NVIDIAの対抗馬Etchedが巨額資金調達へ、AI推論を変えるチップの秘密

テクノロジー

最近のAI業界を追いかけていると、まるでSF映画の続編を毎日のように見せられているような、そんな目眩がするほどのスピード感に圧倒されますよね。次から次へと新しいモデルが登場し、昨日まで最強だったプロセッサが今日には過去のものになりかける、そんな技術のるつぼの中で、今、世界中のテックギークたちが固唾を飲んで見守っている一つの巨大なうねりがあります。それが、今回取り上げる「Etched」という、まだ若い、しかし底知れぬポテンシャルを秘めたAIチップのスタートアップ企業です。

■GPUの独占体制に風穴を開ける、ハードウェアの巨人たち

僕たちが日常的に触れているChatGPTやClaudeのような大規模言語モデル、あるいは画像や動画を瞬時に生み出す生成AIの裏側では、目に見えないところで膨大な量の計算処理が行われています。この計算の大部分を支えているのが、誰もが知るNVIDIAのGPUです。AIブームが始まって以来、NVIDIAはこの分野で圧倒的な王者の座に君臨し続け、世界中のデータセンターが彼らのチップを奪い合うように買い求めてきました。AIを作るにはNVIDIAのチップがなければ話にならない、そんな一極集中の時代が長く続いています。

しかし、テクノロジーの歴史を振り返れば、絶対的な王者が現れた後には、必ずそれを打ち破ろうとする尖った挑戦者たちが現れるものです。独占は技術の進化を鈍らせるという残酷な摂理があるからこそ、新しい風を吹き込むプレイヤーが必要不可欠になります。Etchedは、まさにその王者の城壁に真正面から突撃していく、最高にクールな反逆者の一人なのです。

彼らが何をやろうとしているのかというと、既存のGPUという枠組みそのものを根本から覆すことです。NVIDIAのGPUは、非常に汎用性が高いという素晴らしいメリットを持っています。ゲームもできれば、ディープラーニングの学習もでき、そして推論もこなす。いわば何でもこなせる万能ナイフのような存在です。しかし、万能であるがゆえの非効率さも抱えています。特に、AIが実際に言葉を出力する「推論」というプロセスに特化した場合、GPUのアーキテクチャは必ずしも最適解とは言えない部分があるのです。

ここで少し、技術的な背景に踏り込んでみましょう。AIの処理には大きく分けて、モデルを作り上げる「学習」と、作られたモデルを使って実際に回答を導き出す「推論」の二つがあります。現在のAIサービスの利用者が爆発的に増えている中、世界中のサーバーが毎日何十億回も行っているのは、圧倒的にこの「推論」のほうです。つまり、推論をどれだけ速く、どれだけ安く、どれだけ大量にこなせるかが、これからのAIビジネスの勝敗を分ける最大の分水嶺になります。

Etchedの創業者たちは、ここに目をつけました。彼らは、何でもできる汎用的なGPUを作るのではなく、Transformerと呼ばれる現在の生成AIの根幹をなすアーキテクチャの計算処理だけに特化した、専用のプロセッサをゼロから設計したのです。専門用語ではASICと呼ばれる、特定の用途に機能を絞り込んだ集積回路の方向へ舵を切りました。

何でも屋ではなく、一つのことだけを極限まで突き詰める。このアプローチには、技術者として心底しびれるロマンがあります。すべてをこなそうとする複雑さを捨て去り、必要な計算回路だけをシリコンのダイ上にこれでもかと敷き詰めることで、速度と効率の限界を突破しようとしているのです。

■天才たちが描く、狂気と純粋さが同居するロードマップ

このEtchedという会社、創業したのはハーバード大学で高度な数学の授業を通じて出会った若者たちです。共同創業者のGavin Uberti氏とChris Zhu氏、そしてCOOのRobert Wachen氏。彼らは大学を中退し、シリコンバレーの荒波に飛び込みました。いかにもシリコンバレーの伝説的なスタートアップの始まり方を踏襲しているようですが、彼らの頭の中にあるのは単なる一攫千金ではなく、極めて純粋で硬派なエンジニアリングの追求です。

彼らのすごさは、ただ面白いアイデアを思いついただけでなく、それを実際にシリコンの形にして、世界トップクラスの顧客を納得させてしまったところにあります。今年の夏、彼らは世界が誇る半導体受託製造の巨人、台湾のTSMCでのテストチップ製造を経て、実際の顧客からなんと10億ドル規模の注文を獲得したと発表しました。まだ製品が広く市場に出回る前の段階で、これだけの巨大な受注を勝ち取るというのは、彼らのプロトタイプが本物である何よりの証拠です。

さらに驚くべきことに、彼らの初期からの顧客であり、今回の資金調達も主導しているのは、あの「Jane Street」という超一流のクオンツ取引企業です。金融の最前線で、ミリ秒単位、いやマイクロ秒単位のスピードと正確性が莫大な利益を左右する世界で生きる彼らが、Etchedのチップに目をつけ、いち早く出資し、顧客として名を連ねている。これは、Etchedのプロセッサがもたらす速度の優位性が、単なる誇大広告ではなく、現実のビジネスにおいて圧倒的な武器になることを証明しています。

金融の超プロフェッショナルたちが「このチップの計算スピードなら、我が社のアルゴリズムをさらに先へ進められる」と確信したからこそ、巨額の資金が動いているのです。テクノロジーの価値は、机上の空論ではなく、それがどれほどの現実的なインパクトを生み出せるかで決まります。その意味で、Etchedはすでに最初のハードルを劇的な形でクリアしていると言えます。

そして、彼らの組織作りもまた非常に興味深いものです。従業員およそ400人のうち、実に15%ほどが元NVIDIAのエンジニアだと言われています。敵陣の心臓部から、最高峰の知見と技術を持った人材を引き抜き、自分たちの新しいビジョンのために全力を注がせている。これは、彼らのアプローチが単なる若者の思いつきではなく、業界のベテランたちをも唸らせるほどの本物の技術的妥当性を持っていることの裏返しに他なりません。優秀なエンジニアは、面白い技術、そして勝てる技術に集まるものです。NVIDIAの元社員たちが続々と参加しているという事実だけでも、このプロジェクトのヤバさと面白さがひしひしと伝わってきます。

■なぜ「推論の特化」がこれほどまでに世界を変えるのか

もう少しだけ、彼らが開発しているチップの本質について深掘りしてみましょう。僕たちが普段使っているAIは、言葉を一つずつ、正確には「トークン」と呼ばれる単位で順番に生成していきます。「こんにちは」という出力であれば、「こ」「ん」「に」「ち」「は」といった具合に、前の出力を次の入力にしつつ、計算を繰り返していくわけです。

この仕組み上、AIの推論処理はメモリとプロセッサの間を行き来するデータの量が膨大になりがちです。どれだけ強力なプロセッサを持っていても、メモリからデータを読み出す速度、いわゆる「メモリ帯域幅」がボトルネックになってしまい、チップの性能を100%引き出せないというジレンマに常に悩まされてきました。NVIDIAのGPUはこのボトルネックを克服するためにHBMと呼ばれる超高速なメモリを大量に搭載していますが、それでも汎用性を維持するための回路が邪魔をして、無駄な電力やスペースを使っているのも事実です。

Etchedのチップは、Transformerの計算に特化しているため、余計な汎用回路を一切持っていません。その結果、チップのダイスペースをすべて計算とデータ転送の最適化に振り向けることができます。結果として何が起きるかというと、NVIDIAのフラッグシップGPUと比較して、より多くのトークンを、より高速に、そして驚くほど低い電力とコストで処理できるようになるのです。

AIのサービスを提供する企業にとって、ランニングコストの大部分はサーバーの電気代とハードウェアの減価償却費です。もし推論のコストを劇的に下げることができれば、これまで採算が合わずに諦めかけていたような高度なAI機能を、すべてのアプリやデバイスに標準搭載できるようになります。それは単に「AIの動作が少し速くなる」というレベルの話ではありません。「AIがあらゆるインフラの血液になる未来」を数年はやらせる起爆剤になり得るのです。

私たちがスマートフォンを開き、何気なくAIと会話するとき、その裏側では膨大な電力が消費されています。地球環境への負荷やエネルギーコストの高騰が叫ばれる現代において、エネルギー効率の優れたハードウェアを生み出すことは、単なるビジネスの勝利を超えて、社会的な意義を持つ挑戦でもあります。Etchedがやっていることは、まさにその持続可能なAI社会への扉を開く鍵を手に入れることなのだと、僕は確信しています。

■凄まじいスピード感と、これから待ち受ける壮大なドラマ

今回のニュースで最も耳目を集めているのは、その資金調達のスピードと規模感です。ほんの数ヶ月前、今年の9月に21億ドルの企業価値で7億ドルを調達したばかりだというのに、早くもその2倍以上、400億から500億ドルという途方もない規模での追加出資のオファーが舞い込んでいます。

スタートアップの世界において、数ヶ月単位で企業価値が倍増していくというのは、歴史的な大ヒットを生み出したごく一握りの伝説的企業にしか許されない現象です。OpenAIが歩んできた道筋を彷彿とさせるような、強烈な重力場がEtchedの周囲に生まれつつあります。ベンチャーキャピタルや投資家たちは、この波に乗り遅れることがそのまま将来の敗北を意味すると本気で恐れているのでしょう。

もちろん、バラ色の未来だけが待っているわけではありません。ハードウェアの世界は、ソフトウェアの世界とは比較にならないほど莫大な初期投資と、一歩間違えれば会社が吹き飛ぶような製造リスクが伴います。TSMCとのパートナーシップを維持し、次世代の微細化プロセスに合わせたチップを設計し続け、実際に何万枚ものシリコンウェハを寸分狂わずに量産体制に乗せる。その道のりは、幾多の障害と泥臭い苦労に満ちているはずです。

しかし、だからこそ面白い。きれいに整えられた安全な道を歩くのではなく、誰も足を踏み入れたことのない荒野を切り拓き、既存の巨人に真っ向から戦いを挑むエンジニアたちの姿には、いつの時代も心を揺さぶられるものがあります。

僕たちのようなテクノロジー好きにとって、今という時代は最高にエキサイティングです。AIの進化がソフトウェアのレイヤーにとどまらず、いよいよそれを動かす「シリコン」の根底からひっくり返されようとしている。NVIDIAという絶対王者に、若者たちの集団が独自の数学的アプローチと圧倒的なエンジニアリングで牙を剥く。この壮大なドラマの目撃者になれること自体が、テックファンとしての最高の贅沢だと言えます。

Etchedがこれからどのようなチップを世に送り出し、AIの常識をどう塗り替えていくのか。そして、王者がそれにどう反撃するのか。半導体とAIの歴史の教科書に、間違いなく太字で刻まれるであろうこの戦いから、一瞬たりとも目を離すことができそうにありません。新しい時代を創る者たちの鼓動を、これからも全力で追いかけていきたいですね。

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