デザインの話でせつなくて忘れられないのは、広告の本に載っていた紅茶缶のエピソード。1990年代、Pekoe(ピコー)という紅茶がサントリーから発売された。机に飾りたくなるほど完璧な美しいデザイン。美しすぎてゴミ箱に捨てづらい。だから売上が芳しくなかった。少し野暮ったくして作り直したらよく売れるようになった。自販機で売られる紅茶缶は、ゴミ箱にポイと捨てられるためにある。検索すると本当に流麗で端正なデザインの缶が出てくる。フォントも色合いも完璧。映画ポスターもそうだね。
— こりま (@korimakorima) May 25, 2026
■デザインの「美しさ」と「役割」、そして「消費」の心理学
突然ですが、皆さんは「Pekoe(ピコー)」という紅茶缶をご存知でしょうか? 1990年代にサントリーから発売されていた、あの美しい紅茶缶です。ある方によると、このピコーの缶があまりにも美しすぎたために、机の上に飾っておきたくて、なかなかゴミ箱に捨てられず、結果として売れ行きが芳しくなかった、というエピソードが紹介され、大きな話題となりました。さらに、後にデザインが少し「野暮ったく」変更された缶は、驚くほどよく売れるようになったというのです。この話を聞いて、「え、デザインが良いと売れないなんてことあるの?」と疑問に思われた方もいるかもしれません。しかし、ここには私たちの消費行動やデザインに対する心理、そして経済的な側面が深く関わっています。今回は、このピコーのエピソードを起点に、デザインの「美しさ」と「役割」のバランス、そして「消費」されるモノのデザインについて、心理学、経済学、統計学といった科学的な視点から深く掘り下げていきましょう。
■「捨てる」という行為の心理的ハードル
まず、ピコーの缶が「机に飾りたくなるほど完璧な美しいデザイン」であったために、ゴミ箱に捨てづらかった、という点に注目してみましょう。これは、人間の心理における「保有効果(Endowment Effect)」や「美的評価」と深く関係しています。保有効果とは、一度自分のものになったものに対して、本来の価値以上に愛着を感じ、手放すことを惜しむ心理現象です。ピコーの缶は、そのデザインの美しさから、単なる「一時的な容器」という認識を超え、一種の「所有物」あるいは「装飾品」としての価値を無意識のうちに与えられてしまったのかもしれません。
さらに、美しく完成されたデザインは、私たちの「美的感覚」を強く刺激します。心理学では、美しさや調和のとれたデザインは、心地よさや満足感をもたらすことが知られています。しかし、この「心地よさ」が、本来の商品の「役割」である「消費され、そして捨てられる」というプロセスを阻害してしまったのです。
ここで、佐藤雅彦氏の著書にも触れられているという「自販機で売られる紅茶缶は、ゴミ箱にポイと捨てられるためにある」という考え方は、非常に示唆に富んでいます。これは、商品の「ライフサイクル」における「消費後の処理」までをデザインの一部として捉える視点です。つまり、自販機で飲料を購入する消費者は、その飲料を飲み終えた後、すぐに「捨てる」という行動をとることを前提としています。その「捨てる」という行為を躊躇させてしまうようなデザインは、たとえそれがどれほど美しくても、消費者の行動を妨げ、結果として商品の販売戦略において「失敗」と見なされかねないのです。
統計学的に見れば、この現象は「購買後行動(Post-purchase behavior)」における「廃棄行動(Disposal behavior)」の阻害要因として捉えることができます。通常、商品の購入決定要因(価格、味、ブランドイメージなど)だけでなく、購入後の満足度や、それに付随する行動(リピート購入、口コミ、廃棄方法など)も、商品の長期的な成功には不可欠です。ピコーの場合、デザインの美しさという「購入決定要因」は満たしていたかもしれませんが、その後の「廃棄行動」を非効率にしてしまったことが、売れ行きに影響を与えたと推測できます。
■「日常性」というデザインの鍵
他のユーザーから寄せられた「初期ピコーのデザインは、本場イギリスの紅茶ブランドと言われても信じてしまいそうな、綺麗で洗練されたデザイン」であったという意見や、「日常的に消費されるモノのデザインというのが肝」であるという指摘も、この議論を深める上で非常に重要です。
経済学における「消費財(Consumer goods)」の分類を考えると、ピコーのような紅茶缶は、日常的に消費される「日用品(Daily necessities)」に近い性格を持っています。日用品のデザインにおいては、その「機能性」や「利便性」、そして「日常との親和性」が重視される傾向があります。高級ブランドのような、非日常的で特別な体験を提供するデザインとは異なり、日用品は「生活の一部」として溶け込むことが求められます。
ピコーの初期デザインは、その洗練さゆえに、かえって「日常性」から浮いてしまったのかもしれません。まるで、普段使いのマグカップに、高級レストランで使われるような繊細なクリスタルのグラスを持ってくるような違和感です。消費者は、無意識のうちに、その商品が「どのような場面で、どのように使われるべきか」という文脈でデザインを評価しています。ピコーの缶は、その文脈において、あまりにも「特別」すぎたのです。
また、「缶入り飲料はジーパンと同じ」という例えも、この「日常性」と「ターゲット層」という観点から非常に的確です。ジーパンが、労働者の作業着からファッションアイテムへと変化したように、缶飲料も、当初の「手軽に飲めるもの」という位置づけから、多様なブランドやデザインが登場しました。しかし、それでもなお、多くの缶飲料には「日常性」や「手軽さ」という側面が強く残っています。そこに、あまりにも「高級感」や「芸術性」を前面に出したデザインを持ってきてしまうと、ターゲット層との間に「ちぐはぐ」な印象が生じ、購買意欲を削いでしまう可能性があります。
「工場労働者の若者がピコーを飲んでいると、同僚から『おっ高尚なもん飲んでるな!』とからかわれた」というエピソードは、まさにこの「ターゲット層との乖離」を物語っています。商品は、そのターゲット層に受け入れられる「ペルソナ」を意識してデザインされる必要があります。ピコーのデザインは、そのペルソナ(例えば、洗練されたライフスタイルを志向する層)にとっては魅力的でも、より広範な層、あるいは想定されるターゲット層にとっては、やや敷居の高い、あるいは「自分には似合わない」と感じさせてしまう要素があったのかもしれません。
■「役割のデザイン」と「美しさ」のジレンマ
ここまでの議論から、「デザインの役割」と「美しさ」のバランスが、商品の成功を左右する重要な要素であることが浮き彫りになってきました。
経済学でいう「効用(Utility)」という概念で考えてみましょう。消費者は、商品から得られる「効用」を最大化しようとします。この効用には、機能的な満足(喉が潤う、おいしいなど)だけでなく、感情的な満足(デザインの美しさ、所有欲を満たすなど)も含まれます。ピコーの場合、デザインの美しさは「感情的な満足」を高く提供しましたが、それが「機能的な満足」(手軽に消費して捨てる)を阻害してしまい、トータルの効用としては、必ずしも最大化されなかった、と解釈できます。
「個人の感性だけで見た目のよさだけを追求すると商品としてはだめなデザインになる」という意見は、まさにこの「主観的な美」と「客観的な商品としての機能・役割」の乖離を示しています。デザイナーや企画担当者が、自身の美的感覚に偏りすぎてしまうと、市場のニーズや消費者の行動様式から外れたデザインを生み出してしまうリスクがあるのです。
ローソンのPB商品デザインの話題や、ビルの消防設備のデザインがそれで押し通されている場合があるという指摘も、この「役割のデザイン」の重要性を示唆しています。消防設備は、その「機能」が最優先されるべきものであり、デザイン性が多少劣っていても、その役割を果たせるのであれば許容されます。しかし、ピコーの場合は、デザイン性が「高すぎた」ために、本来の役割を果たす上での「障壁」となってしまったのです。
■「捨てやすさ」という隠れたデザイン要素
この議論で最もユニークかつ本質的なのは、「捨てる」という行為そのものが、デザインの考慮すべき要素である、という視点です。これは、「ユーザビリティ(Usability)」という言葉を、より広範な意味で捉え直すことを求めています。
通常、ユーザビリティは「使いやすさ」に焦点が当てられますが、消費財においては、その「使い終わった後の使いやすさ」、つまり「捨てやすさ」も、ユーザー体験の一部として考慮されるべきでしょう。捨てる際の分別、ゴミ袋への収まりやすさ、かさばらないことなど、消費者が「捨てる」という行為をスムーズに行えるような配慮が、デザインに含まれるべきなのです。
伊藤園のミュシャ絵シリーズや、キリンファイアの炎の形にエンボス加工された缶の例は、この議論にさらなる広がりを与えます。「飾る用に買ってしまった」という声は、デザインの美しさが購買意欲を刺激する側面も確かに持っていることを示しています。これは、デザインが「消費」だけでなく、「収集」や「鑑賞」といった、別の「役割」を担う可能性を示唆しています。しかし、これらの例は、あくまで「例外」あるいは「付加価値」としての側面が強いと言えるでしょう。一般的な缶飲料のように「日常的に消費され、すぐに捨てられる」という文脈では、やはり「捨てる」という行為への配慮が重要になってきます。
■「完璧」より「隙」が愛される理由
最終的に、この議論が「美しさだけでは届かない、“役割のデザイン”って深い」という結論に達したのは、まさにその通りだと思います。さらに、「百円のお菓子は百円の顔をしていなくてはならない」という教えや、「売れたり愛されるためには完璧よりもすこし遊びやゆとり、隙がある方がいいこともある」という意見は、デザインが持つべき「バランス」と「人間味」について、深い洞察を与えてくれます。
心理学的に見ると、「完璧すぎない」デザインには、人間が親しみを感じやすいという側面があります。完璧すぎるものは、時に近寄りがたく、畏敬の念を抱かせますが、どこか「隙」や「個性」が見えるものには、共感や親近感を抱きやすいのです。これは、人間の「不完全さ」への受容や、多様性への肯定とも関連しているかもしれません。
経済学的な視点でも、過度に洗練されすぎたデザインは、ターゲット層によっては「高すぎる」「自分には合わない」という心理的障壁を生み、結果として市場シェアを限定してしまう可能性があります。「百円のお菓子は百円の顔をしていなくてはならない」というのは、価格とデザイン、そしてターゲット層の期待値との整合性を示唆しています。
■まとめ:デザインは「機能」と「心理」の交差点
ピコーの紅茶缶のエピソードは、単なる「デザイン論」を超え、私たちの消費行動の根底にある心理や、商品が社会の中で果たすべき「役割」について、深く考えさせられるきっかけを与えてくれました。
デザインは、単なる「見た目の美しさ」を追求するだけでは、商品として成功することは難しいのです。そこには、商品の「本来の役割」、ターゲットとなる「消費者の心理」、そして「消費後の行動」までをも含めた、多角的な視点が必要です。そして、時には「完璧な美しさ」よりも、消費者の生活に自然と溶け込む「日常性」や、気軽に手に取って捨てられる「捨てやすさ」といった、「役割のデザイン」こそが、商品が売れ、愛されるための鍵となるのです。
皆さんも、次に何か商品を手にする際には、そのデザインがどのような「役割」を担っているのか、そしてそれがどのようにあなたの「心理」に働きかけているのか、ぜひ意識してみてください。きっと、普段見慣れている商品たちが、違った表情を見せてくれるはずです。デザインの深淵を覗く旅は、これからも続いていくのです。

