〜親戚の集まりにて〜
親戚「どこの大学なの?」私「知名度低すぎるんで分からないと思います。調布の理系の大学ですね。」
親戚「おばさん大学には詳しいから分かるよ笑」
私「電気通信大学です、、、」
親戚「あーごめん私通信制の学校は大学だと思ってないのよ笑」
— ガリ子 (@garizo_DIVE) March 12, 2026
■「通信制は大学じゃない」発言に隠された、私たちの「知ったかぶり」と「情報格差」の心理学
いや〜、ちょっとした親戚の集まりで、まさかこんなに炎上するとは…!って感じですよね。投稿者さんが「調布の理系の大学です」と伝えたところ、大学に詳しいと豪語する親戚から「私、通信制の学校は大学だと思ってないのよ」と一蹴され、電気通信大学だと明かしたらさらに残念な反応をされた、というエピソード。これ、表面上は「親戚の無知」で片付けられそうですが、実は私たちの日常に潜む、もっと深く、そしてちょっと耳が痛い心理や社会の仕組みがギッシリ詰まっているんです。今日は、心理学、経済学、統計学といった「科学」の目線で、この親戚の「知ったかぶり」と、そこから生まれる「情報格差」について、じっくり深掘りしていきましょう。
■「大学に詳しい」という言葉の、恐るべき「認知バイアス」
まず、この親戚のおばさん、というか「大学に詳しい」と豪語する人。なぜ、電気通信大学が「通信制」だと決めつけてしまったのか?そこには、心理学でいうところの「利用可能性ヒューリスティック(Availability Heuristic)」や「確証バイアス(Confirmation Bias)」が大きく関わっていると考えられます。
利用可能性ヒューリスティックというのは、私たちが何かを判断する際に、頭の中にパッと浮かびやすい情報に頼ってしまう傾向のこと。例えば、「通信制の学校」と聞くと、一般的に「大学ではない」「学歴として認められにくい」といったネガティブなイメージが、多くの人の頭の中に、テレビやネットのニュース、あるいは過去の経験から「利用可能」な情報として存在している可能性があります。この親戚も、もしかしたら「通信制=大学ではない」という情報が、他の「電気通信大学は国立のしっかりした大学」という情報よりも、頭の中に強く、そしてすぐにアクセスできる形でインプットされていたのかもしれません。
さらに、「確証バイアス」も無視できません。「自分は大学に詳しい」という自己認識を持っている人は、その認識を裏付ける情報ばかりを集め、反証する情報を無意識に避ける傾向があります。この親戚は、電気通信大学のことを詳しく知る機会がなかった、あるいは知ろうとしなかった。それにも関わらず、自分の「大学に詳しい」というイメージを維持するために、「通信制=大学ではない」という枠組みに無理やり当てはめてしまった、とも考えられます。つまり、「電気通信大学」という名前から連想される「通信」という言葉に引っ張られて、自分の既存の知識や思い込みを強化してしまったんですね。
これは、私たちにもよくあること。「あの políticos は嘘つきだ」と思っている人は、その políticos のどんな些細な発言も「ほら、やっぱり嘘だ」と解釈してしまいます。逆に、好きなアイドルのどんな失敗も「一生懸命で可愛い」と擁護してしまう。これも、確証バイアスの一種です。つまり、この親戚の発言は、単なる無知というよりも、「知ったかぶり」という、人間の認知のクセが招いた現象と言えるでしょう。
■「知名度」と「実力」の経済学:なぜ「有名大学」に価値があるのか?
次に、経済学的な視点から、なぜ大学の「知名度」がこんなにも重視されるのかを見ていきましょう。これは、情報経済学やシグナリング理論といった分野で説明できます。
大学の卒業証書は、その人が一定の学習能力や勤勉さを持っていることの「シグナル」として機能します。しかし、大学の数が増え、学部や学科も細分化される現代において、個々の大学の教育の質を直接評価するのは、採用する側にとって非常にコストがかかります。そこで、企業は「知名度」という、比較的容易に判断できる指標に頼るようになります。
「有名大学」というのは、それだけ多くの人がその大学の卒業生を「優秀だ」と認識している、という市場の合意形成があるということです。つまり、有名大学の卒業生は、企業にとって「採用リスクが低い」と判断されやすい。これは、一種のブランド価値のようなものです。電気通信大学が「理系ならみんな知っている」「名門大学」と擁護されているのは、まさにこの「ブランド価値」が、一定の層には確かに存在しているからです。
しかし、この「知名度」というシグナルは、時に実態とかけ離れた評価を生み出すこともあります。電気通信大学は、特定の分野、特に情報通信技術や工学分野では非常に高いレベルを誇っています。しかし、一般社会での知名度は、総合大学や文系学部で有名な大学に比べて低い。これは、経済学でいうところの「情報の非対称性」が生じている状態です。採用する企業が、電気通信大学の真の実力(教育の質、研究成果、卒業生の活躍など)を十分に理解していない場合、知名度という「安易なシグナル」に頼ってしまい、本来であれば優秀な人材を「見過ごしてしまう」可能性があります。
投稿者の親戚の例は、まさにこの「情報の非対称性」を露呈した形です。彼は「大学に詳しい」という「シグナル」を発信していましたが、その実態は、最新の大学の状況や、特定の分野における大学の評価という「情報」を十分に獲得していなかった。結果として、彼の発信したシグナルは、誤った情報に基づいたものになってしまったのです。
■統計学で見る「偏り」:なぜ「みんなが知らない」は「価値がない」ではないのか?
統計学的な視点も加えると、この問題はさらに面白くなります。「みんなが知らない大学」=「価値がない大学」という単純な等式が、いかに危ういかが見えてきます。
まず、統計学でいう「標本(Sample)」と「母集団(Population)」の問題です。投稿者の親戚が「大学に詳しい」という発言をする際、彼が参照している「大学」という標本は、おそらく彼自身の個人的な経験や、身近な知人が通っていた大学、あるいはメディアでよく取り上げられる大学に限られている可能性が高いです。これは、母集団である「日本の全大学」という広大な範囲から見れば、非常に偏った標本と言えます。
その偏った標本の中から「知らない大学」が出てきたからといって、それを「価値がない」と結論づけるのは、統計学的には「早計」であり、「誤った一般化」です。例えば、ある地域で「チョコレートが好き」な人を100人集めた調査で、「全員がチョコレートが好きだ」という結果が出たとします。しかし、この結果を「世界中の人全員がチョコレートが好きだ」と結論づけることはできませんよね。
電気通信大学の場合も同様です。投稿者の親戚の「知っている大学」という限られた標本の中に、電気通信大学が含まれていなかった。それだけのことです。それが、電気通信大学の「価値」を否定する理由には全くならないのです。
さらに、「認知度」と「学術的な評価」という、二つの異なる指標の「偏り」も考慮すべきです。一般社会における認知度は、マスメディアへの露出度や、著名な卒業生の存在などに大きく影響されます。一方、学術的な評価は、研究論文の質や量、学会での発表、専門家からの評価などに依存します。電気通信大学は、後者の指標においては非常に高い評価を得ているにも関わらず、前者の指標においては、それほど目立たない。これは、社会全体が「学術的な評価」よりも「マスメディアによる認知度」を重視してしまう、という傾向があることを示唆しています。
■「イヤな親戚」という感情の裏に潜む、「所属欲求」と「比較心理」
リプライで多く見られた「イヤな親戚だ」「殴ってしまいそう」といった感情的な反応。これも、人間心理の面白い側面を映し出しています。
これは、心理学でいう「所属欲求(Need to Belong)」や「社会的比較理論(Social Comparison Theory)」と関係していると考えられます。人間は、集団に所属し、他者と自分を比較することで、自己のアイデンティティを確立し、自尊心を維持しようとします。
投稿者さんは、自分の出身大学について、親戚という「所属集団」の中で、ある程度「評価」されたい、あるいは少なくとも「理解」されたいという欲求があったはずです。しかし、親戚の「通信制は大学じゃない」という発言は、その欲求を完全に否定し、投稿者さんの「所属」する集団内での「価値」を貶める行為と受け取られた。これは、非常に強い不快感や怒りを引き起こします。
また、「大学に詳しい」と自称する親戚への反発も、社会的比較理論に基づいていると言えます。投稿者さんや他のリプライをした人々は、親戚の「詳しい」という言葉の「信憑性」を、自分たちの持っている知識や経験と照らし合わせて比較した。そして、「いや、それはおかしい」「それは間違っている」と判断した。その結果、親戚の「詳しい」という自己評価と、実際の知識との間に大きなギャップがあることに対する苛立ちや、「自分の方がよほど詳しい」という優越感、あるいは「なんであんな人が『詳しい』なんて言えるんだ」という正義感のようなものが、感情的な反応として表れたのでしょう。
■「電通大」を巡る共感の連鎖:マイノリティとしての経験と「語り」の力
「弟が電気通信大学に進学しようとした際に、母親に『みんなが知らない大学』と反対された」「電通大に合格しながらも知名度を理由にMARCHに進学した友人の話」といった共感の声が複数寄せられたのも、非常に興味深い点です。
これは、心理学でいう「自己効力感(Self-Efficacy)」や「社会的証明(Social Proof)」といった概念とも結びつきます。電気通信大学の学生や卒業生は、彼らの大学が一般社会で十分に認知されていないという「マイノリティ」としての経験を共有している。そのため、今回の投稿者のエピソードは、彼らの抱えてきた「モヤモヤ」や「劣等感」を代弁してくれるものとして、強く響いたのです。
「弟が反対された」「友人がMARCHに進学した」というエピソードは、まさに「みんなが知らない=社会的な評価が低い」という認識が、個人の進路選択にまで影響を与えている現実を示しています。これは、経済学でいう「機会費用(Opportunity Cost)」の問題とも関連します。本来であれば、電気通信大学で得られたであろう高度な専門知識や、そこで培われたであろう学術的な能力という「機会」を、「知名度」という目に見えにくい要素のために失ってしまった、とも言えるわけです。
また、「おばさんの『私ナントカに詳しいのよ』という言葉は信用できない」という意見や、「無線電信講習所ね!」というユーモラスな返しは、こうした「マイノリティ」としての経験が、独特のユーモアや、ある種の「連帯感」を生み出していることを示しています。共感する人が多ければ多いほど、その経験は「社会的証明」となり、個人の経験が、より大きな「語り」へと昇華していくのです。
■「情報格差」を埋めるために:私たちはどうすべきか?
今回のエピソードは、単なる大学の知名度に関する話にとどまらず、現代社会における「情報格差」の根深さと、それが個人の「評価」や「選択」にどれほど大きな影響を与えているかを浮き彫りにしました。
■情報格差の現実と「知ったかぶり」の罠
私たち一人ひとりが、知らず知らずのうちに「情報格差」の中に生きているという事実。そして、それを埋めようとせず、自分の限られた情報や思い込みに固執してしまう「知ったかぶり」の罠。これは、大学に限った話ではありません。
例えば、ある健康法について、科学的根拠が乏しいにも関わらず、SNSで拡散され、多くの人が信じてしまう。これも、利用可能性ヒューリスティックや確証バイアスの成せる業です。私たちが日々目にする情報、耳にする噂話、そして「あの人はこう言っていた」という又聞き情報。これらが、私たちの「真実」を形作っているとしたら、その「真実」は、どれほど歪んだものになっているのでしょうか?
■「知ること」への投資と、「謙虚さ」の重要性
では、私たちはどうすれば、この「情報格差」を少しでも埋め、より正確な判断ができるようになるのか?
まず、■「知ること」への投資■が不可欠です。これは、単に多くの情報をインプットすることではありません。情報を「吟味する力」を養うことです。科学的な根拠に基づいているか、信頼できる情報源か、複数の視点から検討されているか。統計学的なデータは、感情論や個人的な経験則よりも、客観的な事実を示す力があります。だからこそ、私たちは統計データや科学的な研究結果に目を向ける習慣をつけるべきです。
そして、■「謙虚さ」■が何よりも重要です。自分が全てを知っているわけではない、という謙虚な姿勢。自分の知識や経験は、あくまで限られたものであるという自覚。そうした謙虚さがあれば、「知らない」ということを恥ずかしいと思わず、むしろ「知りたい」という探求心に繋がります。今回の親戚のように、「知ったかぶり」をしてしまうのは、自分の「無知」を認めたくない、というプライドの表れでもあります。しかし、そのプライドが、本来得られるはずの「正しい知識」や「他者との良好な関係」を遠ざけてしまうのです。
■「情報格差」を越えて:電気通信大学から学ぶこと
電気通信大学のエピソードは、私たちに多くの示唆を与えてくれます。
まず、■「知名度」と「実力」は必ずしも一致しない■ということ。そして、■「みんなが知らない」ということが、「価値がない」ということではない■という事実。
私たちは、もっと多様な価値観や、隠れた実力に目を向けるべきです。SNSでバズっているもの、メディアで頻繁に取り上げられているものだけが、全てではない。その裏には、地道に研究を続け、社会に貢献している多くの人々や組織が存在します。
もし、あなたが誰かの経歴や出身大学について、「知らない」という理由で軽んじるような発言をしてしまったことがあるなら、今回のエピソードを機に、一度立ち止まって考えてみてください。もしかしたら、あなたは、相手の隠された「価値」を見過ごしているのかもしれません。
そして、もしあなたが、電気通信大学のように「知名度は低いけれど、確かな実力がある」と信じているものについて、周囲から理解されずに悩んだ経験があるなら、今回のエピソードで、あなただけではない、ということを知ってほしいのです。あなたの信じているものは、きっと価値がある。それを、統計学的なデータや、科学的な根拠を示しながら、根気強く伝えていくこと。それが、情報格差を埋め、より良い社会を築くための一歩となるでしょう。
この親戚の「一言」が、私たちに「知ること」の重要性、「情報格差」の現実、そして人間心理の奥深さを、これほどまでに考えさせてくれるとは、まさに「灯台下暗し」でしたね。

