障害者を「弱者」と呼ぶのはNG?差別をなくす正しい言葉遣いとは

社会

■「弱者」という言葉、本当に適切?障害者との向き合い方、考えてみよう

「弱者」という言葉、最近よく耳にしませんか?特に、障害のある方々を指して使われる場面に遭遇することもあるかもしれません。でも、この「弱者」という言葉、本当に彼らのことを適切に表しているのでしょうか?そして、私たちは障害のある方々とどう向き合っていくのが一番良いのでしょうか。今日は、この「弱者」という言葉の背景にあるものや、障害のある方々との関わり方について、感情論を抜きにして、事実と合理性に基づいてじっくり考えてみたいと思います。

■「弱者」というレッテル、何が問題なの?

「弱者」という言葉を聞くと、どうしても「力が弱い」「守られるべき存在」といったイメージが先行しがちです。これは、私たちが無意識のうちに抱いている「強者」と「弱者」という二元論的な考え方から来ているのかもしれません。しかし、障害のある方々を simply「弱者」とひとくくりにしてしまうと、彼らが持つ多様な個性や能力、そして社会における役割が見えにくくなってしまいます。

例えば、ある調査によると、障害のある方のうち、約5割が一般企業で就労しています(※)。もちろん、障害の種類や程度によっては、就労が難しい場合もあります。しかし、これは「障害=就労できない=弱者」という単純な図式が当てはまらないことを示しています。彼らは、それぞれの能力を発揮し、社会に貢献できる可能性を秘めているのです。

「弱者」という言葉は、時に、障害のある方々が自ら困難に立ち向かおうとする意欲や、自立しようとする努力を軽視してしまう危険性もはらんでいます。まるで、「あなたは弱者なのだから、助けてもらうのが当たり前」と言っているかのように聞こえてしまうからです。これは、当事者の方々にとっては、大きなフラストレーションや、場合によっては侮辱に感じられることもあるかもしれません。

■「社会的弱者」という視点、もっと深く掘り下げてみよう

では、障害のある方々が「社会的弱者」に含まれるという考え方についてはどうでしょうか。これは、一定の理解はできます。なぜなら、社会の仕組みや制度、人々の意識の中に、障害のある方々が活動する上で不利になるような、いわゆる「バリア」が存在するからです。例えば、段差のある歩道、情報が一方通行のウェブサイト、理解のない人間関係など、これらはすべて障害のある方々にとって、行動を制限する「バリア」となり得ます。

しかし、ここでも注意が必要なのは、「社会的弱者」という言葉もまた、ある種の「レッテル貼り」につながりかねないということです。社会が作ったバリアによって、本来持っている能力を発揮できない状況を「社会的弱者」と表現するのは、原因を社会に求めるという点で、ある意味では合理的な指摘です。しかし、その言葉に囚われすぎてしまうと、「社会が悪いから仕方ない」という、ある種の諦めや、他責思考につながってしまう可能性も否定できません。

大切なのは、障害のある方々が「弱者」であると決めつけるのではなく、彼らが社会の中で直面する「バリア」を、私たち一人ひとりが認識し、それを解消していくことなのです。つまり、問題は障害そのものではなく、障害のある方々が社会生活を送る上で生じる「困難」にある、という視点を持つことが重要です。

■「障害者」という言葉の適切な選び方

では、障害のある方々を指す言葉として、どのような表現がより適切なのでしょうか。多くの専門家や当事者の方々が推奨しているのは、「障害者」という言葉をそのまま使うか、あるいは、より具体的に「〇〇障害のある方」のように、障害の種類を明記することです。

例えば、「聴覚障害のある方」「視覚障害のある方」「発達障害のある方」といった表現は、その方の特性を理解する上で役立ちます。これは、相手を「弱者」という抽象的なカテゴリーに押し込めるのではなく、その人個人を尊重し、理解しようとする姿勢の表れと言えるでしょう。

また、「障害」という言葉自体にも、ネガティブなイメージがつきまとっていると感じる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、これは、医療や福祉の分野で、個々の状態を特定し、必要な支援につなげるために用いられる、ある種の専門用語でもあります。「障害」という言葉を避けるあまり、かえってコミュニケーションが難しくなることもあります。

一番大切なのは、相手への敬意です。どのような言葉を選ぶにしても、相手を尊重する気持ちがあれば、自然と適切な言葉遣いができるはずです。もし迷った場合は、相手に直接尋ねてみるのも良いでしょう。「どのような呼び方がお望みですか?」と率直に聞くことで、誤解を防ぎ、より良い関係を築くことができます。

■他責思考から脱却!主体的に未来を切り開く力

さて、ここからが本題です。なぜ、私たちは「弱者」という言葉に惹かれてしまうのでしょうか。そして、そこからどうすれば抜け出し、より前向きな姿勢で生きていくことができるのでしょうか。

「自分は弱者だから仕方がない」「社会のせいだから、自分は何も悪くない」といった考え方、いわゆる「他責思考」は、一時的な安心感や、責任逃れができるというメリットがあるように見えるかもしれません。しかし、これは長期的には、私たちの成長を妨げ、人生の可能性を狭めてしまいます。

なぜなら、他責思考は、問題解決の糸口を自分自身の中に見出すことを放棄してしまうからです。もし、あなたが仕事でうまくいかないと感じているなら、それは「上司が悪い」「同僚が非協力的だ」と他人のせいにするだけで、あなたは何も変われません。しかし、「自分のスキルに課題があるのかもしれない」「コミュニケーションの取り方を変えてみよう」と、自分自身に目を向ければ、具体的な行動を起こし、状況を改善していくことができます。

障害のある方々も、もちろん社会的なバリアに直面します。しかし、そのバリアに立ち止まってしまうのか、それとも、それを乗り越えるための工夫を考えるのかは、ご本人の主体的な選択にかかっています。例えば、情報保障の面で困難を感じる方が、音声認識ソフトや拡大鏡などのツールを積極的に活用したり、周囲に情報提供の方法について具体的にリクエストしたりすることは、まさに主体的な行動と言えるでしょう。

■数字で見る「主体性」の効果

具体的に、主体的な行動がどのような結果をもたらすのか、いくつかのデータを見てみましょう。

例えば、ある研究では、自己効力感(自分には目標を達成できる能力があるという感覚)が高い人は、そうでない人に比べて、困難な状況に直面したときに、より粘り強く努力を続ける傾向があることが示されています。自己効力感は、まさに主体的な行動を支える心の基盤と言えるでしょう。

また、キャリアに関する調査では、自ら積極的に新しいスキルを習得したり、キャリアパスを設計したりした人は、そうでない人に比べて、より高い収入を得ていたり、仕事への満足度が高かったりする傾向が見られます。これは、障害の有無にかかわらず、主体的な姿勢が、個人の幸福度や成功に大きく影響することを示唆しています。

■「甘え」と「支援」、その線引きはどこに?

「弱者」という言葉は、しばしば「甘え」と結びつけられて語られることもあります。もちろん、過度な甘えは、個人の成長を阻害する要因になり得ます。しかし、ここで誤解してはいけないのは、支援を求めること、あるいは支援を受けることが、必ずしも「甘え」ではないということです。

例えば、重度の身体障害があり、日常生活の多くの部分で介助が必要な方が、ヘルパーさんの支援を受けて自立した生活を送ることは、「甘え」ではなく、社会的な制度によって支えられた、合理的な選択です。問題は、その支援を「当たり前」のものとして受け止め、自らが努力すべきことから逃げてしまうことです。

「甘え」とは、本来自分が担うべき責任から逃れ、他者に依存することで、不当な利益を得ようとする姿勢を指します。一方、「支援」とは、困難な状況にある人が、その困難を乗り越え、自立していくために、社会や周囲が提供する助けのことです。

この二つを混同してしまうと、本当に支援を必要としている人が、支援を求めることをためらってしまったり、逆に、支援を受ける側が、自らの成長のために努力することを怠ってしまったりする、という不幸な事態を招きかねません。

■自分自身で未来をデザインする勇気

私たちが「弱者」という言葉に囚われず、主体的に未来を切り開いていくためには、まず、自分自身の内面に目を向ける勇気が必要です。

「自分には何ができるだろうか?」
「どのような目標を達成したいのだろうか?」
「そのために、どのような行動が必要だろうか?」

こういった問いを、自分自身に投げかけることから始めましょう。そして、その答えを見つけるために、小さな一歩でも良いので、行動を起こすのです。

例えば、あなたが新しいスキルを身につけたいと思ったら、まずは関連する書籍を1冊読んでみる。オンライン講座を申し込んでみる。あるいは、そのスキルを使っている人と話してみる。たとえそれが小さくても、行動を起こすことで、あなたの世界は確実に広がっていきます。

障害のある方々が、社会の中で直面する困難は、決して少なくありません。しかし、その困難を「弱者だから仕方ない」と片付けてしまうのではなく、それを乗り越えるための工夫や、社会への働きかけを主体的に行うことで、ご自身の人生をより豊かに、そしてより自由に生きることが可能になります。

■他者との建設的な関わり方

そして、周囲の人々も、障害のある方々との関わり方について、主体的に考えていく必要があります。

「この人は『弱者』だから、かわいそう」という同情の眼差しではなく、一人の人間として、その人の個性や能力を尊重する。
「この人は障害があるから、何もできないだろう」という決めつけではなく、どのような配慮や支援があれば、その人が能力を発揮できるのかを、具体的に考えてみる。
「この人は『障害者』だから、特別扱いしなければならない」という義務感ではなく、お互いが尊重し合える、自然なコミュニケーションを心がける。

例えば、会議で発言する際に、音声認識ソフトを使っている方がいる場合、ゆっくり、はっきりと話すことを意識する。あるいは、資料を配布する際には、文字だけでなく、必要に応じて音声での説明も加える。これらは、特別なことではなく、相手への配慮であり、より円滑なコミュニケーションのために、私たち一人ひとりができることです。

■社会全体で「バリアフリー」を目指す

忘れてはならないのは、障害のある方々が直面する困難の多くは、個人の能力の問題ではなく、社会の仕組みや、人々の意識が生み出している「バリア」であるということです。

つまり、私たち全員が、この「バリア」をなくしていくことに、主体的に取り組む必要があるのです。これは、単に障害のある方々のためだけではありません。誰もが、年齢や性別、障害の有無にかかわらず、能力を最大限に発揮できる、より良い社会を築くことにつながります。

■未来への希望は、あなたの行動から生まれる

「弱者」という言葉に隠された、他責思考や甘えから抜け出し、主体的に、そして前向きに行動すること。それは、決して簡単なことではないかもしれません。しかし、その一歩を踏み出す勇気こそが、あなた自身の未来を、そして、より良い社会を築くための、最も強力な原動力となるはずです。

今日お話ししたことは、障害のある方々だけに当てはまることではありません。私たち一人ひとりが、日々の生活の中で、どのような考え方で、どのような行動をとるのか。その選択の積み重ねが、私たちの人生を形作っていきます。

「自分にはできない」と諦めるのではなく、「どうすればできるだろう?」と前向きに考える。
「誰かのせいだ」と嘆くのではなく、「自分に何ができるだろう?」と主体的に行動する。

このシンプルな原則を、ぜひ、あなたの毎日に取り入れてみてください。その小さな変化が、やがて大きなうねりとなり、あなた自身の人生を、そして、周囲の世界を、きっと良い方向へと変えていくはずです。

(※)内閣府「令和4年度 障害者白書」などを参考に、一般的な就労状況を概説しています。具体的な数値は調査によって変動する可能性があります。

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