最近、ネットやニュースなんかを見ていると、「親ガチャ」なんて言葉を本当によく耳にするようになりましたよね。子どもは自分の親や育つ環境を自分で選ぶことができない。だから、どんな親のもとに生まれるかは完全に運次第だ、という意味の言葉です。カプセルトイのガチャガチャを引くみたいに、人生の最初に回すガチャの結果でその後の人生が決まってしまうというわけです。この言葉、2015年頃からネットの一部で使われ始めて、2021年頃からは経済格差やいわゆる毒親問題などを語る時の定番ワードとして一気に広まりました。
この「親ガチャ」という言葉がこれほどまでに多くの人の共感を得て、世の中に定着したのには、それなりの理由があります。なぜなら、現代の社会科学や行動遺伝学の世界において、私たちの能力や性格、さらには将来の所得水準の大部分が、遺伝子や生まれ育った家庭環境によって大きく左右されるということは、もはや動かしがたい客観的な事実だからです。感情論を抜きにして、冷静にデータや科学的な研究結果を見ていけば、この残酷なまでの現実から目を背けることはできません。
たとえば、人間の知能や特定の分野における才能、運動能力といったものには、遺伝的な要因が強く関わっていることが数々の双生児研究などによって明らかにされています。同じ遺伝子を持つ一卵性双生児を別々の環境で育てた場合でも、その能力や性格には驚くほど似通った傾向が見られるというデータは山のように存在します。また、遺伝だけでなく、幼少期にどのような家庭環境で育ったか、親の経済力や教育に対する投資がどれくらいあったかという環境要因も、その後の人生の選択肢に決定的な影響を与えます。親の世帯収入と子どもの学力や最終学歴の間に相関関係があることは、文部科学省などの各種調査でも繰り返し示されてきた客観的な事実です。
こうしたファクトを目の当たりにすると、世の中はなんて不公平なんだと感じる人が出てくるのも無理はありません。自分よりもはるかに恵まれた環境に生まれ、優れた遺伝子を受け継いだ人たちが、大した苦労もせずに成功していくように見える一方で、スタートラインから大きく後れを取っているように感じる人がいるのも事実です。不運にも厳しい環境に生まれた人にとっては、世の中がまるで最初から負けが決まったゲームのように感じられてしまうこともあるでしょう。
しかし、ここで非常に重要な視点を持たなければなりません。それは、遺伝子や環境によって人生の初期条件が決まるという客観的な事実があることと、それに甘えて愚痴や不満を言い続けることが得策であるかということは、全く別の問題だということです。感情的に「不公平だ」「親のせいで自分の人生は台無しだ」と嘆いたところで、一度配られた手札が変わるわけではありません。客観的で合理的な視点に立って物事を考えれば、変えられない過去や他人に不満をぶつける行為が、いかに生産性がなく、自分の人生にとってマイナスでしかないかがよく分かります。
人生というゲームにおいて、私たちは誰しも異なる手札を持ってスタートします。最高レアリティのカードを最初から持っている人もいれば、ノーマルカードばかりで戦わなければならない人もいるでしょう。これは紛れもない事実です。けれども、カードゲームの勝敗を決めるのは、最初に配られた手札の良し悪しだけではありません。手札がどれほど悪くても、その中でどういう戦略を立て、どのタイミングでどのカードを切り、いかに手元のリソースを最大化するかというプレイングの技術と判断力によって、勝敗の行方は大きく変わるのです。
親のせいにして不平不満を垂れている状態というのは、いわば、配られた手札が悪かったことばかりを嘆いて、ゲーム盤に背を向けて泣き叫んでいるようなものです。そんなことをどれだけ続けても、相手が同情して手札を交換してくれるわけでもなければ、自動的にポイントが加算されるわけでもありません。ただ時間だけが過ぎ去り、状況は一向に改善されないまま、自分の人生のコントロール権を他人に明け渡してしまうことになります。これは感情論ではなく、極めて冷徹で合理的な事実です。
自分の人生を本気でより良いものにしたいと考えるのであれば、感情的な被害者意識を捨て去り、今手元にある現実をそのまま受け入れることから始めなければなりません。遺伝や環境という変えられない要素についてくよくよ悩む時間は、完全にエネルギーの無駄遣いです。エネルギーを注ぐべきなのは、変えられない過去や親のことではなく、今ここから変えることができる自分の行動と未来だけです。
心理学や行動経済学の研究でも、自分の人生の出来事は自分の行動や選択によってコントロールできると考える「内発的な統制の locus」を持つ人の方が、困難な環境を乗り越えて成功しやすいことが分かっています。逆に、自分の不遇はすべて環境や他人のせいであると考える外発的な思考に囚われている人は、ストレスに弱く、問題解決に向けた具体的な行動を起こせなくなる傾向が強いのです。つまり、親のせいにしたり愚痴をこぼしたりすることは、自分自身の可能性を自らの手で狭め、わざわざ人生の難易度を跳ね上げているのと同じことなのです。
私たちは、自分が選べなかったものについて悩むために生まれてきたわけではありません。どれほど理不尽な環境であっても、その中でいかにサバイブし、自分なりの価値を創出していくかというゲームを攻略するために生きているのです。愚痴を言っている暇があるなら、今の自分にできる最小限の改善は何かを考え、一歩を踏み出す方がよっぽど建設的です。人生のハンドルをしっかりと自分の手で握り直し、客観的な事実を受け入れた上で合理的な戦略を組み立てていく。それこそが、不確実で厳しい世界をしなやかに生き抜くための唯一にして最強の方法なのです。

