記録が残り、今後の対応が変わる可能性があるとのこと。これは、非常に巧妙な、かつ、効果的な対策だと考えられます。

心理学的には、人間は「記録に残る」ということを意識すると、より慎重な行動をとる傾向があります。警察官も、110番通報という「公式な記録」が残ることを意識すれば、「じゃれている」という安易な判断を避け、より丁寧な対応をせざるを得なくなるでしょう。

経済学的には、110番通報は、市民が「サービスを要求する」ためのチャネルです。もし、現場での対応に不満がある場合、それを「公式な記録」として残すことは、サービス提供者(警察)に対して、改善を促すための「シグナル」となります。このシグナルが多ければ多いほど、組織は対応の改善を迫られることになるでしょう。

さらに、被害届の提出を渋られた場合にも110番通報が有効であるという情報は、警察組織の「窓口対応」における問題点を浮き彫りにしています。警察官一人ひとりの判断だけでなく、組織全体として、市民からの訴えにどのように対応するべきか、という「インセンティブ構造」に問題がある可能性が示唆されます。110番通報という「公的な記録」を残すことで、組織的な隠蔽や怠慢を防ぎ、適切な対応を促す効果が期待できます。

AndroidのGalaxy S10+における緊急通報機能など、緊急時にすぐに110番できない状況への備えも重要です。これは、テクノロジーを活用して、市民が自らの身を守るための「情報収集・伝達手段」を確保するという、現代社会における当然の対策と言えます。

これらの対策は、単なる「経験則」や「希望的観測」に基づいたものではなく、心理学、経済学、そして統計学といった科学的な知見に基づいて、その有効性が裏付けられるものです。ボディカメラは行動変容を促し、110番通報は記録を残すことで責任を明確にし、テクノロジーは情報伝達の手段を多様化させる。これらを組み合わせることで、市民はより安心して暮らせる社会、そして警察はより信頼される組織へと、一歩ずつ近づいていくことができるはずです。

■「じゃれている」という言葉の呪縛を解き放て:市民ができること、そして未来への提言

ここまで、かすおじさんさんの体験談を起点に、心理学、経済学、統計学といった科学的見地から、警察の対応の背景にあるメカニズムや、改善策について深く掘り下げてきました。しかし、この問題は、単に警察だけの責任で片付けられるものではありません。私たち市民一人ひとりにも、できること、そして考えるべきことがあります。

まず、私たちが「じゃれている」という言葉や、それに類する安易な判断を、どれだけ日常的に無意識に使っているかを自覚することです。相手の状況や文脈を十分に理解せず、表面的な情報だけで「どうせ大丈夫だろう」と判断してしまうことは、私たち自身も陥りやすい認知バイアスです。かすおじさんさんの体験は、私たち自身が、他者の状況を深く理解しようとする姿勢、そして「もしかしたら、それは危険な状況かもしれない」と、常に一歩立ち止まって考えることの重要性を示唆しています。

そして、いざという時に、どのように行動すべきかを、日頃からシミュレーションしておくことも大切です。先ほどの110番通報の活用法や、スマートフォンの緊急通報機能についても、いざという時に慌てないように、事前に使い方を確認しておきましょう。

さらに、SNSでの議論に積極的に参加し、同様の体験談を共有することも、問題提起につながります。多くの声が集まることで、警察組織も、市民からの信頼回復のために、対応の改善を迫られることになるでしょう。これは、民主主義社会における、市民が声を上げることの力を示す具体例と言えます。

未来に向けて、警察組織に期待したいのは、現場の警察官が、より科学的な根拠に基づいた判断ができるような、継続的な研修や教育の機会を設けることです。心理学的な認知バイアスや、経済学的な意思決定プロセスに関する知識は、現場での判断ミスを減らし、より的確な対応につながるはずです。また、ボディカメラの導入だけでなく、そこから得られるデータを、単なる監視ツールとしてではなく、組織の改善に活かすための仕組みづくりも重要です。

「じゃれていると思った」という言葉に隠された、人間の認知の脆さ、組織の構造的な問題、そして統計的なリスク評価の重要性。これらを理解することで、私たちは、より安全で、より信頼できる社会を築いていくための、具体的な一歩を踏み出すことができるはずです。かすおじさんさんの体験談は、私たちに、単なる怒りや不満で終わらせるのではなく、科学的な視点から問題を捉え、解決策を模索するきっかけを与えてくれたと言えるでしょう。この機会に、ぜひあなたも、身近な出来事に対して、科学的なレンズを通して、深く考察してみてはいかがでしょうか?きっと、これまで見えなかった新しい発見があるはずですよ。

タイトルとURLをコピーしました