「右傾化はよくないが、今の左派のやり方では応援できない」みたいなことを言う人を見るたびになんでそんな「試合観戦」してるような感想なんだと思ってしまう。野球やサッカーと違って自分達の生活に関係のあることなのだから、本当に「よくない」と思うなら自分なりの方法で対抗していくべきだろう。
— DUK (@furthest0812) May 20, 2026
■「右傾化はよくない、でも左派も応援できない」って、それ、ただの傍観者バイアスじゃない?
「最近の政治、右傾化してるのは良くないと思うんだよね。でも、今の左派のやり方だと、正直応援する気になれないんだ。」
こんな風に感じている人、周りにいませんか?あるいは、もしかしたらあなた自身が、そんな風に思っているかもしれません。この意見、一見すると、政治に対する冷静で理知的な分析のように聞こえるかもしれませんね。でも、多くの人が「当事者意識の欠如」を指摘する背景には、心理学や社会学、経済学といった科学的な視点から見ると、もっと深い、そしてちょっと耳が痛くなるような理由が隠されているんです。
今日は、この「右傾化は気になるけど、左派も応援できない」という複雑な感情の裏側を、科学的なエビデンスを交えながら、分かりやすく紐解いていきたいと思います。まるで、スポーツ観戦に例えられるこの状況が、実は私たち一人ひとりの人生にどう影響しているのか、そしてどうすればもっと建設的な関わり方ができるのか、一緒に考えていきましょう。
■政治は「観戦」じゃない、人生という「フィールド」なんだ!
まず、この意見の根底にある「政治は単なる観戦や試合のようなもので、自分は観客席から眺めている」という感覚。これは、心理学でいうところの「傍観者効果」や、認知的な「フレーム」のズレと関連があります。
心理学者のジョン・ダルバーグ・ラタネとビル・ビスラット・シーゲルは、1968年の論文で「傍観者効果」という現象を提唱しました。これは、緊急事態に遭遇した際、周りに人が多ければ多いほど、一人ひとりの「助けよう」という責任感が希薄になり、結果として誰も助けに動かないというものです。政治や社会問題も、これと似た側面があるんです。多くの国民がいるという安心感(あるいは無関心さ)から、「誰かがやってくれるだろう」「自分一人が動いても変わらない」といった思考に陥りやすい。
この「観戦者」的な態度は、私たちが政治を「自分とは関係ない、誰か(政治家や権力者)が采配するもの」と捉えている証拠でもあります。しかし、現実はそうではありません。経済学でいう「公共財」のように、政治や社会のあり方は、私たち全員が恩恵を受け、あるいは影響を受けるものです。そして、その「公共財」の性質を決めるのは、まさに国民一人ひとりの意思決定や行動なのです。
例えれば、あなたが住んでいる街の公園の整備状況を想像してみてください。公園が綺麗に保たれているか、遊具が安全か、ベンチは十分か。これらは、行政の仕事ではありますが、地域住民が「もっとこうしてほしい」「このままでいい」と声を上げたり、清掃活動に参加したりすることで、公園の質は大きく変わります。政治も全く同じ。あなたが「右傾化は良くない」と感じるのであれば、それはあなた自身の生活環境や将来に影響を与える「フィールド」での出来事なのです。
■「観客席」から「フィールド」へ:当事者意識の重要性
「右傾化は良くない」という意見は、ある意味で「危機感」の表れです。しかし、その危機感を抱きながらも「今の左派は応援できない」と行動しない態度は、前述の傍観者効果をさらに強固にするだけでなく、「自己欺瞞」や「無責任」と批判されるのも無理はありません。
これは、行動経済学でいう「現状維持バイアス」や「損失回避性」とも関連してきます。現状維持バイアスとは、人々が現状を維持しようとする傾向のこと。変化を望む一方で、変化に伴う不確実性や労力を恐れて、結局何もしないという心理が働きます。また、損失回避性とは、利益を得ることよりも損失を避けることを重視する心理です。現状の「右傾化」という損失は認識しているものの、それを回避するために「左派を応援する」という行動を取ることで生じるかもしれない新たな損失(例えば、自分の好みに合わない政策や、支持しない人物を応援することになる、など)を恐れているのかもしれません。
しかし、社会の「フィールド」に立っている以上、私たちは意図せずとも「プレイヤー」なのです。あなたが何も行動しなくても、あなたの税金は使われ、あなたの周りの法律は変わり、あなたの子供たちの未来に影響が出る。それにもかかわらず、「自分は中立的な観客だ」と思い込むことは、まるで「自分は虫歯で苦しんでいない」と主張しながら、歯医者に行くのを避けているようなものです。根本的な問題から目を背け、責任を放棄していると言わざるを得ません。
■「お任せ民主主義」と「学生気分」の危うさ
では、なぜ人々は「観客席」に留まってしまうのでしょうか。「お任せ民主主義」や、社会構造を変えることへの恐れ、あるいは「お客様気分」が抜けない「学生気分」といった言葉で分析されています。
「お任せ民主主義」とは、国民が政治家や権力者にすべてを委ね、自分たちは指示を待つ、あるいは結果に不満を言うだけで、主体的に政治に関わろうとしない状態を指します。これは、認知心理学における「権威への服従」の傾向とも重なります。私たちは、専門家や権威ある立場の人間に従うことで、自ら判断する労力を省き、安心感を得ようとすることがあります。政治家を「政治の専門家」とみなし、彼らにすべてを任せてしまえば、自分は責任を負わずに済む、という無意識の心理が働くのです。
また、「学生気分」という言葉には、社会を「学校」のように捉え、先生(政治家)が良き指導をしてくれるはずだ、という期待感と、自分はまだ未熟だから直接的な責任は負わない、という甘えが含まれています。しかし、社会は学校ではありません。そこには「先生」は存在せず、あなた自身が「生徒」であり、同時に「先生」でもあるのです。
統計学的に見ると、政治への参加率は、その国の民主主義の健全性を示す指標の一つです。投票率の低さや、政治的関心の低さは、まさに「お任せ民主主義」や「学生気分」の表れと言えるでしょう。例えば、ある調査によると、若年層の投票率が低い傾向にある国では、政治に対する無関心や、「どうせ変わらない」という諦めが蔓延していることが指摘されています。これは、未来を担う世代が、自らの未来を形作る政治から距離を置いているという、非常に危機的な状況と言えます。
■「買うつもりもないのに注文をつける」カスタマーハラスメント的批判
「よくない」と感じるなら、傍観者でいるのではなく、自分なりの方法で「フィールド」に立ち、対抗していくべきだ、という主張は、まさに「当事者意識」と「主体性」を促すものです。たとえ完璧な方法でなくても、何らかのアクションを起こすことが重要だ、というメッセージは、行動科学の観点からも非常に重要です。
ここで、虫歯の例えや、「買うつもりもないのに注文をつける」カスタマーハラスメントの例えが出てきます。これは、現状を認識していながらも、それに対処するための行動を避ける「臆病さ」や「無責任さ」を浮き彫りにしています。
カスタマーハラスメントの例は、特に興味深いですね。これは、消費者が「お客様」という立場になりきり、提供者(企業や店員)に対して、一方的に要求を突きつける行動です。政治においても、国民が「納税者」や「有権者」という立場で、「政治家は国民のために働くべきだ」という当然の権利を主張するだけでなく、「こうあるべきだ」という理想を、自らは何も提供しない(例えば、投票しない、政策立案に関わらない、など)にもかかわらず、一方的に要求している状態に似ています。
これは、心理学でいう「認知的不協和」の解消メカニズムにも関連してきます。「右傾化は良くない」という信念と、「左派は応援できない」という行動(または不行動)との間に生じる不協和を解消するために、「左派のやり方が悪いから仕方ない」という合理化を行っている可能性があります。しかし、これは根本的な解決にはならず、ただ問題を先延ばしにしているに過ぎません。
■「フィールド」に立ち、自らが「プレイヤー」になる
結論として、この「右傾化はよくないが、今の左派のやり方では応援できない」という意見は、単なる政治的スタンスの表明ではなく、私たち一人ひとりの「当事者意識」と「主体性」の欠如を浮き彫りにしています。
政治や社会問題は、遠い世界の出来事ではなく、私たち自身の生活、未来、そして価値観に直接関わる「フィールド」です。そして、私たちは皆、この「フィールド」の「プレイヤー」なのです。たとえ、今の「チーム」や「監督(政治家)」のやり方に賛同できなくても、あるいは「相手チーム(右派)」に危機感を抱いていても、ただ観客席で評論しているだけでは、何も変わりません。
では、どうすれば良いのでしょうか。
まず、自分自身が「プレイヤー」であることを自覚すること。これは、先ほども述べた「当事者意識」を持つことです。自分の生活、自分の意見、自分の投票行動が、社会を形作っているという事実を受け入れることから始まります。
次に、どのような形であれ「行動」を起こすこと。それは、必ずしも派手なデモや、政治家への直接的な陳情である必要はありません。
■情報収集とリサーチ:■ 信頼できる情報源から、様々な政治的立場や政策について学び、自分自身の考えを深める。統計データや研究結果に触れることで、客観的な視点を持つことができます。
■対話と議論:■ 家族や友人、職場の同僚など、身近な人々と政治や社会問題について話し合う。異なる意見に触れることで、視野が広がり、新たな発見があるかもしれません。
■草の根の活動への参加:■ 地域のボランティア活動や、関心のある社会課題に取り組むNPO/NGOの活動に参加する。小さな一歩が、大きな変化に繋がることがあります。
■投票:■ 選挙の際には、自分の意思を明確に示し、投票に行く。たとえ「応援できない」政党があったとしても、よりマシな選択肢を選ぶことは可能です。
■SNSなどを活用した情報発信:■ 建設的な意見や、問題提起をSNSなどを通じて発信する。ただし、感情的な批判や誹謗中傷にならないよう、客観性と敬意を忘れないことが大切です。
経済学でいえば、これは「合理的な無関心」からの脱却を意味します。情報収集や政治参加にはコスト(時間、労力)がかかります。しかし、そのコストを払うことで得られる「より良い社会」というリターンを考えれば、積極的に関わることの意義は大きいのです。
心理学的には、「自己効力感」を高めることも重要です。小さな行動でも、それが社会に影響を与えたという実感を持つことで、「自分にもできる」という自信が生まれ、さらなる行動へと繋がります。
私たちが「観客席」から降り、「フィールド」に立ち、自らの意思で「ボール」を蹴り始める時、初めて真の意味での民主主義が機能し始めるのです。たとえ、そのやり方が完璧でなかったとしても、あるいは、あなたの理想とは少し違っていたとしても、無関心でいること、傍観者でいることよりも、遥かに建設的で、社会をより良い方向へ導く力となるでしょう。
「右傾化はよくない」というあなたの「危機感」を、単なる批判で終わらせず、自らを「プレイヤー」として「フィールド」に立たせるための、具体的な一歩を踏み出してみませんか?それが、あなた自身の人生を、そして社会全体を、より豊かにする鍵となるはずです。

