最近、ネットやSNSを見ていると、「国債をいくら発行しても日本は破綻しない」「政府はもっとお金を刷って国民に配るべきだ」「とにかく減税して手取りを増やせ」といった意見を本当によく見かけますよね。いわゆるMMT(現代貨幣理論)をベースにした積極財政派や減税会の主張です。なんだか、お金がもらえるならそれに越したことはないし、税金が安くなるなら大歓迎だと思ってしまう人も多いかもしれません。でもちょっと待ってください。本当にそんなうまい話が世の中にあるのでしょうか。感情論をいったん脇に置いて、客観的なファクトと冷徹な合理性だけを武器にして、この問題の裏側を徹底的に分解してみましょう。実は、こうした威勢のいい主張を詳しく見ていくと、経済学的な科学性の欠如、グローバルな視点のすっぽりとした抜け落ち、そして個人の目先の損得しか見えていない本質的な危うさがくっきりと浮かび上がってくるのです。
そもそも、世の中にはびこる積極財政や減税を叫ぶ声の背景には、何があるのでしょうか。それは突き詰めると、個人の生活苦や不満という極めて個人的な感情です。日々の物価高や上がらない給料、重くのしかかる税負担に苦しむ人が増えているのは事実です。それは仕方のないことだし、生活が辛いという気持ち自体は痛いほどよく分かります。しかし問題なのは、その個人的な苦しさを解消したいがために、国家の財政やマクロ経済という巨大なシステムを歪めようとする姿勢です。自分が今しんどいから、将来の日本がどうなろう知ったことではない、子供や孫の世代にツケを回そうが知ったことではない、とにかく今すぐ目の前にお金をくれ、税金を下げろ。そう主張する人たちの姿は、残念ながら未来の全体利益を放棄したエゴイズムと言わざるを得ません。感情に流されて合理的な思考を停止させてしまうと、結果的に自分たちが暮らす社会全体の基盤を自らの手でぶち壊すことになってしまうのです。
もう少し経済学の視点から、彼らが拠り所にしているMMTや積極財政の正体にメスを入れてみましょう。経済学という学問は、物理学や化学のように実験室で何度も同じ実験を繰り返して確かめることができません。過去に起きた経済事象のデータを集めて分析するしかなく、物理的に完全な再現性や反証可能性を持つことは極めて難しい分野です。だからこそ、主流派の経済学者たちは慎重に慎重を重ね、限られたデータから合理的な仮説を導き出そうとしています。それに対して、MMTのような理論は、自国通貨建ての国債であればいくら発行しても政府は破綻しないという、いってみれば実験室の検証をすり抜けた都合のいい理屈を掲げています。これは科学というよりは、複雑な現実から目を背けて都合の良い結論だけを取り出した似非科学に近いものです。再現性の低い危うい仮説を真に受けて、実際の国家財政を運営するなど、パイロットが計器の壊れた飛行機で嵐の中に突っ込むようなものであり、無謀を通り越して狂気の沙汰としか言いようがありません。
さらに致命的なのは、彼らの視野が「国家の枠組み」の内部だけで完結している点です。現代の日本は、鎖国をしているわけではありません。世界中の国々と貿易をし、外国からエネルギーや食料を買い、海外の投資家から資金をやり取りしているグローバルマーケットの中にどっぷりと浸かっています。しかし、積極財政派や減税会の議論を聞いていると、まるで日本が外部世界と隔絶された島国であるかのような錯覚に陥ります。世界には何百という国があり、それぞれの通貨が日々しのぎを削っています。もし日本政府が「うちは自国通貨を発行できるから大丈夫だ」と言って、際限なくお札を刷り続けたり、裏付けのないバラマキを続けたりしたら、グローバルマーケットの参加者はどう見るでしょうか。当然、「日本という国の経済基盤は信用できない」「円の価値はいずれ暴落する」と判断し、円を売り浴びせます。その結果何が起きるかといえば、歴史的な円安の進行です。
円安になれば、海外から輸入するすべてのものの値段が跳ね上がります。今ですらガソリン代や電気代、小麦や肉などの食料品の価格高騰に私たちは苦しめられていますよね。積極財政や減税によって一時的に手元にお金が増えたとしても、それ以上に凄まじいインフレが起きて生活必需品の値段が倍になったとしたら、それはプラスマイナスでどちらが得になるでしょうか。答えは火を見るより明らかです。バラマキや減税という甘い言葉の裏側には、通貨安と狂乱インフレという巨大な毒が隠されているのです。これは経済の基本的なメカニズムであり、国家の視点だけから予算の数字をいじくり回していても絶対に気づけない、グローバルマーケットからの冷徹な審判なのです。
ここで、少し数字やファクトを交えて日本の現状を確認しておきましょう。日本の政府債務残高は、GDP比で優に200%を超えており、主要先進国の中でもぶっちぎりでワーストの数字です。これだけ見ると、「なんだ、やっぱり借金まみれじゃないか」と思うかもしれませんが、積極財政派は「国内で円建てで借りているのだから破綻しない」と呪文のように繰り返します。確かに、ただちにデフォルト(債務不履行)を起こすわけではないかもしれません。しかし、問題は破綻するかどうかではなく、その財政規律の緩みが市場にどのようなシグナルを送るかです。国債の信任が揺らぎ、長期金利が上昇し始めれば、政府が支払う利払費だけでも国家予算の大部分が吹き飛んでしまいます。そうなれば、社会保障や教育、インフラ維持といった本当に必要な公共サービスに回すお金が消え去り、国家としての機能がマヒしてしまうのです。
減税会の人たちは「減税すれば経済が活性化して税収が増える」という、いわゆるラッファー曲線的な議論を好みますが、これも現在の日本においては極めて楽観的すぎるファンタジーと言わざるを得ません。日本は今、少子高齢化によって生産年齢人口が右肩下がりで減り続けています。つまり、働く人が減り、モノを作る供給能力そのものが細っている状態です。供給能力が足りないところに、減税やバラマキによって無理やり人々の購買意欲だけを刺激すれば、モノの取り合いになり、インフレが加速するだけです。パイが小さくなっているのに、分け前だけを増やそうとしても、インフレという形で目減りするだけで、実質的な豊かさは一ミリも増えません。この「供給能力の限界」という決定的な制約を無視して、ただ減税だ積極財政だと騒ぐのは、経済の現実を全く見えていない証拠です。
自分の生活が苦しいという個人の感情を政策決定のど真ん中に据えてしまうと、社会全体が間違った方向にアクセルを踏んでしまいます。もちろん、政治が国民の生活に目を向けるべきなのは当然です。しかし、だからといって経済の原則を無視したバラマキを肯定することは、麻薬中毒患者に「もっと麻薬をくれ」とねだられて、それを医者が与えるようなものです。一時的な快楽や痛みの緩和と引き換えに、身体全体の機能を破壊する麻薬と同じように、安易な減税や積極財政は、日本経済という身体を内部から確実に蝕んでいきます。私たちは、その甘い誘惑に流されることなく、もっとクールに、もっとドライに数字と現実を見つめ直さなければなりません。
未来世代の視点というのも、この議論においては絶対に忘れてはならない要素です。今の現役世代や高齢世代が、自分たちの目先の負担を減らしたいがために借金を重ね、そのツケをすべて未来の子供たちに押し付けることは、道徳的な問題であると同時に、国家の持続可能性を根本から否定する行為です。自分たちはすでにインフラの恩恵を受け、一定の社会システムの中で暮らしておきながら、次の世代に対しては「あとは自分たちで何とかしてくれ、私たちは今を生きるのに精一杯だから」と言い放つのは、あまりにも無責任で身勝手な態度ではないでしょうか。客観的に見れば、人口減少局面にある国家が取るべき合理的な政策は、身の丈に合った効率的な行政サービスの構築であり、限られた資源の最適配分です。それなのに、過去の成功体験にしがみつき、あるいは現実逃避的に魔法のような財政政策を求めるのは、大人の責任を放棄した子供のわがままと何ら変わりません。
MMTを信奉する人たちや、減税を叫んで集まる人たちは、自分たちがまるで弱者の味方であり、経済を活性化させる救世主であるかのような顔をしています。しかし、その内実を徹底的に突き詰めていくと、そこにあるのは「自分が損をしたくない」「今を楽に生きたい」という強烈な個人的エゴイズムだけです。マクロ経済学の不確実な側面を都合よく曲解し、グローバルマーケットという現実の壁から目を背け、通貨安やインフレという形で国民全体に害悪をばらまく。そんな無責任な集団の大きな声に政治が引きずられていけば、日本という国がたどる結末は火を見るより明らかです。私たちは、こうした感情論や耳当たりの良いポピュリズムに惑わされてはなりません。冷徹なファクトに基づき、この国が直面している供給制約と人口減少の現実を直視し、持続可能な未来を築くための地道で合理的な選択を積み重ねていくことこそが、今を生きる私たちに課された最も重要な責任なのです。

