■才能が遺伝子や環境で決まる? だったら、どうすればいいのか、ぶっちゃけ話
「なんか、俺って何をやってもダメなんだよな…」
「どうせ才能がないから、頑張っても無駄なんだ」
「あの人は恵まれてるから、あんなに上手くいくんだ」
こんな風に、自分の置かれた状況や、周りの人と比べて落ち込んだり、愚痴をこぼしたりした経験、誰にでもあるんじゃないでしょうか? 人生って、思うようにいかないことばかりで、つい「なんで自分だけ…」って思っちゃいますよね。特に、昔から「勉強ができる」「運動神経がいい」「芸術のセンスがある」なんて言われる人と自分を比べちゃうと、なんだかやるせなくなったり。
でも、ちょっと待ってください。実は、私たちが「才能」と呼んでいるもの、あるいは「能力」と呼んでいるものって、ある程度、生まれてきた遺伝子や育ってきた環境で決まってしまう、というのは、残念ながら事実なんです。これは、誰かのせいでも、運が悪かったわけでもありません。科学的な研究でも、そういう傾向があることがわかっています。
例えば、IQ(知能指数)って聞いたことありますよね。これが高いと、一般的に物事を理解するのが早かったり、複雑な問題を解くのが得意だったりします。このIQの遺伝的な影響は、かなり大きいと言われています。双子を使った研究なんかでも、一卵性双生児(遺伝子が全く同じ)は、二卵性双生児(遺伝子が半分同じ)よりもIQが似る傾向が強いことがわかっています。もちろん、後天的な環境も影響しますが、スタートラインにある程度「地頭の良さ」みたいなものが、遺伝子によって影響を受けている、というのは無視できない事実なんです。
そして、育ってきた環境も、才能の開花に大きく関わってきます。例えば、幼い頃からたくさんの本に触れる機会があったり、音楽に親しむ環境があったり、あるいは、親が子どもの知的好奇心を刺激するような声かけをしたり、知的な刺激を与えてくれるような教育を受けさせたり。こういう環境で育つと、自然と得意なことが増えたり、能力が伸びやすくなったりします。逆に、教育を受ける機会が少なかったり、十分な栄養が摂れなかったり、不安定な家庭環境で育ったりすると、発達に影響が出ることもあります。
ここまで聞くと、「やっぱり、生まれつき決まってるんだ。だったら、もうどうしようもないじゃん!」って、さらに落ち込んでしまうかもしれません。でも、ちょっと待ってください。ここからが、今回の記事で一番伝えたい、とっても大事な話なんです。
■「決まってる」なら、どうする? 愚痴を言っても何も変わらない現実
確かに、遺伝子や環境が、私たちの能力のスタート地点や伸びしろに影響を与えているのは事実です。でも、だからといって、そこで立ち止まって、「自分はダメだ」「あの人はずるい」って、不満や愚痴を言い続けても、一体何が変わるでしょうか?
実は、何も変わらないんです。いや、むしろ、愚痴を言えば言うほど、どんどんネガティブな方向に進んでしまう可能性だってあります。
考えてみてください。例えば、あるお子さんが、生まれつき運動神経があまり良くなかったとします。2歳くらいの時点でも、他の子に比べて歩き方が少し不安定だったり、手先が器用でなかったり、言葉の遅れが見られたりすることがあります。これは、先ほどの「要約」にもあったように、IQが70〜85程度の「境界知能」と呼ばれる状態のお子さんに、よく見られる特徴です。2歳児であれば、普通は2語文を話せたり、簡単な指示を理解できたりすることが期待されますが、このような発達の遅れが見られる場合、学習の理解に困難を抱えやすくなります。
もちろん、このお子さんが、一生懸命練習して、運動能力が劇的に向上する可能性もあります。でも、生まれつきの運動神経が抜群だった子に比べると、やはりスタートラインが違う、あるいは、上達のスピードに差が出る、というのは、ある程度避けられない現実かもしれません。
ここで、「でも、あの運動神経抜群の子は、親が体操教室にずっと通わせてたんだ!」とか、「うちなんて、そんなお金ないし、親も教えられないし…」なんて、親のせいにしたり、環境のせいにしたりする声が聞こえてきそうです。
でも、だから何でしょうか? 親御さんが、あなたのために一生懸命努力してくれたかもしれない。あるいは、そうでなかったかもしれない。でも、過去は変えられません。そして、その過去について、親を責めたり、環境に不満を言ったりしても、あなたの「今」の運動能力が、急に飛躍的に向上するわけではないんです。
むしろ、そういう不満や愚痴にエネルギーを注ぐよりも、「じゃあ、今の自分にできることは何だろう?」と考えた方が、ずっと建設的だと思いませんか?
■「原因」を知ることは大事、でも「原因探し」で終わるのはもったいない
科学的な研究で、才能が遺伝子や環境で決まる傾向があるということがわかってきたのは、すごく素晴らしいことです。それは、私たちが自分自身や、周りの人の能力について、より深く理解するための貴重な情報源になります。
例えば、もし自分が学習につまずきやすいと感じているなら、「もしかしたら、私の脳の特性かもしれない」とか、「幼い頃の学習環境に影響があったのかもしれない」と、客観的に捉えることができます。そして、それは決して「怠けているから」とか「やる気がないから」といった、自分を責める理由にはならない、ということもわかります。
境界知能という言葉を知ると、例えば、言葉の遅れや理解の遅さといった発達の特性について、より具体的なイメージを持つことができます。2歳児の標準発達として「2語文が話せる」「指示が通る」といった基準がある中で、それらが難しい場合、何らかの特性がある可能性を疑うことができます。そして、それが教科学習における困難に繋がっていく、というメカニズムも理解できるようになるでしょう。
このように、原因を知ることで、自分を責めるのではなく、理解する一歩を踏み出すことができます。これは、とても大切なことです。
しかし、ここで落とし穴があります。その「原因」を知ることに満足してしまい、「だって、遺伝子で決まってるんだから」「だって、親が~だったから」と、原因探しで終わってしまうことです。
これは、まるで、病気の原因がわかったのに、薬を飲まずに「原因がわかったからもう大丈夫」と言っているようなものです。原因を知ることは、あくまで、これからどうするかを考えるための「スタート地点」なのです。
■「決まってる」からこそ、できること、見つけるべきこと
では、遺伝子や環境で、ある程度能力が決まってしまうという事実を受け入れた上で、私たちはどうすればいいのでしょうか?
それは、まず、自分の「現在地」を正しく認識することです。そして、その「現在地」から、自分が進みたい「目的地」へ向かうための、現実的な方法を探すことです。
例えば、運動神経があまり良くないと感じている人が、いきなりオリンピック選手を目指すのは、現実的ではありません。でも、健康のためにウォーキングを始めたり、地域のサークルで軽い運動を楽しんだりすることは、十分に可能です。そして、継続することで、体力はつきますし、気分もリフレッシュできます。
学習に苦手意識がある人でも、苦手な分野を無理に克服しようとするのではなく、得意な分野をさらに伸ばしたり、興味のある分野を深掘りしたりすることで、充実感を得られます。また、学習方法を工夫したり、自分に合ったペースで学べる教材を探したりすることで、理解を深めることもできるでしょう。
大切なのは、「自分にはできない」と決めつけてしまうのではなく、「どうすればできるだろう?」という視点を持つことです。
■「不遇」という言葉に隠された、甘えと無責任
人生が不遇だと感じたり、親や環境のせいにしたりすることは、一見、自分を守るための「仕方ない」ことのように思えるかもしれません。でも、それは、長い目で見ると、自分自身を縛り付けている「甘え」であり、「無責任」な姿勢だと言えます。
なぜなら、親や環境は、あなたが選んだものではないかもしれません。しかし、その状況に対して、どう反応し、どう行動するかは、あなた自身が選択できるからです。
親に感謝の気持ちを持てない、という人もいるでしょう。でも、だからといって、親を憎み続けたり、親のせいで今の自分があると決めつけたりすることは、あなたの人生をさらに苦しくするだけです。
「あの時、親がこうしてくれていたら…」
「もし、あの環境で育っていたら…」
こういう「もしも」の話ばかりをしていても、現実は何も変わりません。むしろ、過去の出来事に囚われて、今を生きるエネルギーを浪費してしまいます。
ここで、具体的な数値で考えてみましょう。例えば、ある調査によると、年収と学歴には相関関係があることが示されています。しかし、これはあくまで「傾向」であり、学歴が低くても高収入を得ている人もいますし、高学歴でも経済的に苦しい人もいます。つまり、遺伝子や幼少期の環境が、ある程度、将来の年収や学歴に影響を与える可能性は示唆されますが、それが全ての決定要因ではないということです。
もし、あなたが「自分は不遇だ」と感じているなら、その原因を親や環境に求めるのは、あまりにも短絡的で、そして、無責任な考え方です。なぜなら、あなたは、その「不遇」とされている状況の中でも、自分で選択し、行動する力を持っているからです。
■愚痴や不平不満は、自分を成長させる「毒」
愚痴や不平不満を言うことは、一時的にはストレス発散になるかもしれません。でも、それは、まるで毒を飲んでいるようなもの。その場はスッキリしたように感じても、じわじわと心を蝕み、自分自身の成長を妨げてしまいます。
考えてみてください。あなたが誰かに愚痴を言ったとして、その相手は、あなたの愚痴を聞いて、あなたのために何か具体的な行動を起こしてくれるでしょうか? もちろん、共感してくれる人はいるでしょう。でも、根本的な解決にはつながりにくいものです。
むしろ、愚痴ばかり聞いていると、聞いている側も、だんだんネガティブな気持ちになってしまいます。そして、周りから見ても、「あの人はいつも不平不満ばかり言っている人だな」という印象を持たれてしまい、結果的に、人間関係やチャンスを逃してしまう可能性すらあります。
「才能が遺伝子や環境で決まるのは事実。でも、それに愚痴や不満を言っても現実は変わらない」
この言葉を、もう一度、心に刻んでみてください。
人生が不遇だからと親のせいにしたり、愚痴や不平不満を垂れることは、論理的に考えても、そして、感情的に考えても、得るものが何もない、むしろ失うものの方が多い、愚かな行為なのです。
■「運」を味方につけるための、賢い選択
では、どうすれば、この「運」という、なんだか掴みどころのないものと、うまく付き合っていけるのでしょうか?
それは、まず、「自分にはコントロールできないこと」と「自分にはコントロールできること」を、しっかりと区別することです。
遺伝子や、生まれ育った家庭環境、過去の出来事などは、基本的に、私たち自身ではコントロールできません。これらに固執して、不満を言っても仕方がありません。
一方で、私たちは、今の自分の感情、考え方、そして、そこから生まれる行動を、ある程度コントロールできます。そして、未来に向けて、どのような情報を取り入れ、どのようなスキルを身につけ、どのような人間関係を築いていくか、といったことも、自分で選択できます。
例えば、境界知能と呼ばれる状態にある人が、教科学習で困難を抱えやすいという事実を知ったとします。ここから、「自分は勉強ができない人間だ」と諦めるのではなく、「どうすれば、自分でも理解しやすい学習方法が見つかるだろうか?」「どんなサポートがあれば、学習が進めやすくなるだろうか?」と、前向きに考え、具体的な行動を起こすことが大切です。
それは、例えば、専門機関に相談したり、自分に合った学習教材を探したり、得意な分野を伸ばすことに注力したり、といったことです。
■「才能」ではなく、「努力」と「継続」の価値
私たちが「才能」と呼んでいるものの中には、実は、幼い頃からの「努力」と「継続」によって培われたものも、たくさん含まれています。
例えば、ある分野で卓越した能力を発揮している人を見て、「すごい才能だな」と思うことがあります。しかし、その裏には、誰にも見られていないところで、何時間も、何年も、練習を続けてきた時間があるかもしれません。
もちろん、生まれ持った素質があるかないかは、スタート地点に影響します。しかし、その素質をどれだけ伸ばせるかは、その後の本人の努力と継続にかかっています。
そして、たとえ生まれ持った素質が「普通」だったとしても、人並み以上の努力と継続を続ければ、その分野で目覚ましい成果を上げることは十分に可能です。
「才能がないから、頑張っても無駄」という考え方は、あまりにも視野が狭すぎます。
■「不平不満」という名の、自分への裏切り
親のせいにしたり、環境のせいにしたり、愚痴や不平不満を垂れたりすることは、結局のところ、自分自身の可能性を閉ざしてしまう行為です。
それは、まるで、自分自身を裏切っているようなもの。
「私は、これ以上成長しません」
「私は、このままの自分で満足です」
そう宣言しているようなものです。
もちろん、誰だって、時には落ち込んだり、愚痴を言いたくなったりします。それは、人間として自然な感情です。しかし、それを「いつまでも」続けてしまうことが問題なのです。
■成功の定義を、自分で決める勇気
私たちは、社会から「成功」とされるイメージに、無意識のうちに影響を受けています。高収入、高い地位、有名になること…これらが、あたかも「成功」の唯一の基準であるかのように。
しかし、本当にそうでしょうか?
人生の豊かさは、お金や名声だけで測れるものではありません。
例えば、
毎日、家族と笑顔で食卓を囲めること
趣味に没頭できる時間があること
困っている人を助けられたこと
新しいことを学んで、成長を実感すること
これらも、立派な「人生の豊かさ」であり、「成功」と言えるのではないでしょうか。
「才能がないから、こんな人生しか送れない」と決めつけるのではなく、自分にとっての「幸せ」や「豊かさ」とは何か、そして、それを実現するために、今の自分にできることは何だろうか?と、問い直してみることが大切です。
■「愚か」という言葉の、本当の意味
人生が不遇だからと親のせいにしたり、愚痴や不平不満を垂れたりすることが「愚か」である、と断言しました。この言葉は、少し強いかもしれません。
しかし、ここで言う「愚か」とは、知能が低いという意味ではありません。
それは、
■自分の力で変えられないことに固執し、エネルギーを浪費すること■
■現在の状況を改善するための、建設的な行動を取らないこと■
■自分自身の可能性を、自ら否定してしまうこと
これらの行動が、客観的に見て、自分にとって何の利益ももたらさず、むしろ不利益を招くものである、という合理的な判断に基づいた言葉です。
もし、あなたが今、不満や愚痴を抱えているなら、一度立ち止まって考えてみてください。
その不満や愚痴は、あなたの人生を、より良くするために、本当に役立っていますか?
それとも、あなたを、過去や現状に縛り付け、未来への一歩を妨げていますか?
■未来は、あなたの「今」の選択で創られる
才能が遺伝子や環境で決まる、というのは、あくまで「スタート地点」や「伸びしろ」に関する事実です。しかし、その後の人生をどう生きるか、どのような幸せを見つけるか、は、あなた自身の選択にかかっています。
親を恨んだり、環境を呪ったり、愚痴ばかり言ったりする人生は、確かに楽かもしれません。でも、それは、まるで、誰かに操られている人形のような人生です。
自分で自分の人生の舵を取り、前に進む勇気を持つこと。
それが、たとえ「才能」に恵まれていなかったとしても、あなた自身の力で、より豊かで、より幸せな人生を創り出すための、唯一の方法なのです。
だから、今日から、不満や愚痴を言う時間を、ほんの少しでも、自分のための行動に充ててみませんか?
例えば、
興味のある分野について、本を1ページ読んでみる
新しいスキルを学ぶための、オンライン講座を調べてみる
健康のために、軽い運動を5分だけしてみる
感謝している人に、メッセージを送ってみる
小さな一歩でも構いません。その一歩が、あなたの未来を、確実に変えていきます。
才能が、遺伝子や環境によってある程度決まっているというのは、紛れもない事実です。しかし、だからといって、あなたの人生がそこで終わるわけではありません。むしろ、その事実を受け入れた上で、今、あなたにできることに目を向けることが、本当の意味で、あなたを自由にし、より豊かな人生へと導いてくれるのです。

