なぜエリートは嫌われるのか?反知性主義の歴史と日本的特徴の真実

社会

最近のネットやテレビを見ていると、政治や経済の話ですごく感情的な意見が飛び交っているなと感じることってありませんか。難しい理屈やデータを無視して、「あいつらはけしからん」「自分たちは搾取されているんだ」といった、怒りや嫉妬をベースにした言葉が大きな共感を集めていたりします。でも、ちょっと待ってください。そういう感情論だけで世の中の仕組みを決めつけてしまうのって、実はめちゃくちゃ危険なことなんじゃないでしょうか。今回は、世の中に広がりつつある感情的な風潮と、それがなぜ危ういのかについて、データや歴史的な背景も交えながら、できるだけわかりやすく紐解いていきたいと思います。

●そもそも反知性主義ってなんだろう

最近よく耳にする言葉に反知性主義というものがあります。なんだか難しそうな言葉ですが、簡単に言うと専門的な知識や科学的なデータ、コツコツと積み上げられた知性を信用せず、むしろ「そんなエリートの言うことよりも、自分たちの直感や感情のほうが正しいんだ」と信じ込む態度のことです。歴史を振り返ってみると、この反知性主義はいつの時代にもありました。たとえば、アメリカの歴史学者であるリチャード・ホフスタッターという人が書いた本によると、アメリカの民主主義の歴史というのは、常に知識人や専門家に対する不信感と表裏一体だったと言われています。地方の人々からすれば、都市部の高学歴なエリートたちが自分たちの生活も知らないくせに上から目線でルールを決めているように見えて、それが強い反発心を生んだわけです。気持ちとしてはすごくよく分かりますよね。雲の上の人が自分たちの生活を無視して勝手なことを言っているように感じたら、誰だって「ふざけるな」と言いたくなるものです。しかし、歴史上、この反知性主義がエスカレートした結果、何が起きたでしょうか。特定の指導者が感情を煽り立て、科学的な根拠や合理的な政策よりも、大衆のルサンチマン、つまり「自分たちが報われないのはあいつらのせいだ」というねたみやひがみをエネルギーにして暴走し、結果的に国全体が破滅的な道に進んでしまった例は枚挙に暇がありません。

●日本特有の事情とエリートへの不信感

では、私たちの住む日本においてはどうでしょうか。日本でも、この反知性主義的な空気やポピュリズム、つまり大衆の人気取りに走る政治手法が目立つようになってきました。日本には独特の学歴社会の歴史があります。かつては、いい大学に入っていい会社に入れば安泰という「学歴信仰」が社会のベースにありました。しかし、バブル経済が崩壊し、いわゆる「失われた30年」と呼ばれる長い経済停滞が続くなかで、この神話は音を立てて崩れ去りました。一生懸命勉強していい大学を出て大企業に入ったのに、給料は上がらないし、会社はリストラをする。それどころか、政治の世界を見渡してみれば、不祥事が相次ぎ、国民の生活は一向によくならない。こうした現実を目の当たりにすると、人々の中に「エリートや専門家なんて信用できない」「あいつらは自分たちのことしか考えていない無能だ」という強烈な不信感が生まれるのも無理はありません。経済的なデータを見てみても、日本人の平均賃金はこの30年間ほとんど上がっていません。OECDのデータによると、主要先進国の中で日本だけが賃金の伸びがほぼゼロという異常な状態が続いています。物価は上がっているのに給料が増えないという現実の中で、生活の余裕がなくなっていく。余裕がなくなると人間はどうなるでしょうか。目先の不安や不満をぶつける対象を探したくなります。そこに登場するのが、「難しい経済の話なんてしなくていい。悪いのはあいつらだ」とシンプルで過激な言葉を投げかけてくれるポピュリストたちです。彼らは複雑な社会問題を「悪者を見つけてやっつければ解決する」というストーリーに落とし込んで見せるため、疲弊した人々の心にスッと入り込んでしまうのです。

●なぜ深く学ばないと衆愚に陥るのか

ここで冷静に考えてみたいのが、感情論や嫉妬、そしていわゆるルサンチマンに流されることの怖さです。人間誰しも、自分より恵まれているように見える人や、社会的に成功している人に対して「ずるい」「自分だって本当はすごいのに」という嫉妬心を抱くことがあります。それはごく自然な感情です。しかし、政治や経済というのは、そんな個人の感情のぶつけ合いで動かしていいほど単純なものではありません。たとえば、国の財政や税金の仕組み、社会保障の持続可能性といった問題は、膨大なデータと緻密なシミュレーションに基づいて議論されるべきものです。ここに「消費税は悪だ、全部ゼロにすればみんなハッピーになる」といった感情論を持ち込むとどうなるでしょうか。一見すると耳触りはすごくいいですし、生活が苦しい人にとっては救世主のように思えるかもしれません。しかし、財源の裏付けなしにそれをやれば、国の借金がさらに膨らみ、最終的にはハイパーインフレや金利の上昇を招いて、結果的に最も弱い立場にいる人たちが一番痛い目を見るというデータが、経済学の歴史では何度も証明されています。複雑な仕組みを理解するのには、当然ながら労力が要ります。本を読み、データを集め、専門家の意見を聞き、多角的に物事を考える。この「深く学ぶ」というプロセスを放棄して、「自分たちの直感や怒りのほうが正しいんだ」と思い込んでしまう状態こそが、古代から「衆愚政治」と呼ばれてきたものの正体です。知識を持たない大衆が感情だけで投票行動を起こし、その結果として最も愚かな選択をしてしまう。ポピュリズムと反知性主義が手を組むと、社会は一気にこの衆愚化の坂を転がり落ちていくことになります。

●現代のSNS社会が加速させる分断

さらに、現代においては、この反知性主義とポピュリズムを加速させる強力なツールが存在します。それがSNSをはじめとするインターネットのアルゴリズムです。今のSNSは、ユーザーがクリックしそうな情報、つまり「自分の意見に合う情報」や「怒りを感じる情報」をどんどんオススメしてくる仕組みになっています。その結果、何が起きるかというと、自分と違う意見や、客観的で冷静なデータに基づいた議論が視界から消えていき、同じような不満を持つ人たちだけで集まって過激な意見を褒め合う「エコーチェンバー」という現象が起きます。ここでは、複雑で地道な議論は「退屈で役に立たないもの」とされ、感情を激しく揺さぶるキャッチーなフレーズや、誰かを攻撃するだけのトゲトゲしい言葉が大量にシェアされます。この環境に長く浸かっていると、知らず知らずのうちに脳が「ファクトを検証する」という面倒な作業を拒絶するようになり、感情的な快感を優先するようになってしまうのです。たとえば、ある政治的な問題について、専門家が「この政策にはメリットとデメリットの両方があり、慎重な検討が必要だ」と発言したとします。反知性主義的な空気に毒されていると、この発言を聞いた瞬間に「あいつは歯切れが悪い」「何か裏があるに違いない」と切り捨ててしまいます。逆に、「絶対にこうすべきだ!反対するやつは敵だ!」と言い切る人のほうを「男気がある」「信頼できる」と勘違いしてしまう。この認知の歪みこそが、現代社会における最大の罠だと言えます。

●客観性と合理性を取り戻すために私たちができること

では、私たちはこの感情論とポピュリズムの嵐の中で、どうやって身を守り、よりよい社会を作っていけばいいのでしょうか。答えはシンプルですが、言うは易く行うは難しです。それは、「感情に流されず、徹底的にファクトとデータに向き合い、深く学ぶこと」これにつきます。誰かが「この政策ですべての問題が解決する」と言ったときには、一歩引いて「本当か?」と疑う視点を持つことが大切です。その政策を実行したら、誰がトクをして誰が損をするのか。過去に似たような政策を試した国があったなら、その国はどうなったのか。そういった歴史的な事実や経済的なデータを、面倒くさがらずに自分で調べる習慣をつけることです。もちろん、日々の生活で手一杯なのに、そこまで勉強するのはしんどいという気持ちもすごくよく分かります。朝から晩まで働いて、帰ってきたらクタクタで、難しい経済の本を開く気力なんて残っていないという人も多いでしょう。だからこそ、ポピュリストたちはその隙をついて、「難しいことは俺たちに任せてくれ、お前らはただ怒っていればいいんだ」と甘い言葉を囁いてくるわけです。しかし、その甘い誘いに乗った結果として搾取され、最終的に損をするのはいつだって私たち自身です。賢く生きるということは、エリートの言いなりになることでもなければ、専門家の言うことを盲信することでもありません。自分自身がきちんと物事を考え、感情論の罠に気づき、客観的な事実に基づいて判断できる「知性」を少しずつでも磨き続けることです。嫉妬やルサンチマンに駆られて「世の中すべてぶっ壊せ」と叫ぶのは簡単ですが、壊したあとのガレキの中で生き残らなければならないのは私たち自身です。感情のハンドルを他人に預けず、自分の頭で考え、合理的に未来を選び取る力をつけていくこと。それが、この複雑で先が見えない時代を生き抜くための、最も確実で唯一の方法なのです。

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