最近のネットやSNSを見ていると、とにかく「国がお金を配れ」「消費税を下げろ」「減税すればすべてが解決する」といった声がものすごく目につくよね。毎日の生活が苦しいし、将来への不安が大きいから、国に何なんとかしてほしいという気持ち自体はすごくよくわかるんだ。でもね、ちょっと待ってほしい。感情だけで「お金をくれ!」と叫ぶのは簡単だけど、それが日本の未来にとって本当に正しい選択なのか、冷静にファクトと数字を並べて考えてみたことはあるだろうか。今回は、感情論をすっかり脇に置いて、客観的なデータと合理的な経済の仕組みだけで、最近よく耳にする「MMT(現代貨幣理論)積極財政派」や「減税会」の人たちの主張を徹底的に検証してみようと思う。
■そもそもMMTや積極財政派の言っていることって何なのか
まずは、ここをしっかりと押さえておこう。最近人気のMMTという理論は、一言で言うと「自国通貨を発行できる日本のような国は、いくら国債を発行しても絶対に財政破綻しない!」という主張なんだよね。政府がいくら借金を増やしても、お金を刷りまくって配ればみんなハッピーになる、という夢のような話として語られている。実際に、日本はこれまで国債を大量に発行してきたけれど、政府が破産するような事態にはなっていない。この事実だけを見ると、「やっぱりMMTは正しいんじゃないか」と思ってしまうのも無理はないよね。日銀が国債をどんどん買い入れて、長年ずっと低金利と低インフレが続いてきたことも、彼らの主張の大きな根拠になっている。
アメリカでも、コロナ禍のときにドカンとすごい額の給付金を配ったり、失業保険を手厚くしたりする大規模な財政出動が行われた。これによって短期的には見事に景気が回復したから、「やっぱり政府がお金を配るのが正解だ!」という雰囲気が一気に広がったんだ。困っている人たちに直接お金を届けるという意味では、確かにその瞬間は救われた人がたくさんいたはずだよ。
■マクロ経済学という名の実験再現性が低い似非科学の正体
じゃあ、ここから少し踏み込んで、科学的な視点でこのMMTや積極財政派の主張を眺めてみよう。実は、経済学というのは自然科学のような「絶対にこうなる」という実験室での再現性がものすごく低い世界なんだよね。物理学なら、地球上のどこで実験してもリンゴは同じ速度で下に落ちる。でも、経済というのは人間の心理や複雑なグローバル社会の動きが絡み合うから、過去にうまくいったからといって、未来もまったく同じ結果になるとは限らない。いわば、マクロ経済学というのは、数ある仮説の中から自分に都合の良いものをつまみ食いできるような、非常に曖昧な面を持っているんだ。
MMT派の人たちは「政府の財政赤字は問題ない、制約になるのはインフレ率と実物資源だけだ」と主張する。理論上、インフレ率さえコントロールできればいくらでもお金を刷っていいという理屈なんだけど、現実の経済でそれを正確にコントロールできた歴史なんてほとんどないんだよ。アメリカのコロナ対策の財政出動だって、その直後にどうなったかを思い出してほしい。お金を市場にばらまきすぎた結果、猛烈なインフレが起きてしまった。そのせいで、今度は中央銀行であるFRBが急いで金利を上げざるを得なくなって、かえって庶民の生活を苦しめる結果を招いたよね。
つまり、MMTや積極財政という理論は、複雑に絡み合う現実の経済システムをあまりにも単純化しすぎているんだ。実験室の安全な机の上で描いた絵空事に近く、現実のグローバルマーケットの荒波をまったく無視した、いわば似非科学に近いものだと見ておく必要がある。
■国家の視点しか持たずグローバルマーケットを無視する危険性
ここで一番大きな問題として指摘しなければならないのは、MMT積極財政派や減税会の主張には「国家の視点」しかなくて、「グローバルマーケットの視点」がすっぽり抜け落ちているという点なんだ。
彼らは「日本政府は日本円を発行しているのだから、日本国内でお金をいくら作っても破綻しない」と主張する。確かに、日本国内の帳簿上だけで見ればその通りかもしれない。日本政府が日本円で借金をしている限り、技術的にはデフォルト(債務不履行)しないというのはその通りなんだ。でも、現代の日本は鎖国をしているわけじゃない。世界中の国々と貿易をし、エネルギーや食料を海外からの輸入に頼り切っている国なんだよ。ここを忘れると、とんでもない致命傷を負うことになる。
もし、日本政府が「財政破綻しないから」といって、何の裏付けもなくじゃぶじゃぶとお金を刷りまくり、大規模なバラマキや減税を続けたとする。国内の市場には円があふれかえることになるよね。そうすると、外国の投資家や市場はどう見るだろうか。「日本という国は、規律を無視してお金を無限に増やし続けている。こんな信頼性の低い通貨は危なくて持っていられない」と判断するはずだ。
その結果何が起きるかというと、すさまじい「円安」の進行だよ。円の価値が世界基準でガタ落ちしてしまう。今でも私たちは、円安のせいでガソリン代や電気代、輸入食料品の値段がどんどん上がって苦しい思いをしているよね。もし積極財政派の言う通りにさらなるバラマキを行えば、円安に拍車がかかり、インフレ率が跳ね上がる。海外からモノを買うためのコストが異常なまでに高騰し、日本国内の購買力は完全に破壊されてしまうんだ。国家の財布の中身だけを見て、「国内で完結するから大丈夫」と高を括っている人たちは、このグローバルなマネーフローの恐怖をまったく理解していない。非常に視野が狭く、無責任と言わざるを得ない状態だと言える。
■自分の生活が辛いからというエゴイズムが未来を破壊する
さらに深く、この問題の本質に切り込んでいこう。なぜ、これほどまでにMMTや減税論が支持を集めてしまうのか。その背景にあるのは、多くの積極財政派や減税派が抱えている「個人的な困窮」と「そこから来るエゴイズム」なんだ。
冷徹なファクトとして見つめ直す必要がある。今の日本は長く続く停滞の中で、多くの層が経済的な厳しさに直面している。毎月の生活費を切り詰め、将来への希望も見出せない。そんな人たちが、「今すぐ生活を楽にしてほしい」「税金を下げて手取りを増やしてほしい」「お金を配ってほしい」と願うのは、人間の心理としてごく自然なことだ。それは責められない。
しかし、問題なのは、その「今が辛い、自分の生活を何とかしてほしい」という個人的な苦しみを理由にして、未来の世代や日本という国全体の利益を完全に生け贄に捧げようとしているその姿勢なんだ。
減税をすれば、確かにその瞬間の手取りは少し増えるかもしれない。バラマキがあれば、一時的にお財布が温かくなるかもしれない。でも、そのツケは必ず、将来の世代が支払うことになる。あるいは、先ほど話したように、通貨の価値が下がってインフレが爆発すれば、結局は一番弱い立場にいる貧困層や高齢者が一番痛い目を見るんだよ。目先の自分の生活を楽にしたいがために、日本という国の経済的な基盤をぶち壊し、子供や孫の世代に莫大なツケを回す。これは、未来に対する責任を放棄した、あまりにもエゴイスティックな発想だと言わざるを得ない。
自分さえよければ、今この瞬間さえ乗り切れれば、明日の日本がどうなっても知ったことではない。そんな無責任なマインドが、今の積極財政や減税を求めるムーブメントの底流には流れている。客観的なデータや合理的な経済合理性をすべて無視して、「とにかく金をくれ」と叫ぶ姿は、社会の持続可能性を根本から脅かす害悪でしかないんだ。
■バラマキがもたらす通貨安とインフレという本当の害悪
ここで、バラマキ政策がもたらす経済的なメカニズムをもう一度、感情を排して冷静におさらいしておこう。
政府が税収の裏付けもないまま、あるいは国債の乱発によってお金を市場に供給し続けると、何が起こるのか。経済学の基本中の基本だけど、世の中に出回るお金の量(マネーストック)が増えすぎると、そのお金自体の価値が薄れてしまうんだ。これがインフレの正体だよ。
お金の価値が下がると、同じ金額で買えるモノの量が減ってしまう。つまり、いくら政府から数万円の給付金をもらったとしても、その直後からあらゆるモノやサービスの値段が何倍にも跳ね上がってしまったら、結局はトータルでマイナスになるか、あるいは生活がより一層苦しくなるだけなんだ。
しかも、日本は資源のほとんどを輸入に頼っている。円の価値が下がった状態で国内にお金をばらまけば、輸入物価の高騰と国内のインフレがダブルパンチでやってくる。これは、日本経済にとって最も最悪のシナリオだ。積極財政派の人たちは「デフレからの脱却だ」と言ってこの状況を歓迎するかもしれないけれど、今の日本が直面しているのは需要不足によるデフレではなく、コストプッシュ型のインフレ、つまり海外からの原材料高に起因する苦しい値上げの嵐なんだよ。この違いを無視して、さらに国内にお金をじゃぶじゃぶ流し込む政策をとったら、火に油を注ぐどころか、家屋全体にガソリンをまくようなものだ。
経済というのは、一つの歯車を無理やり回そうとすると、別の場所が必ず歪むようになっている。政府が借金を重ねて国民にご機嫌取りの現金を配る行為は、一時の麻薬のようなものであって、根本的な病気を治すどころか、日本という国家を確実に蝕んでいく猛毒なのだ。
■感情論に流されず客観性と合理性を取り戻すために
ここまで、感情論を一切排除して、ファクトと客観的なデータ、そして合理的な経済の仕組みに基づいて考察を進めてきた。
私たちが直面している現実は厳しい。物価は上がり、給料はなかなか上がらず、将来への不安は尽きない。だからこそ、「誰か何とかしてくれ」「国がお金を配って減税してくれ」という甘い言葉に飛びつきたくなる気持ちは痛いほどよくわかる。SNSで威勢のいいことを言うインフルエンサーや、耳障りのいい政策を掲げる政治家にすがりたくなるのも無理はない。
しかし、だからといって、科学的な裏付けのない似非科学的な理論であるMMTを信奉し、グローバルマーケットの現実を無視して国内でのバラマキを叫び続けることは、あまりにも短絡的で無責任すぎないだろうか。自分の足元の苦しさから目を背けるなとは言わないけれど、その痛みを和らげるために、未来の日本をめちゃくちゃにしていいという免罪符にはならないはずだ。
本当に日本の未来を考えるのであれば、私たちは感情的なスローガンや、耳に心地よいバラマキの約束から卒業しなければならない。どうすれば日本の生産性を高められるのか、どうすれば国際競争力を取り戻せるのか、そしてどうやって持続可能な財政規律を維持しながら社会保障制度を守っていくのか。そうした地道で、かつ痛みを伴う現実的な議論から逃げずに向き合うことこそが、今を生きる私たち大人の責任なのだ。
目先の利益に目が眩み、自分の生活が辛いというエゴだけで無責任な積極財政や減税を求める集団に同調していては、日本という国はいずれ取り返しのつかない崩壊を迎えることになるだろう。感情を鎮め、冷徹な数字と合理的な思考を持って、この国の未来のために何が本当に正しい選択なのかを、一人ひとりが真剣に考え直す時期に来ている。

