職場の兵馬俑事件から見えた現代人の恐ろしい教養格差と無知が恥ずかしくない理由

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会社で新入社員が発した「これ、兵馬俑(へいばよう)みたいですね」という一言。それに対して、周りの社員全員が「何それ、聞いたことない」と失笑してしまい、新入社員が泣きそうになってしまったというエピソード、みなさんはこれを聞いてどう感じますか。知っている人からすれば「えっ、中国の始皇帝のあれだよ、学校で習ったでしょ!」と驚くでしょうし、逆に言われた側からすれば「そんなマイナーなもの出してきて、知ってるこっちを馬鹿にするなんてイヤな職場だな」と感じるかもしれません。この小さな職場のワンシーン、実は現代の心理学や経済学、そして統計学のレンズを通してじっくり観察してみると、私たちが普段いかに無意識のバイアスに囚われて生きているか、そして人間関係や組織のコミュニケーションがいかに脆弱な基盤の上になり立っているかがハッキリと見えてくるんです。今回はこの事件をダシにして、私たちの頭の中で何が起きているのか、科学的なファクトをベースに思いっきり深掘りしていきましょう。

■みんなが知っているは本当か、同調圧力と知識の統計学

まず最初の論点として、周りの社員全員が「兵馬俑なんて誰も知らない」と返したという現象について考えてみましょう。統計学や社会心理学の視点から見ると、この「全員が知らない」という状況は非常に興味深いデータを示唆しています。本当に会社にいる全員が、秦の始皇帝の墓から発掘されたあの等身大の兵隊たちの像を知らなかったのでしょうか。確率論的に考えて、日本で育ち義務教育を受けた大人たちが集まったとき、全員が完全にその知識を持ち合わせていないという確率は、実はそこまで高くありません。

ここで登場するのが、社会心理学における有名な実験、アッシュの同調実験です。心理学者のソロモン・アッシュは、被験者たちに明らかに長さの違う線のどれが同じかを答える簡単なテストを行いました。サクラがわざと間違った答えを言うと、本物の被験者も周りに流されて、本当は間違っていると分かっているのにサクラと同じ間違った答えを選んでしまうという現象が起きました。人間には、集団の意見や空気に逆らいたくない、みんなと同じでありたいという強烈な心理的欲求が存在するのです。

今回の職場のケースにこれを当てはめてみると、もしかしたら最初に「何それ、聞いたことない」と言った影響力の強い人や、職場のボス的存在がいて、その人の意見に他の人たちが無意識に同調してしまった可能性があります。あるいは、誰か一人は「知っているけれど、ここで知っていると言ったら空気が悪くなりそうだから黙っておこう」と沈黙を選んだかもしれません。統計的に見れば、集団のサイズが大きくなればなるほど、その場の空気や規範に個人の意見が埋没する「集団浅慮」という現象が起きやすくなります。誰もが本当は知っていたかもしれないのに、「この会社では知らないことが標準である」という奇妙な同調圧力がその場の空気を作り出してしまった。科学的に見ると、この職場は個人の知識の欠如というよりも、集団が持つ同調バイアスによって正確な情報共有が阻害されている、ちょっと危うい状態にあると言えそうです。

■無知の恐怖と知性の防衛機制、なぜ人は知らないことを攻撃してしまうのか

次に、SNS上で最も大きな議論を呼んだ「なぜ、物事を知らない側が、知っている側を逆に笑ったりマウントを取ったりするのか」という逆転現象について、心理学の観点からメスを入れてみましょう。新入社員の比喩に対して「知らないほうが普通だ」「そんなの誰も知らない」と逆にマウントを取り返す心理の裏側には、人間の脳が持つ強烈な防衛本能が隠されています。

心理学において、人間は自分の認知の不協和、つまり「自分が持っている世界観や知識の限界」につきつけられたとき、強いストレスを感じることが知られています。自分にとって未知の概念、あるいは自分が今まで知らなかった事実を他人が提示してきた瞬間、人間の脳はそれを「知的好奇心の対象」として歓迎するよりも、「自分のアイデンティティや自尊心が脅かされた」と誤認することがよくあります。これを心理学用語で「防衛機制」と呼びます。

自分が知らないことを素直に認めて、「教えて、それって何なの?」と聞くことは、一時的に自分の無知を受け入れる行為であり、プライドが高い人にとっては非常に痛みを伴います。その痛みを避けるために、人間の脳は防衛策として「相手の知識のほうがおかしい」「そんなマニアックなことを知っているあいつが変人なんだ」と、相手を貶めることで自分の優位性を保とうとするのです。経済学の行動経済学でも「保有効果」や「ステータス・クオ・バイアス」という概念があり、人間は自分が今持っている状態や知識を過大評価し、そこから外れるものを排除しようとする傾向があることが証明されています。

要するに、職場の人たちが新入社員を笑ったのは、新入社員を攻撃したというよりも、「自分たちが知らないという事実によって生じた心の傷」を癒すための反射的な防衛行動だったわけです。知らないことは恥ずかしいことではないはずなのに、現代のギスギスした社会においては、「知らないことを知ったかぶりする」あるいは「知っている人を攻撃して自分の無知を正当化する」という不毛なコミュニケーションが横行してしまっています。これは個人の性格の悪さというよりも、誰もが安心感を求めてピリピリしている現代社会の心理的エコシステムが作り出した悲しいバグだと言えるでしょう。

■義務教育の幻影と知識の非対称性、私たちは何をどこまで共有しているのか

さらに、世代間ギャップや義務教育の役割についても、経済学的・統計学的な視点から考察してみましょう。SNSの議論の中には、「中学校の歴史の教科書に載っているはずだ」「義務教育をどこに置いてきたのか」という、共通の教育を受けたはずなのだから知っていて当然という前提に立った意見が多く見られました。しかし、ここに大きな落とし穴があります。経済学や情報理論で使われる「情報の非対称性」という言葉がありますが、これは人間同士の間で持っている情報や知識の量・質が均等ではないという現実を指します。

私たちは「すべての人は同じような教育を受けているはずだ」というナイーブな思い込みを持ちがちですが、実際には教育カリキュラムの改訂、個人の興味関心の偏り、記憶の定着率の個人差などによって、大人になった私たちが共有している「常識のプール」は驚くほどバラバラです。統計データを見ても、人間の脳は必要のない情報をどんどん忘れていくようにできています。エビングハウスの忘却曲線が示すように、人間は学習した内容の大部分を短時間で忘れてしまう生き物です。中学生のときに歴史の授業で兵馬俑について習ったとしても、その後の人生でそれに触れる機会が一度もなかった人にとっては、脳の引き出しの奥底の奥底に埋もれてしまい、二度と取り出せない記憶になっていても何ら不思議ではありません。

ここで経済学の「人的資本」の概念を思い出してみましょう。私たちが学校で得た知識や、社会に出てから獲得した教養は、すべて個人の「人的資本」の一部です。しかし、この人的資本のポートフォリオは人によって全く異なります。ある人は数字や経済のデータに異常に強い一方で歴史の固有名詞は全く覚えていないかもしれないし、別の人はサブカルチャーや歴史の知識にめちゃくちゃ強い一方で税金の仕組みを全く知らないかもしれません。職場という限られた空間に集まった人間たちは、それぞれ全く異なる人的資本のポートフォリオを持った他人の集まりにすぎません。

それにもかかわらず、私たちは「これくらいの常識は知っていて当たり前だ」という自分自身の基準を他人に押し付けてしまいます。これを心理学では「偽薬効果」ならぬ「透明性の錯覚」と呼ぶことがあります。自分にとっては透明で当たり前である知識が、他人にとっても同じように透明で見えているはずだと思い込んでしまう錯覚です。この錯覚があるからこそ、「なんでそんなことも知らないの?」という驚きや怒りが生まれてしまうのです。しかし、統計的に見れば、私たちが共有している「当たり前」の範囲は、思っている以上に狭いのです。

■コミュニケーションの経済学、知識の共有コストと心理的安全性

ここまで、兵馬俑をめぐるエピソードを心理学や経済学、統計学の様々な理論を使って解剖してきましたが、結局のところ私たちはこの現代社会でどう振る舞うべきなのでしょうか。コミュニケーションの経済学という観点から考えてみましょう。

人間関係や組織の中では、情報を共有するための「コスト」が存在します。知らないことを「知らない」と言いやすい環境、つまり「心理的安全性」が高い組織では、知識の共有コストが非常に低くなります。「それって何ですか?」と素直に聞くだけで、誰かが「ああ、それは中国の昔のお墓の像だよ」と快く教えてくれる。この状態であれば、新入社員は泣きそうになることもなく、その場で新しい知識を得るというコストゼロの利益(リターン)を享受できます。

一方で、今回のエピソードのように、知らないことを責めたり笑ったりする組織、あるいは知っている側がマウントを取る組織では、知識を共有するためのコストが跳ね上がります。「知らないと言ったらバカにされるかもしれない」という恐怖から、人々は分からないことを隠すようになり、組織全体の情報共有や学習能力が著しく低下していきます。経済学で言うところの「情報の非対称性」がそのまま放置され、お互いの足を引っ張り合う不毛なコストばかりがかかる組織になってしまうのです。

企業やチームの生産性を高める上でも、この「知らないと言える文化」がいかに重要であるかは、近年の組織心理学の研究でも繰り返し強調されています。グーグルが行った労働改革の研究(プロジェクト・アリストテレス)でも、チームの成功を左右する最も重要な要因はメンバーの能力の高さではなく「心理的安全性」であるという結論が出ています。誰もが安心して「私はそれ知りません」「それってどういう意味ですか?」と言える環境こそが、結果として組織全体の知性を底上げする最強のインフラなのです。

■新しい知識に出会ったときの知的アプローチ、知る喜びを取り戻すために

最後に、私たち一人ひとりの個人レベルでのあり方について考えてみましょう。日常生活を送る中で、私たちは毎日のように自分の知らない言葉、知らない概念、そして自分とは異なる価値観に遭遇します。そのときに、私たちの脳は二つの選択肢を突きつけられます。一つは、先ほどの職場の人たちのように、未知のものを恐れ、攻撃し、自分たちの狭い枠組みの中に閉じこもる道です。そしてもう一つは、未知のものを面白がり、知的好奇心を働かせて自分の世界を広げていく道です。

行動経済学の視点では、人間は「現状維持バイアス」に引っ張られやすいため、新しいことを学ぶことにはエネルギーが必要です。だからこそ、知らないものに出会ったときに思わず身構えてしまうのは、ある意味で人間の本能的な反応とも言えます。しかし、そこから一歩踏み込んで、「おっ、自分はまだ知らない世界があったぞ」と面白がれるかどうかが、私たちの人生の豊かさを大きく左右します。

兵馬俑という言葉一つをとってみても、それを単なる「新入社員の珍妙な例え話」として消費して終わることもできれば、「私たちの脳にはどんな同調バイアスが潜んでいるのか」「人間はなぜ無知を隠そうとして攻撃的になるのか」という深い人間理解のきっかけにすることもできます。科学的な見地から物事を観察するというのは、単に小難しい理屈を並べ立てることではなく、目の前で起きた一見些細な出来事の裏側にある人間のドラマや、社会の仕組みを鮮やかに解き明かすための最高にワクワクする知的冒険なのです。

もし明日、あなたの職場や日常生活の中で、誰かの「えっ、それ知らないの?」という言葉や、逆に「何それ、聞いたことない」という失笑の現場に居合わせたら、ぜひ少しだけ立ち止まってみてください。あ、今ここで人間の防衛機制が働いているな、あるいはここに同調バイアスが顔を覗かせているな、と心の中でこっそり実況中継してみるのです。そうやって一歩引いた視点を持つだけで、イライラしたり落ち込んだりする代わりに、人間の面白さや愛おしさをしみじみと感じられるようになるはずです。無知を恐れず、知ることを楽しみ、お互いの違いをユーモアを持って受け入れられる心のゆとりを持ちながら、今日も自分の知らない広い世界へと一歩を踏み出してみませんか。

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