ラヴ上等かずくんの傷害事件と美化炎上!殺人未遂レベルの過去を許すな

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最近、ネットフリックスで配信されているリアリティ番組『ラヴ上等』シーズン2をめぐって、SNSがものすごい盛り上がり、というか炎上状態になっていますよね。出演しているメンバーの過去の素行や犯罪歴が掘り起こされ、特に「かずくん」こと塩田一馬さんが作中で語った「人に火をつけて全身大火傷させたことがある」という過去の傷害事件について、ネット上では猛烈な批判と疑問の声が飛び交っています。人を燃やすという取り返しのつかない重大な加害行為をした人物が、番組内で身の上話などを通して共感を集めたり、ちょっと美化されたりしているように見えることに対して、「これはどういうことなんだ」と納得がいかない人が続出しているわけです。

一方で、これと比較して別の出演者である「坊」という人物は、浮気相手にキレて一度手を上げたという過去があるのですが、こちらはずっと執拗にネットで非難され続けています。これを見た視聴者から、「人間を燃やすという凶悪な犯罪よりも、女性を殴ったことの方が圧倒的に重く扱われるのはなぜなのか」「結局は顔の良さやキャラクターの愛嬌だけで評価が決まっている不条理な世界線なのではないか」という疑問や、坊に対する不憫さを訴える声もたくさん上がっています。番組のコンプライアンスや倫理観、さらにはメディアが犯罪歴のある人をどう扱うべきかという大きな議論にまで発展していて、スタジオの出演者が涙を流すシーンに対しても「被害者の苦痛を無視している」と冷ややかな視線が向けられています。元暴走族や犯罪歴のある人をエンタメとして消費するこの風潮について、心理学や経済学、統計学といった科学的なレンズを通して、一体私たちの脳や社会で何が起きているのかをじっくり紐解いていこうと思います。

●私たちが犯罪者をエンタメで消費してしまう心理的メカニズムの正体

まず最初に考えてみたいのは、なぜテレビやネットの番組は、あえて危なっかしい過去を持つ人や反社会的ともとれる経歴の持ち主をキャスティングし、そして私たちはそれを見てしまうのかという問題です。これには心理学の分野でよく知られている「認知バイアス」や「ハロー効果」、そして進化心理学的な視点が深く関わっています。

人間は本来、生存と繁殖を有利に進めるために、危険な人物や予測不可能な人物を本能的に注視してしまう性質を持っています。大昔の環境において、周囲にいる危険な個体の動向を把握することは、自分が生き残るために最も重要な情報でした。つまり、私たちの脳は「スキャンダラスな情報」や「逸脱した行動」に対して、ドーパミン報酬系が刺激されやすいようにあらかじめプログラミングされているのです。ニュースで殺人事件や不祥事が大々的に報じられると、つい詳細まで追ってしまう「ネガティブ・バイアス」と呼ばれる現象もこれと同じ根っこにあります。

さらに、心理学における「ハロー効果」もこの状況を説明するのにぴったりです。ハロー効果とは、ある対象の目立った特徴(例えば、ルックスの良さ、ユーモアのセンス、あるいは悲惨な生い立ち)に引きずられて、その人物の他の側面(道徳性や犯罪歴の重さなど)まで過大評価してしまう現象を指します。番組内では、かずくんの過去の壮絶な家庭環境や、そこから這い上がろうとする姿がストーリーとしてドラマチックに描かれます。人間は「ナラティブ(物語)」に非常に弱い生き物です。「つらい過去があったからこそ、今の彼があるんだ」というストーリーを脳内で勝手に補完してしまうことで、人間を大火傷させたという客観的な事実の持つ重みが、感情のフィルターによって薄められてしまうわけです。

統計学や行動経済学の実験でも、人は論理的なリスク評価よりも、目の前で展開される感情的なエピソードや視覚的な魅力を優先して判断を下してしまう傾向があることが何度も証明されています。これを「感情ヒューリスティック」と呼びますが、私たちは複雑な倫理的判断をするとき、面倒くさいので「この人はなんとなくカッコいいから許せる」「この人は気に入らないから徹底的に叩こう」という感情のショートカットを使ってしまうのです。この脳の仕組みを熟知しているメディアの制作者たちは、視聴者のこの感情的スイッチをうまく押すような編集を行い、議論を生むことでビュー数や話題性を稼ぎ出していると言えます。

●なぜ「女性への暴力」と「他人への重傷被害」で世間のバッシングの温度差が生まれるのか

今回の炎上で最も多くの人がモヤモヤしているポイントの一つが、浮気相手に手を出した「坊」に対する執拗なバッシングと、全身大火傷を負わせた「かずくん」に対する擁護やスルーの温度差です。客観的な被害の大きさや罪の重さで考えれば、他人の体に火をつける行為の方が圧倒的に凶悪であり、法的な刑罰も重いはずです。それなのに、なぜSNSの世論はこれほどまでに歪んで見えるのでしょうか。

ここには、経済学の「フレーミング効果」や、社会心理学における「内集団びいき」、そしてジェンダーやセクシズムに関する現代的な感度の変化が複雑に絡み合っています。

まずフレーミング効果についてですが、情報はどのように提示されるかによって、受け手の印象が180度変わります。「浮気した相手にカッとなって手を上げた」というエピソードは、現代社会において非常に敏感に反応される「ドメスティック・バイオレンス(DV)」や「ジェンダーに基づく暴力」というフレームにきれいに入り込んでしまいます。SNS上では、女性に対する暴力やモラルハラスメントに対して非常に厳しい目が向けられるトレンド(キャンセルカルチャーの文脈も含めて)があり、この文脈に少しでもかすった人物は、一網打尽に叩かれるターゲットになりやすいのです。統計的に見ても、SNSのユーザー層や発言力の強い層の間では、ハラスメントやモラル違反に対する不寛容さが年々高まっており、これが「坊」に対する強いバッシングとなって現れています。

一方で、「人に火をつけた」という過去は、あまりにもスケールが大きすぎて、逆に私たちの日常生活のリアルな延長線上で想像しにくいという側面があります。さらに、それが「昔のヤンキー文化」や「抗争」といった特殊な文脈の中で起きたこととして語られると、視聴者はそれを「自分とは全く違う世界の話(フィクションのようなもの)」として処理してしまいがちです。経済学で言うところの「スコープ・インセンティブ(範囲の無感覚)」に似た現象で、被害が巨大すぎる、あるいは日常からかけ離れすぎていると、人間はその深刻さを正確に直感できなくなるのです。

また、心理学の「公正世界仮説」というものも参考になります。これは「世界は公正であり、人はその行いに応じた報いを受けるべきだ」と信じたい人間の心理的欲求を指します。坊のケースでは、「浮気をした」「女性に手を上げた」という分かりやすい悪行が提示されることで、「だから叩かれて当然だ」という因果応報のストーリーが視聴者の中で簡単に成立します。しかし、かずくんのケースでは、本人がすでに反省している様子を見せたり、別の魅力的なキャラクターを見せたりすることで、過去の悪事と現在の評価の間に認知的不協和が生じます。この不協和を解消するために、人間は「もう過去のことだから」「彼は変わったんだから」と無理やり正当化するか、あるいは「いや、やっぱり許せない」と激しく怒るかのどちらかに分かれることになります。

●メディアのモラルと私たちが消費するコンテンツの経済学

このようなリアリティ番組が次々と過激なキャスティングを行い、私たちを熱狂させる背景には、現代のメディア経済学における「アテンション・エコノミー(注意の経済)」の仕組みが深く関係しています。

現代において、最も価値がある資源は「お金」ではなく、人々の「時間と注意(アテンション)」です。無数にあふれる動画配信サービスやSNSの中で、視聴者のスクロールする指を止めさせ、画面に釘付けにするためには、平穏で道徳的なコンテンツよりも、倫理的なグレーゾーンを描いたものや、強烈なインパクトを持つキャラクターが登場するコンテンツの方が圧倒的に有利です。炎上それ自体が、現代のデジタルマーケティングにおいては強力な広告塔として機能してしまうという残酷な経済的合理性がそこにあります。

制作側としても、ただ仲良く暮らしているだけの平和な映像では話題になりにくく、サブスクリプションの解約率を上げてしまうリスクがあります。だからこそ、少し危なっかしいバックグラウンドを持つ人物をあえて投入し、視聴者の間で「こいつは許せるのか、許せないのか」という議論(モラル・パニック)を意図的に巻き起こすことが、ビジネス上の戦略として非常に合理的になってしまうのです。

しかし、ここで統計学的なリスク管理や社会的影響を考えると、大きな問題が見えてきます。メディアが犯罪歴のある人物や暴力的な過去を持つ人物を「魅力的なサバイバー」として過度に抽出し、感動的なストーリーに仕立て上げて発信することは、模倣犯の心理に少なからず影響を与えます。「犯罪を犯しても、反省してテレビで泣き落としをすれば、いつか許されて人気者になれるかもしれない」という歪んだインセンティブ構造を社会全体に植え付けてしまう危険性があるからです。行動経済学における「ナッジ理論」の逆を行くようなもので、社会の倫理的基準をじわじわと引き下げてしまう効果(モラル・ハザード)が懸念されます。

●私たちがこの炎上から学び、冷静に直視すべきこと

ここまで、『ラヴ上等』をめぐる炎上騒動について、心理学、経済学、統計学などの科学的な見地を交えながら掘り下げてきました。私たちがつい夢中になってネットの意見を追いかけたり、出演者に対して怒りを感じたり、あるいは同情したりする背後には、人間の脳に組み込まれた進化上のバイアスや、現代のメディア環境が作り出す巧妙な経済的罠がしっかりと存在していることが見えてきたかと思います。

テレビや配信番組は、私たちの感情を揺さぶり、エンタメとして楽しませてくれる一方で、時には倫理的な境界線を曖昧にし、重罪の記憶すらも消費可能なコンテンツに変換してしまう力を持っています。被害者の存在や、社会的なルールの重要性を忘れて、画面の向こうのキャラクターの「顔の良さ」や「ストーリーの面白さ」だけに囚われてしまうのは、まさに私たちの脳が仕掛けられた罠に綺麗にハマっている状態と言えるでしょう。

だからこそ、こうしたエンタメに触れるときには、ただ感情的に「許せない」「かわいそうだ」と流されるのではなく、「今、自分の脳はどのようなバイアスにかかっているだろうか」「この番組の制作者は私にどんな感情を抱かせようとしてこの編集をしているのだろうか」と、一歩引いてメタ認知する視点を持つことがとても大切です。

SNSのタイムラインに流れてくる激しい批判や擁護の声を鵜呑みにするのではなく、その背景にある社会の仕組みや人間の心理のメカニズムをクールに理解すること。それこそが、情報洪水のような現代社会を賢く、そして流されずに生き抜くための強力な武器になります。次に画面の向こうのドラマチックなストーリーや炎上劇を目にしたときは、ぜひこの科学的な分析の視点を思い出して、自分の頭でじっくりと善悪や構造を考えてみるようにしてみてくださいね。きっと、今までとは違った景色が見えてくるはずですし、自分自身の感情のコントロールもうまくできるようになるはずです。

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