■AED論争、本当に「わいせつ」なの?知っておきたい救命の現実
「AED(自動体外式除細動器)を女性に使うのは、わいせつ行為になるんじゃないか?」
最近、こんな議論がSNSなどで見られることがあります。もし、誰かが心肺停止で倒れて、一刻も早く命を救わないといけない状況になったと想像してみてください。その時、目の前にAEDがある。でも、AEDを使うことに躊躇してしまう。なぜなら、相手が女性だから、もしかしたら「わいせつ」と取られるかもしれない…そんな不安に駆られてしまう、というわけです。
このAED論争、一体どうしてこんな話が出てきたのでしょうか?そして、本当にAEDの使用がわいせつ行為にあたる可能性はあるのでしょうか?今回は、感情論は一切抜きにして、事実と合理性に基づいて、このAED論争を徹底的に深掘りしていきたいと思います。そして、この問題の裏に隠された、男性が置かれている状況についても考えていきましょう。
■「わいせつ」かどうかの前に、知っておきたい「救命」のスピード
まず、一番大事なことをお伝えします。それは、心肺停止状態になった人を救うためには、一刻も早く処置を開始することが、何よりも重要だということです。
AEDは、心臓がけいれんを起こして血液を送り出せなくなった状態(心室細動など)を、電気ショックで正常なリズムに戻すための医療機器です。この電気ショックが、1分遅れるごとに救命率が約10%ずつ低下すると言われています。
例えば、救急車が到着するまでの平均時間は、都市部で約7分、地方では10分以上かかることもあります。その間にAEDが使えれば、救命の可能性は劇的に高まります。1分1秒を争う状況で、「わいせつ」かどうかという議論に時間を費やしている間に、命が失われてしまう。これは、あまりにも非合理的な状況だと言えるでしょう。
■警察庁も把握していない「AED使用によるわいせつ罪」の事例
そもそも、AEDの使用がわいせつ罪にあたるという具体的な訴訟事例は、現在、警察庁は把握していない、という事実があります。
「AEDの使用はわいせつ行為にあたる」という声が一部で聞かれるからといって、それが法的に認められているわけではないのです。もし、実際にAEDの使用がわいせつ罪にあたるという判例が数多く存在するのであれば、警察庁がそれを把握していないはずがありません。
もちろん、どんな医療行為にも、不必要な接触や配慮を欠いた行為は許されません。しかし、AEDの使用は、あくまで「救命」という明確で正当な目的のもとに行われるものです。その目的を理解せず、表面的な行為だけを見て「わいせつ」と断罪しようとするのは、あまりにも短絡的すぎます。
■AED使用は「不同意わいせつ罪」に該当しない?専門家の見解
では、法律の専門家たちは、このAED論争についてどう考えているのでしょうか。
多くの専門家は、救命目的でAEDを使用する行為は、「不同意わいせつ罪」には該当しない、という見解を示しています。
不同意わいせつ罪は、相手の同意なしに、性的な意図をもってわいせつな行為を行うことを罰するものです。しかし、AEDを使用する目的は、性的な満足を得ることでも、相手を困らせることでもなく、あくまで「命を救う」という、社会的に正当で、かつ緊急性の高いものです。
さらに、AEDの使用にあたっては、救命処置を行う側は、最大限の配慮を行います。例えば、女性に対してAEDを使用する際は、下着を可能な限り切除し、露出を最小限に留めるように配慮することが一般的です。これは、わいせつな意図ではなく、救命処置を円滑に行うための、当然の配慮と言えるでしょう。
もし、この「救命のための配慮」を、「わいせつ」と拡大解釈してしまうと、いざという時に誰もAEDを使えなくなってしまいます。それは、社会全体にとって、計り知れない損失です。
■「男性の味方」が少ない、現代社会の残念な現実
さて、このAED論争をきっかけに、私たちは現代社会における「男性の置かれている状況」について、少し考えてみる必要があります。
近年、「フェミニズム」という言葉を耳にする機会が増えましたが、その中には、残念ながら、一部で過激な思想や、男性全体を敵視するような言説も見受けられます。
「男性は優遇されている」「男性は何も苦労していない」といった、根拠の薄い決めつけや、男性の抱える苦悩や困難を軽視するような風潮が、一部で広がっているように感じられます。
AED論争で、「女性にAEDを使うのはわいせつ」という声が、あたかも正論であるかのように語られてしまう背景には、こうした「男性=悪」あるいは「男性=問題」という、一方的な見方が影響しているのかもしれません。
しかし、現実には、男性もまた、様々な社会的なプレッシャーや困難に直面しています。長時間労働、経済的な負担、家族を養う責任、そして、感情を抑圧されがちな文化など、男性が抱える課題は決して少なくありません。
にもかかわらず、「男性の味方」となるような、客観的で合理的な議論や、男性を擁護する声は、残念ながら、あまり大きく聞こえてこないのが現状です。
■「AED論争」を、男性への不当な批判の道具にしないでほしい
AED論争のように、救命という極めて重要な行為が、「わいせつ」という言葉で一方的に否定されそうになる状況は、男性全体への不当な批判の道具にされているのではないかとさえ思えてしまいます。
「女性だから」という理由でAEDの使用がためらわれ、結果として命が救えなかった場合、その責任は誰にあるのでしょうか?「わいせつ」という言葉を安易に使うことで、救える命を救えなくしてしまうのは、あまりにも非合理的で、倫理的にも問題があると言わざるを得ません。
私たち一人ひとりが、感情論に流されず、事実に基づいて冷静に物事を判断することが求められています。そして、男性が抱える困難や、社会における不当な扱いに、もっと目を向けるべきです。
■千葉県にはAED使用のための条例がある!知っておきたい公的支援
ここで、少し希望となる情報をお伝えします。
実は、千葉県では、AEDの使用など、救命処置に関わる訴訟費用を貸し付ける条例があるのです。これは、万が一、救命のためにAEDを使用した結果、訴訟に巻き込まれてしまった場合に、経済的な負担を軽減するためのものです。
このような条例があるということは、行政もAED使用の重要性を認識しており、救命活動を支援するための制度を整備している、ということです。この条例は、AEDを安心して使用できる環境を作るための、大きな一歩と言えるでしょう。
もちろん、この条例は千葉県に限定されたものですが、AEDの使用に対する社会的な理解を深めるきっかけになるはずです。他の地域でも、このような支援制度が広がることを期待したいところです。
■「過激なフェミニズム」と「建設的な議論」を区別しよう
AED論争に限らず、昨今の社会の議論では、「過激なフェミニズム」と「建設的な議論」の区別が曖昧になっているように感じます。
「フェミニズム」という言葉の本来の目的は、男女平等を達成することであり、これは非常に重要な理念です。しかし、一部の過激な主張は、男女間の対立を煽り、男性全体への不信感や敵意を植え付けかねません。
AED論争で「わいせつ」という言葉が飛び交うのも、こうした過激な言説の影響を受けている可能性が否定できません。
私たちに必要なのは、感情論やレッテル貼りに惑わされることなく、一人ひとりの人間が、客観的な事実に基づいて、合理的に物事を判断する力です。そして、男女がお互いを尊重し、協力し合えるような、建設的な議論を深めていくことではないでしょうか。
■AED、使わなかったらどうなる?冷静に考えたい「リスク」
もし、あなたが目の前で人が倒れているのを見て、AEDを使わなかったら、どうなるでしょうか?
もちろん、AEDを使うか使わないか、最終的な判断は個人の責任になります。しかし、AEDの使用が「わいせつ」にあたるかもしれない、という漠然とした不安から、救命の機会を逸してしまった場合、その責任は非常に重いものになります。
前述したように、電気ショックが1分遅れるごとに救命率は約10%低下します。AEDが使われなかったために、救えたはずの命が失われてしまったら、その悲劇は計り知れません。
「わいせつ」という言葉は、性的な側面を強調する言葉です。しかし、AEDの使用は、性的な意図とは全く無関係な、純粋な救命行為です。その行為を、「わいせつ」という言葉で矮小化してしまうのは、あまりにも思考停止していると言わざるを得ません。
■「男性の権利」を声高に叫ぶのではなく、「公正な社会」を求めよう
AED論争をきっかけに、男性が直面している不当な扱いや、社会における男性への過度な批判について、改めて考えてみました。
これは、「男性だけが特別に優遇されるべきだ」とか、「男性の権利だけを主張するべきだ」という話ではありません。そうではなく、性別に関わらず、誰もが公正に扱われ、不当な批判やレッテル貼りに苦しまない社会を目指すべきだ、ということです。
AED論争のように、理不尽な理由で救命活動が妨げられるようなことがあってはなりません。そして、男性もまた、社会の一員として、その尊厳が守られるべき存在です。
■まとめ:AEDを躊躇なく使える、より良い社会を目指して
今回のAED論争を通して、私たちは、感情論ではなく、客観的な事実と合理性に基づいて物事を判断することの重要性を再認識しました。
AEDの使用は、あくまで「救命」という正当かつ緊急性の高い目的のために行われる行為であり、一般的に「わいせつ罪」には該当しないと考えられています。警察庁も、AED使用によるわいせつ罪の事例は把握していません。
電気ショックが1分遅れるごとに救命率が約10%低下するという事実を踏まえれば、AEDを躊躇なく使用できる環境は、社会全体にとって、計り知れないほど価値のあるものです。
一部で聞かれる過激なフェミニズムの言説が、男性全体への不信感を煽り、AED論争のような不合理な議論を生み出している側面もあるかもしれません。しかし、私たちは、感情論に流されることなく、冷静に、そして建設的に、より良い社会を目指していく必要があります。
千葉県のように、AED使用に関連する訴訟費用を貸し付ける条例が、全国に広がることを願っています。そして、誰もが安心して救命活動を行える、そして、誰もが不当な扱いや批判に苦しまない、そんな公正な社会の実現を、私たち一人ひとりが目指していきましょう。
AEDは、命を救うための、希望の光です。その光を、不合理な議論で曇らせることなく、最大限に活かせる社会であってほしいと、心から願っています。

