テクノロジーの世界には、目を奪われるような革新や、時に私たちを戸惑わせるような駆け引きが存在します。今日の話題は、まさにその両面を映し出す、ベンチャーキャピタル(VC)とスタートアップの評価を巡る、ちょっとした「事件」についてです。Mercorの共同創業者、Brendan Foody氏が、あの名だたるSequoia Capitalに対し、「デュアルプライシング」と呼ばれる、企業評価における不透明な操作を公然と批判したのです。この話、単なるビジネスの裏側というだけでなく、私たちが日々触れているテクノロジーの進化や、その礎となる資金調達の仕組みに、深く関わってくるものなのです。
■テクノロジーの輝きと、その裏側にある「評価」という名のゲーム
まず、「デュアルプライシング」とは一体何なのか、これを理解するところから始めましょう。Foody氏の指摘によると、Sequoiaは最近の6ヶ月間で、あたかも最高の条件で投資したかのように見せかけつつ、実際には異なる二つの評価額で資金を調達している、というのです。これだけ聞くと、「え、それってどういうこと?」と首を傾げる方もいるかもしれませんね。でも、これがテクノロジー業界、特にスタートアップの世界では、時に巧妙に、そして時に大胆に行われている手法なのです。
イメージしてみてください。あるスタートアップが、世界中から注目を集める、まさに「時の人」だとします。そのスタートアップが資金調達を発表する時、「シリーズBで10億ドルの評価額で7500万ドルを調達!」なんてニュースが飛び込んできます。これは、創業者にとっても、従業員にとっても、そして外部から見ても、その企業がどれだけ将来性があり、どれだけ成功しているかを示す、まさに「ヘッドライン」となる数字です。この「ヘッドライン評価額」は、優秀なエンジニアやデザイナーといった、才能ある人材を引きつけるための強力なフックになります。だって、皆、成長著しい、評価額10億ドル(日本円で1500億円以上!)の会社で働きたいと思うはずですよね。
しかし、Foody氏が問題視しているのは、この発表される「ヘッドライン評価額」の裏に隠された、もう一つの、そしてより現実的な評価額の存在です。彼が言う「デュアルプライシング」とは、VCファームが、同一の資金調達ラウンドの中で、実際には二つの異なる価格を設定している状態を指します。具体的には、大部分の資金は、ある程度の低い評価額で投資されます。しかし、その一方で、ごく一部の資金だけは、意図的に、驚くほど高い評価額で投資されるのです。
なぜこんなことをするのでしょうか?それは、先ほども触れた「ヘッドライン評価額」を、できるだけ高く見せるためです。VCファームは、この高い評価額を前面に押し出すことで、「我々は、この急成長中の企業に、これほど高い評価額で投資できるほど、先見の明があるのだ」とアピールできます。これは、他のVCファームとの競争において、優位に立つための戦略とも言えます。しかし、その一方で、VCファームが実際に投資した資金の「実質的な平均取得価格」は、発表されているヘッドライン評価額よりも、はるかに低い、という事実が隠蔽されてしまうのです。
■AIの進化と、評価額の乖離:ServalとAaruの事例
この「デュアルプライシング」が具体的にどのように行われているのか、いくつか例を見てみましょう。AI駆動のITヘルプデスク企業、Servalは、Sequoia主導で10億ドルの評価額で7500万ドルのシリーズB資金調達を発表しました。これは、まさに「AIの力でビジネスを革新する!」という、多くの人が夢見るようなシナリオです。しかし、The Wall Street Journalの報道によると、その数日前に行われたシリーズA延長ラウンドでは、Sequoiaが参加したにも関わらず、Servalの評価額は4億ドル未満だったというのです。
発表された10億ドルと、実際の4億ドル未満。この差、約2.5倍以上ですよね。これだけ大きな乖離があると、Foody氏が「不当操作」と批判するのも無理はないかもしれません。あたかも「10億ドルの企業だ!」と世間には映りますが、水面下では、もっと現実的な、あるいはもっと保守的な評価額で、大部分の資金が動いていた、というわけです。
同様の事例として、AIを活用した市場調査企業Aaruも挙げられています。この企業は、10億ドルのヘッドライン評価額で資金調達を発表しました。しかし、リード投資家であるRedpointは、4億5000万ドルの評価額で投資していたと報じられています。これもまた、発表された数字と、実際の投資額との間に、大きなギャップが存在することを示しています。
なぜ、このようなことがまかり通るのでしょうか?それは、テクノロジー、特にAIのような最先端分野への投資は、非常に競争が激しく、VCファームは常に「次のユニコーン」を見つけようと必死だからです。AIの進化は目覚ましく、その可能性は計り知れません。しかし、その一方で、将来の成功を正確に予測することは、極めて困難です。VCファームは、限られた投資機会の中で、最も有望な企業に資金を投じたいと考えます。そして、その過程で、企業を「大きく見せる」という、ある種の演出が行われることがあるのです。
■Sequoiaの反論:市場の現実への対応か、それとも…
もちろん、このFoody氏の批判に対して、Sequoia側も黙っているわけではありません。SequoiaのShaun Maguire氏は、Foody氏の「Sequoiaスキャム」という言葉に対して、「不公平だ」と反論しています。Maguire氏によると、このような「デュアルプライシング」が行われるのは、過去7年間で約5回ほど、特別なケースに限られるとのこと。
では、なぜそのような特別なケースで「デュアルプライシング」が行われるのか。Maguire氏の説明によれば、それは、他の投資家が、AIのようなホットな分野の企業に対して、VCファームが提示できる水準をはるかに超える高額な評価額を提示してくる場合がある、というのです。このような状況で、Sequoiaは、その有望な企業との関係性を維持するために、投資額を二つの「トランチ」(部分)に分け、異なる評価額で投資するという措置をとっている、と説明しています。
これは、VC業界では、長期的な関係性が非常に重要である、という現実に基づいた弁明と言えるでしょう。もし、Sequoiaが意図的に誤解を与えるような行動をとっているのであれば、それは健全なビジネスとは言えません。しかし、Maguire氏は、そのような意図的な欺瞞はしないと主張し、もしそのような事例があれば具体的に知りたい、と述べています。
Maguire氏の弁明は、この「デュアルプライシング」を、悪意ある「スキャム」ではなく、変化の激しい市場環境に柔軟に対応するための、ある種の「戦略」として位置づけています。つまり、「市場がこの価格で欲しがっているなら、それに合わせて一部投資しましょう。でも、我々としては、もう少し現実的な評価額で投資させてもらいますね」という、ある種の駆け引きなのです。
しかし、Foody氏が真に問題視しているのは、この「デュアルプライシング」によって、創業者たちが、低い評価額での投資を知らない他の投資家に対して、どのように説明しているか、という点です。つまり、外部から見れば「10億ドルの企業」として映るのに、実際には、その一部はもっと低い評価額で取引されている。この情報の非対称性が、関係者間に誤解を生む原因になっている、とFoody氏は訴えているのです。
■創業者、従業員、エンジェル投資家:それぞれの立場から見た「デュアルプライシング」
「デュアルプライシング」は、創業者、従業員、そしてエンジェル投資家といった、様々な関係者に異なる影響を与えます。
まず、創業者にとっては、高い「ヘッドライン評価額」は、企業を大きく見せ、優秀な人材を獲得するための強力な武器になります。優秀なエンジニアやプロダクトマネージャーは、成長著しいスタートアップで働くことを望んでいます。その際、評価額が10億ドルなのか、それとも4億ドルなのかというのは、彼らのモチベーションや、将来的なストックオプションの価値に直結する重要な要素です。
従業員への影響も無視できません。特に、ストックオプションが付与されている従業員にとっては、その価値が大きく変わってきます。評価コンサルタントのJason Woo氏が指摘するように、従業員向けのストックオプションは、本来、全ての投資トランチを合算した「ブレンドバリュー」(平均的な価値)に基づいて算定されるべきです。しかし、もし発表されている「ヘッドライン評価額」のみが強調され、低い評価額での投資の実態が隠蔽されると、従業員は自身のストックオプションの真の価値を過大評価してしまう可能性があります。
これは、409A評価(従業員ストックオプションの価格算定に用いられる)という、企業の公正な価値を反映するための仕組みがあるにも関わらず、現実には、企業側の税負担を軽減するために、意図的に低めに評価される傾向がある、という複雑な事情も絡んできます。つまり、従業員が受け取るストックオプションの「購入価格」は、本来もっと高いはずなのに、便宜上、低く設定されている、というケースもあるのです。
エンジェル投資家への影響は、さらに複雑です。従業員とは異なり、エンジェル投資家は実際に資金を投じる立場にあります。彼らが創業者から提示される評価額を、そのまま企業の「実態」として受け止める場合、「デュアルプライシング」は、創業者からエンジェル投資家への情報伝達において、より大きな誤解を生む可能性をはらんでいます。彼らは、自分たちが投じた資金が、一体どれくらいの「本当の価値」で取引されているのか、正確に把握できないまま、投資を決定してしまうかもしれません。
■テクノロジー業界の「演出」:デュアルプライシングだけではない
「デュアルプライシング」は、VCや創業者たちが、競争の激しい市場で成功を演出するための一つの手段に過ぎない、とFoody氏やWoo氏の指摘は示唆しています。テクノロジー業界、特にスタートアップの世界では、他にも様々な「演出」や「駆け引き」が行われているのです。
例えば、年間経常収益(ARR)の操作や誇張といった手法も横行していると言われます。VCのNiko Bonatsos氏が、最近のイベントで語っていた話が印象的でした。彼は、しばしば「突然収益が急増した」という説明と共に、極めて高いARRが提示される事例に遭遇すると言います。これは、あたかも企業が爆発的な成長を遂げたかのように見せかけるための、巧妙な「ストーリーテリング」の一種かもしれません。
テクノロジーの進化は、私たちの生活を豊かにし、ビジネスのあり方を根本から変えています。AI、クラウドコンピューティング、ブロックチェーン、IoT… これらの技術は、まさに未来を形作る原動力です。しかし、その裏側では、これらの技術を基盤とする企業への投資を巡り、VCファームとスタートアップの間で、常に熾烈な駆け引きが行われています。
「デュアルプライシング」は、そのような駆け引きの一端を垣間見せる事例であり、投資家、創業者、そして従業員といった関係者全員が、情報の非対称性や、巧妙な「演出」に注意を払う必要性を示唆しています。Brendan Foody氏のような、率直な批判が、この業界の透明性を高める一助となることを期待したいですね。
Foody氏は、これ以上のコメントを拒否し、Sequoiaも本件に関するコメント要請にすぐには応じなかった、とのことです。この一件が、今後、テクノロジー業界における企業評価のあり方や、VCとスタートアップの関係性にどのような影響を与えていくのか、注目していきたいと思います。私たちが日々触れているテクノロジーは、このように、様々な人間ドラマや、複雑なビジネスの駆け引きの上に成り立っているのです。このことを理解することは、テクノロジーをより深く、そして多角的に楽しむための、また一つの視点を与えてくれるのではないでしょうか。

