10年以上前のこと。友人から「Twitterにいる面倒なアカウントリスト」というのが回ってきた。絡まれるとやっかいだから事前にブロックかミュートしておいた方がいいよ、とのこと。300以上のアカウントがズラっと並んでいて順番にブロックしていった。100を越えたあたりだったろうか……オレがいた。
— はぁとふる倍国土 (@keiichisennsei) June 05, 2026
■ブロックという名のSNS心理学:あなたの「面倒なアカウント」リストは、なぜ生まれるのか、そしてあなた自身はそのリストにどう映るのか?
なんだか、SNSの世界って不思議ですよね。この前、ある著名な方が「10年以上前に友人から送られてきた『Twitterにいる面倒なアカウントリスト』を元に、記載されていた300以上のアカウントを順番にブロックしていった」というお話をされていて、それがちょっとした話題になったんです。で、その過程で、なんとご自身のアカウントもそのリストの100番台に載っていたことが発覚!「え、俺も面倒だって思われてたのかよ!」っていう、なんとも人間味あふれる(というか、ちょっとドジな?)エピソードに、思わずクスッとしてしまいました。
この話、単なる笑い話で終わらせてしまうのはもったいない!今回は、この「面倒なアカウントリスト」という現象を、心理学、経済学、統計学といった科学的な視点から深掘りして、皆さんにわかりやすく、そしてちょっと面白くお伝えしたいと思います。だって、これ、実は私たちのSNSとの付き合い方、人間関係、さらには社会のあり方まで、色々なヒントが隠されているんですよ。
■「面倒」というレッテル:認知バイアスと社会的比較の闇
さて、まず「面倒なアカウント」って、一体どういう基準で選ばれるんでしょうか?これは、心理学の分野でよく言われる「認知バイアス」が大きく関係してきます。認知バイアスというのは、私たちが物事を判断する際に無意識に働いてしまう思考のクセのこと。例えば、「確証バイアス」というものがあります。これは、自分が信じたい情報ばかりを集めてしまい、それ以外の情報を無視してしまう傾向のこと。
もし、ある人(リストを作成した友人)が、「あの人のツイートはなんかイライラするな」と思い込んでしまうと、その人のツイートのネガティブな側面ばかりに目が行くようになってしまいます。「このアカウントは面倒だ」というレッテルが貼られてしまうと、そのアカウントのどんな投稿も「やっぱり面倒だ」というフィルターを通して見られてしまうんです。たとえ、そのアカウントが有益な情報発信をしていたとしても、あるいは単にちょっと変わった意見を言っていただけでも、「面倒」という枠組みで捉えられてしまう。
さらに、「社会的比較」という心理も働きます。私たちは、周りの人と自分を比べて、自分を評価しようとする傾向があります。もし、その友人が、多くの人が「いいね!」や「リツイート」をしているアカウント、つまり「支持されている」「人気がある」と見なされるアカウントを「良いアカウント」とし、そうでないものを「面倒なアカウント」と判断していたとしたら、それはまさに社会的な評価を基準にした判断と言えるでしょう。
この「面倒なアカウントリスト」の作成者は、おそらく自分の中で「こうあるべきだ」「こうあってはならない」という強い基準を持っていたのかもしれません。そして、その基準に合わないアカウントを「面倒」と判断し、リストアップしていった。これは、ある意味、その友人自身の価値観や世界観を映し出す鏡とも言えます。
■ブロックという経済的選択:時間とお金、そして「情報のコスト」
次に、経済学的な視点から見てみましょう。SNSでの「ブロック」という行為は、実は非常に経済的な選択と捉えることができます。私たちは、限られた時間とお金、そしてエネルギーを使って、SNSという情報空間で活動しています。
「面倒なアカウント」をブロックするということは、そのアカウントからの情報を受け取らないという選択です。これは、情報を受け取るための「コスト」を削減する行為と言えます。例えば、不快な情報や、議論の的になりそうな情報に触れると、私たちの精神的なエネルギーは消耗します。そのエネルギーを、より自分にとって有益な情報や、心地よい人間関係の構築に振り向けたい、と無意識に判断しているのかもしれません。
この「情報のコスト」というのは、私たちが普段あまり意識しないかもしれませんが、非常に重要な概念です。1日に受け取れる情報量には限りがあります。そして、その情報にどう反応するか、どう処理するかにもエネルギーを使います。面倒なアカウントからの情報が多すぎると、本当に必要な情報を見失ってしまったり、精神的に疲弊してしまったりする可能性があります。だから、ブロックという手段で、情報の「ノイズ」を減らし、自分の情報受信環境を最適化しようとする。これは、一種の「情報ポートフォリオの最適化」とも言えるかもしれませんね。
さらに、経済学でいう「機会費用」という考え方も当てはまります。面倒なアカウントをブロックすることで、そのアカウントとの接触によって失われていたかもしれない時間や精神的な余裕が生まれます。その空いたリソースを、他の、より生産的で、より満足度の高い活動に使うことができる。つまり、ブロックは、より良いSNS体験という「利益」を得るために、不快な情報という「コスト」を回避する合理的な選択である、と解釈することもできるのです。
■統計から見る「面倒」の偏り:あなたはその「少数派」なのか?
さて、この「面倒なアカウントリスト」、300以上のアカウントが記載されていたとのこと。もし、これが無作為に選ばれたものではなく、何らかの意図を持って作成されたリストだとすると、そこには統計的な偏りが見られる可能性があります。
例えば、ある特定の話題について、極端な意見を述べるアカウントばかりがリストアップされているとしたら、それは「話題への関与度」という観点から偏りがあると言えるでしょう。あるいは、非常に攻撃的な言葉遣いを多用するアカウントが目立つならば、「コミュニケーションスタイル」に偏りがあるとも考えられます。
ここで興味深いのは、田中圭一さん自身がそのリストに載っていた、という事実です。しかも100番台。これは、彼が「極端な面倒」だったわけではない、ということを示唆しているとも言えます。もし、彼がリストのトップの方にいたとしたら、「ああ、やっぱりあの人はそういうタイプなんだな」と納得する人もいるかもしれません。しかし、100番台ということは、リスト作成者の友人から見ても、ある程度「許容範囲内」だった、あるいは「ちょっと気になるけど、そこまでではない」という微妙なラインにいたのかもしれません。
この「100番台」という位置づけは、統計的に見ると、全体の中での相対的な位置を示しています。もし、そのリストが例えば1000人規模のフォロワー全体を対象に作成されたとしたら、100番台というのは、上位10%に入っている、ということになります。しかし、300アカウントという数から考えると、上位3分の1程度、ということになるでしょうか。ここから言えるのは、リスト作成者の「面倒」という基準は、非常に個人的かつ、ある意味では「微妙なライン」を狙ったものだったのかもしれない、ということです。
そして、この「リストの作成者」と「リストに載った田中さん」、そして「リストを見た読者」という三者の関係性も興味深い。リスト作成者は「面倒だと感じる」という主観的な評価を下し、田中さんは「自分がリストに載っている」という事実(客観的ではありますが、その評価の対象になったという点では主観的とも言えます)に驚き、そして読者はそのエピソードに共感したり、疑問を呈したりしている。これは、SNSというプラットフォーム上で、個人の評価、事実、そしてそれに対する他者の反応が、複雑に絡み合っている様子を鮮やかに示しています。
■「面倒」を生み出す心理:自己顕示欲、承認欲求、そして「集団」の力
では、そもそもなぜ人は「面倒なアカウント」を作り出し、それをリスト化しようとするのでしょうか?ここにも、いくつかの心理的な要因が考えられます。
一つは、「自己顕示欲」や「承認欲求」です。リストを作成し、それを他者に共有すること自体が、「自分はこういう基準で物事を判断できる」「自分はこういう人たちと付き合いたくない」という自己アピールになり得ます。そして、そのリストに共感する人が現れることで、自分の価値観が認められた、という感覚を得られる。これは、SNSにおける「いいね!」やフォロワー数といった指標と同じようなメカニズムです。
また、「集団」の力も無視できません。もし、そのリスト作成者の周囲にも、「あの人たちのツイートは面倒だよね」と共通認識を持っている人がいれば、そのリストは「自分たちだけが思っているわけではない」という根拠となり、さらにその評価を強化するでしょう。これは、心理学でいう「内集団」と「外集団」という考え方にも通じます。自分たちのグループ(内集団)の価値観を正当化するために、それ以外のグループ(外集団)を「面倒」と見なす傾向があるのです。
逢乱堂氏の「他人をコントロールしたい欲求を持つ自制心のない人物がリストを作る傾向がある」という指摘は、この集団心理や自己顕示欲とも関連してきます。自分の価値観を他者に押し付けたい、あるいは自分の理想とする情報空間を構築したい、という欲求が、リスト作成という行動に繋がっているのかもしれません。
■「ブロック」という名の「壁」:コミュニケーションの断絶と、それゆえの「安全」
さて、この「面倒なアカウントリスト」に載ってしまった人々は、どう感じているでしょうか?田中さん自身はユーモアを交えていますが、もし自分がリストに載っていたと知ったら、やはりショックを受ける人はいるでしょう。
「ひかげが好きな人」氏の「友人のリストを真に受けてブロックする理由に疑問を呈する」というコメントは、まさにこの点に触れています。他人の評価を鵜呑みにして、一方的に関係を断ち切ってしまうことへの疑問です。これは、コミュニケーションにおける「対立回避」や「問題解決」という観点から見ると、非常に消極的なアプローチと言えます。
しかし、一方で、MA-X氏の「田中氏よりも話題沸騰中のインフルエンサーの方が面倒だと感じる」という意見や、ktmr氏の「自身も『面倒アカウントリスト』の上位に入る可能性を考え、他人に優しくしようと誓った」という投稿は、SNSという情報過多な世界で、多くの人が「面倒」と感じる対象と日々格闘していることを示唆しています。
ブロックという行為は、ある意味、自分を守るための「壁」を作る行為でもあります。不快な情報や、自分にとって有害だと感じる相手との接触を断つことで、精神的な安全を確保する。これは、自己防衛本能とも言えます。カボチャ氏の「脳死でブロックするような人間がリストに入ってないと思っていたのか」という皮肉は、まさにこの「ブロックという行為の無思慮さ」と、「ブロックされることの普遍性」を突いています。
D.NORIOVIC氏のmixi時代からの「伝説のサポーター」からの事前ブロック体験談は、SNSの黎明期から、このような「見えない壁」が存在し、人々がそれを乗り越えようとしたり、あるいは諦めたりしてきた歴史があることを物語っています。
■「リスト」から見えてくる、SNSの光と影
この「面倒なアカウントリスト」のエピソードは、SNSという現代社会におけるコミュニケーションのあり方、そして人間関係の複雑さを浮き彫りにしています。
■「リスト」は、誰にとっての「正義」なのか?
まず、リストの作成者の「正義」です。彼(彼女)にとって、「面倒」とは何か?その基準は、客観的なものではなく、極めて主観的なものです。しかし、その主観的な基準が、リストという形で「客観的な事実」のように提示され、他者に影響を与えています。これは、SNS上での情報が、その情報の「真偽」よりも「拡散力」によって、事実として受け取られてしまう危険性を示唆しています。
■「ブロック」という選択肢の功罪
ブロックは、自己防衛のための有効な手段となり得ます。しかし、それが安易に行われると、対話の可能性を閉ざし、異なる意見を持つ人々との分断を深めることにも繋がります。Kudoh氏の「リストを鵜呑みにして贈る人物はトラブルを起こす」という警鐘は、この点において非常に重要です。
■「リストに載った」ことの意味:ユーモアと自己受容
田中さん自身が、リストに載っていたことをユーモアに変えている点は、非常に示唆に富んでいます。これは、自分自身が「面倒」と評価される可能性を受け入れ、それを笑いに変えるという、高度な自己受容の表れと言えるでしょう。シュリンプポンコツエンジニア氏の「田中氏のような感覚を楽しめなければネットは楽しめない」という言葉は、まさにこの「SNSとの健全な付き合い方」を教えてくれているかのようです。
■未来への展望:より良いSNS体験のために
このエピソードを通して、私たちはSNSでのコミュニケーションについて、いくつかのことを考えるべきです。
まず、私たちは、自分が発信する情報が、意図せず誰かを「面倒」と感じさせてしまう可能性があることを理解する必要があります。そして、他者の発信する情報に対しても、すぐに「面倒」とレッテルを貼るのではなく、なぜそう感じるのか、その背景には何があるのかを少し立ち止まって考えてみることも大切です。
また、「ブロック」という機能は、あくまで最終手段として、慎重に使うべきなのかもしれません。もちろん、悪意のある発言や、明らかな誹謗中傷に対しては、躊躇なくブロックするべきですが、意見の相違だけで関係を断ち切ってしまうのは、もったいないことも多いのではないでしょうか。
この「面倒なアカウントリスト」という、一見すると些細な出来事の中に、私たちの心理、社会の構造、そしてテクノロジーとの関わり方といった、様々な深層が隠されています。これを機に、皆さんもご自身のSNSとの付き合い方、そして他者との関わり方について、少し考えてみてはいかがでしょうか。もしかしたら、あなたの「面倒なアカウントリスト」には、意外な人物が載っているかもしれませんし、あるいは、あなた自身が、誰かの「面倒」としてリストアップされている可能性だってあるのですから。そして、そんな「人間らしさ」も含めて、SNSはまだまだ進化していく、刺激的な場所であり続けるでしょう。

