自分、小学生の頃”憧れの職業”が裁判官だったの。
で職業見学で判事とお話する機会があって、当時の疑問「どうして小中学校では法律を教えないの?」
「誰もルールを教えてくれないのに違反したら罰則っておかしくない?」って尋ねたら、凄く怪訝な目を向けられ、以降法曹への興味が失せました。
— AMAPSYMED (@AMApsymed) April 14, 2026
■幼い頃の「なぜ?」が、未来を大きく変えることがある話
「法律って、なんで学校で教えてくれないんだろう?」
幼い頃、そんな素朴な疑問を抱いた経験はありませんか? 私もかつて、そんな疑問を抱き、それがきっかけで、ある職業への憧れを失ってしまったことがあります。今日は、そんな幼い頃の体験が、いかに私たちの人生に影響を与え、そして、現代社会における「知識へのアクセス」という、ちょっと深いテーマにつながっていくのかを、心理学、経済学、統計学といった科学的な視点も交えながら、じっくり掘り下げてみたいと思います。堅苦しい話ではなく、まるでカフェで友人と話しているような、そんなフランクな感じで、一緒に考えていきましょう。
■司法の世界への扉、そして閉ざされた道
投稿者さんは、小学生の頃、裁判官という職業に強く惹かれていたそうです。正義の味方、みたいなイメージだったのかもしれませんね。そして、職業見学の機会を得て、実際の判事の方とお話できるチャンスが巡ってきました。これは、まさに夢が叶う瞬間! 期待に胸を膨らませて、幼いながらも真剣な疑問をぶつけました。「なんで学校で法律を教えてくれないんですか? ルールを知らないのに罰せられるって、おかしくないですか?」
この、子供ならではの純粋で真っ直ぐな問いかけ。普通なら、大人は「そうだね、確かに不思議だね。でもね…」と、子供にもわかるように、その疑問に寄り添いながら、社会の仕組みや教育のあり方について、丁寧に説明してくれるのではないでしょうか。しかし、現実は違ったようです。判事の方は、投稿者さんの疑問に、怪訝な顔をされたとのこと。「法律は官報で周知されている」という、大人にとっては当たり前、でも子供には何のことやらさっぱりわからない回答。投稿者さんがさらに「国民はみんな官報を読んでいると思ってるんですか?」と食い下がると、呆れられてしまった、と。
この一件が、投稿者さんのその後の人生に、予想外の影響を与えたといいます。文系科目が得意だった彼女は、もしこの時の経験がなければ、法律の道に進んでいたかもしれない、と振り返っています。職業見学という、子供の知的好奇心を刺激し、未来への扉を開くかもしれない重要な機会での、あまりにも残念な対応。それが、子供の可能性の芽を摘んでしまった、と言っても過言ではないかもしれません。
■「知らない方が悪い」という原則の壁
この投稿には、多くの共感の声が寄せられました。「幼い頃の体験って、本当にその後の人生に影響するんだな」「法律って、知っている人にしか優しくないんじゃないの?」という意見は、まさに私たちの心に刺さるものがあります。
ここで、経済学の視点から考えてみましょう。世の中の多くのルールや法律は、「情報非対称性」という問題を抱えています。つまり、情報を持っている側(この場合は法律や制度を熟知している専門家や一部の国民)と、持っていない側(一般国民)との間に、情報の格差が存在するのです。この格差があるために、知っている人は有利になり、知らない人は不利になる、という状況が生まれます。
例えば、契約書。法律の専門家や経験豊かなビジネスマンであれば、そこに書かれているリスクやメリットを正確に把握できます。しかし、一般の人が、慣れない契約書にサインする際、そこに潜む落とし穴に気づかず、後々トラブルになる、というケースは後を絶ちません。これは、まさに「情報非対称性」がもたらす帰結と言えるでしょう。
また、経済学には「行動経済学」という分野があります。これは、人間が必ずしも合理的な意思決定をするわけではない、という前提に立ち、心理的な要因が経済活動にどう影響するかを研究する分野です。例えば、「現状維持バイアス」といって、人は現状を変えるよりも、そのままの状態を維持しようとする傾向があります。法律や制度も、一度定まると、なかなか変わりにくい。そして、それを変えようと行動を起こすためには、多くのエネルギーと知識が必要になります。結果として、多くの人は「まあ、別に困ってないし…」と、複雑な法律や制度について深く知ろうとせず、現状維持を選択してしまうのです。
■「周知」の落とし穴と「説明義務」の現実
判事の方が言った「法律は官報で周知されている」。これは、法律の世界では「法の不知はこれを許さず」という原則に基づいた、ある意味で正しい説明です。法律は、官報という公的な広報誌に掲載されることで、国民に知らされたものとみなされる、ということですね。
しかし、ここで統計学的な視点が入ってきます。統計学的に見れば、官報の発行部数や、それを実際に読んでいる人の割合は、決して国民全体を網羅しているとは言えません。官報というのは、一般の人が日常的に目にするものではありませんし、そもそも、その存在を知らない人も多いでしょう。つまり、「官報に載っているから、すべての国民が知っているはずだ」というのは、統計的には極めて非現実的な前提なのです。
さらに、医療訴訟の場面では、「説明義務」という考え方が重視されています。これは、医療行為を行う医師が、患者に対して、その治療法のリスクや効果、代替手段などを十分に説明する義務を負う、というものです。もし、十分な説明がなされなかった場合、たとえ治療が成功したとしても、後々、医療過誤として責任を問われる可能性があります。
この「説明義務」の原則を、法律の世界に当てはめて考えてみるとどうでしょうか。「知らない方が悪い」という原則と、「十分な説明を受ける権利」との間には、確かに矛盾があるように感じられます。特に、法学研究者でもない一般国民が、複雑で難解な法律を自ら理解しろ、というのは、あまりにもハードルが高い話です。
■学校教育の「空白地帯」と、未来を担う子供たちへの責任
「法律や税制など、社会生活を送る上で不可欠な知識が、学校教育で十分に教えられていない」という意見にも、強く共感します。確かに、私たちは学校で、歴史や地理、文学などを学びますが、日常生活で直接的に役立つ法律や税金の知識、あるいは、社会保障制度の仕組みなどについては、ほとんど触れる機会がありません。
これは、一種の「教育の空白地帯」と言えるのではないでしょうか。経済学でいう「人的資本」の形成という観点からも、社会全体にとって損失です。人々が、自分たちの権利や義務、社会の仕組みについて正しく理解していれば、より賢明な意思決定ができ、社会全体の効率性や幸福度も向上するはずです。
さらに、子供たちが社会に対して抱く興味や関心を、大人がいかに受け止めるか、というのは、心理学的に非常に重要なポイントです。子供の「なぜ?」という問いは、知的好奇心の芽生えであり、未来への探求心の始まりです。その芽を、大人が無関心や呆れで摘み取ってしまうことは、その子供の学習意欲や、社会への関心を削いでしまうことになりかねません。
心理学には「自己効力感」という概念があります。これは、「自分ならできる」という、自分に対する自信のことです。幼い頃に、大人が親身になって話を聞いてくれたり、疑問に丁寧に答えてくれたりする経験は、子供の自己効力感を高めます。「自分は、わからないことでも、質問すれば教えてもらえる」「自分の疑問は、大切にされる」という経験は、子供が将来、困難に立ち向かう上での大きな支えとなります。逆に、今回の判事の方のような対応は、子供に「自分は、つまらないことを聞く人間なんだ」「自分の疑問は、相手に迷惑をかけるだけなんだ」といったネガティブな感情を抱かせ、自己効力感を低下させてしまう可能性があります。
■「知る」ことから始まる、より良い社会への一歩
今回の投稿と、それに寄せられた様々な意見は、私たちの社会が抱える、いくつかの重要な課題を浮き彫りにしています。
一つは、法律や制度の「難解さ」と、その「知識へのアクセス」の困難さです。複雑な法律を、専門家でなくても理解できるような形に、もっとわかりやすく提示していく工夫が必要です。例えば、政府が提供する情報提供のあり方や、学校教育における「シティズンシップ教育」のような、社会の仕組みや権利・義務について学ぶ機会の拡充などが考えられます。
二つ目は、社会を支える人々、特に、子供たちと接する機会の多い専門職の方々の「対応の質」の重要性です。職業見学や、学校での講話など、子供たちの知的好奇心を刺激し、将来の進路に影響を与えうる場での、丁寧で共感的な対応は、子供たちの成長にとって、計り知れない価値があります。
三つ目は、「知識は、一部の人だけのものではなく、すべての人に開かれているべきだ」という、民主主義社会の根幹に関わる考え方です。法律は、社会を円滑に機能させ、国民一人ひとりの権利を守るためのものです。それが、一部の人にしか理解できない「秘密の知識」になってしまっては、その本質を見失ってしまいます。
経済学でいう「公教育」の重要性も、ここにつながってきます。公教育は、社会全体にとって有益な知識やスキルを、すべての人に平等に提供するための仕組みです。法律や社会の仕組みについての教育も、まさにこの公教育の範疇に含まれるべきでしょう。
■希望の光を見出すために
今回の投稿は、残念な出来事をきっかけにしていますが、同時に、多くの人が「より良い社会」を求めている、という希望の光も照らし出しています。幼い頃の疑問が、社会のあり方について考えるきっかけとなり、そして、その疑問を共有することで、より多くの人が問題意識を持つ。これは、まさに「集合知」が生まれるプロセスと言えるでしょう。
もし、あの時、判事の方が、投稿者さんの疑問に真摯に耳を傾け、幼い心にも理解できるよう、丁寧に説明してくれていたとしたら、どうなっていたでしょうか。もしかしたら、投稿者さんは、法律の面白さに目覚め、将来、国民のために尽くす法曹家になっていたかもしれません。あるいは、法律の知識を、もっと多くの人にわかりやすく伝える「法律の伝道師」になっていたかもしれません。
この「もしも」を考えることは、未来へのヒントを与えてくれます。私たちは、子供たちの素朴な疑問を、決して軽んじてはいけないのです。その疑問の中にこそ、社会をより良くするための、新たな視点やアイデアが隠されているのかもしれません。
■あなたにもできること
この話を聞いて、あなたはどう感じましたか? もしかしたら、「自分も、似たような経験をしたことがあるな」と思ったかもしれませんし、「子供がそんなことを言ってきたら、どう答えようかな」と考えたかもしれません。
今回の件は、社会全体の課題ではありますが、私たち一人ひとりにもできることがあります。
まずは、身近な子供たちの「なぜ?」に、丁寧に耳を傾けてみること。そして、わからないことは一緒に調べたり、わかりやすく説明したりする姿勢を持つこと。それだけでも、子供たちの知的好奇心を育み、社会への関心を深めることに繋がるはずです。
また、自分自身も、社会の仕組みや法律について、もっと知ろうとすること。最近は、インターネットで様々な情報にアクセスできますし、わかりやすく解説した書籍や動画もたくさんあります。知ることで、自分の権利を守ることができますし、社会に主体的に関わっていくことができるようになります。
幼い頃の「なぜ?」から始まったこの物語は、実は、私たち全員に共通する、未来への問いかけなのかもしれません。法律や社会の仕組みは、一部の専門家だけのものではなく、私たち一人ひとりの生活に深く関わるものです。その「知識」への扉を、もっと開いていくこと。そして、その扉の前に立つ人々を、温かく迎え入れること。それが、より公平で、より豊かな社会を築いていくための、第一歩となるのではないでしょうか。

