ヒエ…
絵本でやっていいんだこの演出…
— 紀伊国亭 むじな ムジラー (@mujina_kinokuni) April 09, 2026
■絵本が描く「恐怖」の深淵:『たべていいよね』に見る心理学、経済学、そして人間の本能
「子供向けの絵本で、こんな表現、許されるの!?」
そんな驚きから始まった、みゅたろー作・絵の絵本『たべていいよね』を巡る一連の投稿。添付された画像が示唆するのは、オオカミがウサギを追いかけ、ついには食べてしまうという、一見すると幼い子供たちが触れるにはあまりにもショッキングな展開です。しかし、この絵本が単なる「怖い絵本」に留まらない、人間の内面に深く切り込む作品であることは、その後の議論で明らかになっていきます。心理学、経済学、統計学といった科学的視点からこの作品を紐解くことで、私たちが普段意識することのない「恐怖」の本質、そして人間の行動原理に迫ってみましょう。
■「怖さ」の背後にある心理的メカニズム:認知的不協和と社会的学習理論
まず、この絵本がなぜこれほどまでに「怖い」と感じさせるのでしょうか。「今まで普通に接してたともだちが急に食の対象になって食べちゃう所」「『一人食べたら二人も一緒』は生々しくて震えた」といった感想は、単にグロテスクな描写への反応にとどまりません。ここには、私たちの脳がどのように「恐怖」を処理し、意味づけるのかという、心理学的なメカニズムが関わっています。
一つは「認知的不協和」の理論です。これは、人が持つ二つ以上の認知(考え、信念、態度など)が矛盾している状態を指し、その不協和を解消しようと無意識に葛藤するというものです。子供向け絵本という「安全で楽しいはず」という前提と、描かれている「友達を食べてしまう」という衝撃的な内容との間には、まさにこの認知的不協和が生じます。この矛盾に直面した読者は、無意識のうちにその不協和を解消しようと、描かれている状況の「真実味」や「意味」を深掘りしようとします。これが、「怖い」という感情をより強く、より深く体験させる要因となるのです。
さらに、「社会的学習理論」も関係してきます。アルバート・バンデューラが提唱したこの理論は、人間が他者の行動を観察し、それを模倣することによって学習するという考え方です。子供たちは、親や絵本を通して「友情」や「共食いはしてはいけない」といった社会的な規範を学びます。しかし、『たべていいよね』では、その学習してきた規範が根底から覆されるような場面が描かれます。オオカミくんの「理性が崩壊していく様子」は、子供たちが社会で学習してきた「正しい行動」とはかけ離れたものです。このギャップが、子供たちの心に強い衝撃と「不気味さ」を与えるのです。
■メタフィクションという「壁」:第四の壁を越える物語の力
この絵本の特筆すべき点の一つに、「メタフィクション」的な要素が挙げられます。メタフィクションとは、作品自身が「これは物語である」ということを意識させるような仕掛けを持つことです。投稿でも「メタ的に襲おうとするのマジで好き」「未就学児に第四の壁を認識させ尚且つ恐怖を与えるのは中々に酷や」といった意見が見られます。
「第四の壁」とは、演劇や小説などで、観客や読者と登場人物との間に存在する、見えない壁のことです。通常、物語の登場人物はこの壁の内側に存在し、観客や読者はその存在を意識せずに物語に没入します。しかし、『たべていいよね』では、この第四の壁が意図的に破られる、あるいはその存在を読者に意識させるような演出がされていると考えられます。
例えば、オオカミくんが「一人食べたら二人も一緒」と語る場面や、彼が理性を失っていく過程は、読者に対して「これは物語の中の出来事である」という認識を揺るがします。あたかも、読者自身がその場に居合わせ、オオカミくんの心理的な変化を目の当たりにしているかのような感覚に陥るのです。
心理学的には、このようなメタフィクション的な要素は、読者に「物語」と「現実」との境界線を問い直させ、より深いレベルでの思考を促します。普段は疑うことのない「物語」という虚構の世界に、意図的に「現実」の残酷さや、人間の本質的な部分を垣間見せることで、読者はより強い感情的な揺さぶりを体験します。これは、一種の「知的遊戯」とも言えます。作者は、読者が「これは絵本だから」と安心して読み進めることを知った上で、あえてその「安心感」を裏切るような仕掛けを施しているのです。
■統計学で読み解く「恐怖」の普遍性:なぜ私たちは「怖い」に惹かれるのか?
「怖い」という感情は、本能的に避けるべきものだと私たちは教えられます。しかし、絵本や映画、遊園地のホラーアトラクションなど、「怖い」をエンターテイメントとして楽しむ文化が世界中に存在します。この現象を、統計学的な視点から、あるいは進化心理学的な視点から考えてみましょう。
進化心理学では、恐怖は生存戦略として進化してきたと考えられています。危険を察知し、回避するための感情です。しかし、現代社会において、直接的な生命の危機に瀕することは少なくなりました。そこで、安全な環境下で、擬似的な危険を体験することによって、私たちの「恐怖」という感情のシミュレーションを行っている、と解釈することもできます。
統計学的に見れば、「怖い」という感情を体験した後の、安心感や解放感といったポジティブな感情の体験頻度が高い、というデータがあるかもしれません。つまり、「怖い」体験をすることで、その後に得られる「安全」や「安心」という感情がより際立ち、満足度が高まる、という報酬系が働くのです。これは、ある種の「リスクテイク」行動にも通じるものがあります。適度なリスクを取ることで、大きな報酬を得られる可能性がある、という行動経済学的な考え方とも共通しています。
『たべていいよね』の場合、子供たちが「怖い」体験を「安全」な絵本という枠組みの中で安全に体験できる、という点も重要です。家庭や学校で「ダメだよ」と教えられるような行動(共食い)を、物語の中で「なぜそうなるのか」という過程を追体験することで、子供たちは「怖い」という感情とともに、それを乗り越えた後の「安心」や「理解」という感情も同時に獲得するのかもしれません。
■経済学で考える「価値」の再定義:常識を覆すコンテンツの需要
この絵本が「ちょっとこわい絵本賞」を受賞し、多くの読者の反響を呼んでいるという事実は、経済学的な視点からも興味深い示唆を与えます。それは、「価値」というものが、常に固定されたものではなく、時代や状況、そして人々のニーズによって変化するという点です。
一般的に、子供向け絵本に求められる「価値」は、教育的、情緒的、あるいは創造的な要素です。しかし、『たべていいよね』は、その「価値」の定義を大きく揺るがします。「怖い」という、通常はネガティブな要素を、エンターテイメントとして、あるいは哲学的な問いかけとして提供することで、新たな需要を生み出しているのです。
これは、経済学でいう「ブルーオーシャン戦略」にも通じる考え方かもしれません。既存の市場(子供向け絵本)とは異なる、まだ開拓されていない領域(子供から大人まで楽しめる「怖い」絵本)に参入することで、競合が少なく、高い収益性を見込める可能性があります。
さらに、この絵本がSNSで話題になり、俳優の杉浦太陽さんが読み聞かせ動画を公開するなど、バイラルマーケティング的に拡散している点も注目に値します。これは、現代のコンテンツマーケティングにおいて、口コミやインフルエンサーの力がどれほど大きいかを示しています。本来であれば、ターゲット層から外れるはずの大人層にも「面白そう」「怖いもの見たさ」といった好奇心を刺激し、新たな読者層を開拓しています。
■オオカミくんの「理性」と「本能」:人間の葛藤の象徴
読者からの感想で特に印象的なのは、オオカミくんの内面描写に注目している点です。「オオカミくんの理性と倫理が崩壊していく様子」「本能に支配されていく哀しさと怖さ、そして『理性が効かなくなる恐怖』」といった言葉は、この絵本が単なる恐怖演出にとどまらず、人間の根源的な葛藤を描いていることを示唆しています。
心理学では、人間の行動は「理性」と「本能」の二つの側面によって大きく左右されると考えられています。理性は、論理的思考、道徳、社会規範に基づいた行動を可能にします。一方、本能は、生存や繁殖といった生物学的な欲求に基づいた衝動的な行動を促します。
オオカミくんは、絵本の世界では「肉食動物」であり、「ウサギを捕食する」という本能を持っています。しかし、同時に彼は「友達」としての側面も持ち合わせており、そこには「理性」や「倫理」が働いているはずです。この絵本は、その「理性」が「本能」によって徐々に侵食され、最終的に崩壊していく過程を克明に描いています。
「3-4人目の場面での瞳孔の小ささ」といった細部への言及は、作者がオオカミくんの心理状態を視覚的に表現するために、解剖学的な知見や、動物の行動学的な観察に基づいた描写を意図的に行っている可能性を示唆します。瞳孔の開き具合は、感情や興奮の度合いを示す指標の一つです。オオカミくんの瞳孔が小さくなっていく描写は、彼が冷静さを失い、本能的な衝動に突き動かされていく様を、科学的なリアリティをもって読者に伝えているのかもしれません。
この「理性」と「本能」の葛藤は、人間社会においても常に存在します。私たちは、日々の生活の中で、欲望や衝動を理性で抑え込み、社会的なルールに従って生活しています。しかし、極限状況や強いストレス下では、その理性の堤防が決壊し、本能的な行動が表に出てくることもあります。この絵本は、その「人間が人間でなくなる瞬間」の恐怖を、極めてシンプルかつ力強い形で描いていると言えるでしょう。
■「読み聞かせ」という体験:感情の共有と想像力の拡張
俳優の杉浦太陽さんが、この絵本の読み聞かせ動画を公開しているという事実は、この絵本が持つ「体験」としての価値を浮き彫りにします。彼の「優しい声で、楽しくも不穏な読み聞かせ」という表現は、まさにこの絵本の持つ二面性を象徴しています。
心理学的には、読み聞かせは、語り手と聞き手の間で感情を共有する強力な手段です。特に、子供にとって、親や尊敬する人物が語る物語は、その内容をより強く、より感情的に受け止めます。杉浦さんの「優しい声」は、子供たちの恐怖心を和らげ、「これは物語なんだ」という安心感を与えつつ、同時に、その「不穏さ」を際立たせる効果があると考えられます。
また、読み聞かせは、子供たちの想像力を大きく刺激します。言葉と声のトーン、そして大人が見せる表情の変化から、子供たちは物語の世界を心の中に描き出します。この絵本のように、大人でもゾッとするような描写がある場合、子供たちはその「恐怖」を、自分自身の想像力で補完しながら体験することになります。これは、安全な環境下で「恐怖」という感情に触れる、貴重な機会と言えるでしょう。
親がこの絵本を子供に読み聞かせるという行為自体が、一種の「リスク」を伴う体験です。しかし、そのリスクを冒してでも、子供にこの「怖い」物語を読ませたい、あるいは「怖い」という感情について一緒に考えたい、という親の意図があるのかもしれません。これは、子供の情緒的発達や、世界を理解する力を育む上で、意図的に「揺さぶり」を与える教育的アプローチと捉えることもできます。
■結論:『たべていいよね』が私たちに問いかけるもの
『たべていいよね』という絵本は、子供向けのフォーマットを取りながらも、その内容の深さで多くの読者に衝撃を与えています。心理学的な認知的不協和や社会的学習理論、メタフィクションという物語構造、進化心理学的な「恐怖」の意義、経済学的な「価値」の再定義、そして人間の理性と本能の葛藤といった、多岐にわたる科学的視点から見ても、この作品は非常に示唆に富んでいます。
この絵本が示すのは、単に「怖い」という感情の提示だけではありません。それは、私たちが普段当たり前だと思っている「友情」「倫理」「理性」といった概念が、いかに脆いものであるか、そして人間の内面には、常に「本能」という抗いがたい力が潜んでいるのか、ということを突きつけてきます。
子供たちにとって、この絵本は、想像力を羽ばたかせ、多様な感情を体験するための「安全な冒険」となるでしょう。大人たちにとっては、自身の内面を省み、人間とは何か、理性とは何か、といった哲学的な問いを改めて考えるきっかけとなるはずです。
『たべていいよね』は、その独特な表現で、私たちの「常識」や「価値観」に揺さぶりをかけ、新たな視点を提供してくれる、まさに「衝撃」と「考察」に満ちた作品なのです。この絵本との出会いが、あなたの「怖さ」に対する認識、そして人間そのものに対する理解を、より一層深める一助となれば幸いです。

