みなさんこんにちは。日々ネットサーフィンをしていると、どこかの企業や組織が不祥事を起こして、SNS全体が「炎上」状態になっている光景をよく見かけますよね。ワイドショーのコメンテーターのように、あるいは裁判官になったかのように、画面の向こう側の出来事をバッサバッサと裁いていく人たちのエネルギーには圧倒されるばかりです。今回の話題もまさにそんなネットの荒波の中で起きた出来事でした。週刊モーニングで『猫奥』を連載中の漫画家である山村東さんが、自身のSNSで投稿した内容をきっかけにして、作家仲間や読者の間でさまざまな議論が巻き起こったのです。発端となったのは、講談社に関連する一連の不祥事やネット上の批判的な空気感でした。会社で相次ぐトラブルに対して、ネット上では「講談社が堕ちていくのを見たい」とか「本当にドン引きした」といった厳しい意見が飛び交い、会社全体や編集部に対する不信感が雪だるま式に膨れ上がっていったのです。そんな四面楚歌とも言える状況の中で、山村さんは以前自分の担当編集者と交わした会話について言及しました。編集者が露悪的なものに対して否定的な見解を示していたことを思い出し、編集者全員が世間で問題視されているような表現や方針に賛同しているわけではないんだ、ということをどうしても伝えたくなったというわけですね。これに同じく講談社で執筆するさかなかなすか氏が同調し、読者や他のクリエイターからも「一部の問題で全体を否定していいのか疑問だったから救われた」という安堵の声が上がりました。一方で、ネットの冷静な視点からは、個人の美談や「良い人もいる」という人情話で話を終わらせるのではなく、組織の仕組みや構造として問題をどう防ぐべきなのかという本質的な議論も行われました。この一連のやり取り、一見するとよくあるネットの炎上と擁護のミニドラマのように見えますが、実は心理学や経済学、そして統計学的なレンズを通してじっくり観察してみると、人間の脳の仕組みや社会の構造がむき出しになった、非常に興味深い人間模様が浮かび上がってくるのです。今回はそんな現代のSNS社会と人間の心理について、科学の知識を総動員してじっくりと読み解いていきたいと思いますので、どうぞお茶でも飲みながらリラックスして付き合ってくださいね。
●人間はなぜレッテルを貼りたがるのかの心理学
まずは今回の騒動のベースにある、ネット上の「講談社という会社全体が腐っている」という見方の背景から心理学的にアプローチしてみましょう。人間という生き物は、複雑すぎる世の中を生き抜くために、頭の中でさまざまな物事を「カテゴリー」に分けて整理するクセを持っています。これを心理学では「社会的カテゴリー化」と呼んだりします。例えば、「あの会社はこういう不祥事を起こした」「だからあの会社にいる人間は全員同じような悪事を働くに違いない」というふうに、一つの情報をもとにその集団全体をひとまとめにして判断してしまうわけですね。専門用語ではこれを「外集団均質性効果」なんて言ったりします。自分が所属していないグループや、批判の対象となっているグループのメンバーを見ると、「あそこの連中はみんな同じ穴のムジナだ」と、個々の違いを無視して全員が同じに見えてしまう現象のことです。この心理メカニズムには、脳の省エネという側面があります。人間は毎秒膨大な情報にさらされているため、いちいち一人ひとりの編集者の顔や考え方を吟味して、「この人は誠実だけど、あの人はちょっと問題があるかもしれない」と判断していたら、脳がオーバーヒートしてしまいます。だからこそ、「危険な組織」というレッテルを一枚貼ることで、思考のコストをグッと下げて安心したいわけです。今回のネット上のバッシングの嵐も、まさにこの脳のショートカット機能がフル稼働した結果だと言えます。みんなが怒っているから自分も怒る、この会社は悪者だと決めたら中の人も全員悪者だと思う方が、頭を使わなくて楽だし、正義感という麻薬を手軽に味わえるからです。
●悪者扱いから救い出す「例外情報」の持つ破壊力
そんな風に、ネット全体が「あの会社はもうダメだ」という強烈なステレオタイプに囚われている真っ只中に、漫画家の山村東さんが投下したのが「私の担当編集者は露悪的なものを嫌っていた」という証言でした。心理学的に見ると、これは人々の認知の歪みに風穴を開ける「反証事例」や「例外情報」としての役割を完璧に果たしています。心理学の認知の不協和理論というものをご存知でしょうか。人間は、自分の持っている信念や意見と、それに矛盾する新しい情報に出会ったとき、猛烈な居心地の悪さやストレスを感じます。ネットの人々は「講談社の編集者はみんなモラルがない」という信念を持っていたわけですが、そこに「現場で真面目にやっている、しかも信頼しているプロの漫画家が太鼓判を押す編集者」という強力な事実が飛び込んできました。これにより、読者やファンの心の中で「あれ?全部が悪者っていうわけでもないのかも……?」という強烈な揺らぎが生まれたのです。さらに、ここで「社会的証明」という別の心理効果も働きます。人間は自分の意見に自信がないとき、他人の行動や発言を参考にして自分の態度を決めようとします。山村さんが勇気を出して声を上げ、さらに別の作家であるさかなかなすか氏もそれに同調したことで、「声を大にして言わなかったけれど、自分も本当は会社全体を悪者扱いすることにモヤモヤしていたんだ」という潜在的な賛同者たちが、「あ、自分だけじゃなかったんだ」と安心感を得ることができたわけです。この「安心感」は非常に強力で、過激なバッシングの嵐の中で息を潜めていた人たちに、自分の理性を保つための大きな支えとなりました。心理学の実験でも、集団の中で一人だけ異議を唱える人が現れると、周囲の同調圧力が劇的に弱まることが分かっていますが、今回のSNSのやり取りはまさにそのリアルタイムの縮図だったと言えるでしょう。
●組織と個人のジレンマを経済学のインセンティブで読み解く
さて、心理学の次は少し目線を変えて、経済学的なアプローチからこの状況を考えてみましょう。経済学の大きなテーマの一つに「情報の非対称性」や「インセンティブ(動機付け)」という概念があります。会社という巨大な組織を外から見ている消費者やファンにとって、中の人間がどういう基準で動き、どんな評価を受けているのかは、基本的にブラックボックス、つまり情報が非対称な状態にあります。外から見えるのは、表面化したスキャンダルや公式のプレスリリースだけであり、個々の編集者がどのようなモラルを持って日々の仕事に挑んでいるのかは見えません。この状態のとき、経済学的には「リスク回避」が働きます。中が見えないのであれば、最悪の状況を想定して「この会社に関わるものは全て危険だ」と判断するのが合理的だと思い込んでしまうのです。しかし、ここで経済学における「プリンシパル・代理人問題」や組織論の視点を持ち込んでみると、もう少し深い景色が見えてきます。会社という組織は、経営陣や一部の意思決定者(プリンシパル)と、実際に現場で汗を流す労働者やクリエイター(エージェント)で構成されています。経営陣の不祥事や問題発言が明るみに出たとき、現場の編集者たちは必ずしもその方針に賛同しているわけではありません。それどころか、組織の上の人たちのせいで自分たちのブランドイメージまで傷つけられ、本来やりたかったクリエイティブな仕事までやりにくくなっているとしたら、彼らもまた「被害者」側であると言えます。しかし、世間の怒りは組織全体に向けられるため、現場の誠実な人間まで一色単に「悪者」のラベルを貼られてしまう。この不条理を経済学的にどう解決するかというと、まさに今回山村さんや他の作家たちがやったような「情報の透明化」が鍵になります。現場のリアルな声を外部に発信することで、見えなかった内部の情報を少しでも開示し、組織のブランド全体への信頼と、個々の現場の信頼を切り離して評価してもらうように促すわけです。これは、組織の不祥事に対するリスクヘッジとしては非常に泥臭いけれども、最も効果的なアプローチの一つだと言えます。
●統計データで見るSNS炎上のメカニズムと偏りの罠
統計学やデータサイエンスの視点からも、今回のSNSでのやり取りを分析してみると、非常に面白いことが見えてきます。現代のSNSプラットフォーム、例えば旧Twitter(現X)などのアルゴリズムは、基本的に「エンゲージメント(いいね、リポスト、コメント)」が多いものを優先的にタイムラインの上部に表示する仕組みになっています。人間の感情を最も強く揺さぶる感情は何でしょうか?それは「怒り」や「恐怖」といったネガティブな感情です。統計的なデータを見ても、怒りを含んだ投稿は、そうでない投稿に比べて数倍から数十倍の速度で拡散しやすいということが様々な研究で証明されています。つまり、講談社に関する最初の不祥事やそれに対するバッシングの嵐は、SNSのアルゴリズムによってブーストされ、実際の人々の総意以上に「極端で過激な意見」が何倍にも水増しされて私たちの目に届いていた可能性が極めて高いのです。これを統計学の言葉では「サンプリングバイアス(偏った標本の抽出)」と呼びます。ネット上で声高に叫ばれている「講談社はもう終わりだ」「全員クビにしろ」という意見は、あくまでSNSという特定の空間で、怒りに燃えた特定の人たちのサンプルが大量に抽出された結果に過ぎません。その大合唱の裏側には、声を上げずに静かに本を読んでいる何百万もの一般の読者や、黙々と原稿に向き合っている編集者たちが何倍も存在しているわけです。山村さんの発言や、それに対する読者の「ちゃんとした考えを持つ編集者もいると知れて救われた」という反応は、この統計的な「偏った見え方」に対して、本来の母集団の多様性を思い出させるための貴重なデータポイントになりました。データの偏りに飲み込まれそうになったとき、個人の具体的なエピソードという「生データ」がいかに私たちの認知のバランスを整えてくれるかという好例だと言えるでしょう。
●個人の美談と構造的責任のバランスをどう取るべきか
さて、ここで見逃してはいけないのが、今回のやり取りに対するもう一つの重要な視点、つまり「ネット上の冷静な指摘」についてです。クリエイター側からの「私の担当は良い人だった」「現場には素晴らしい編集者もたくさんいる」という発言は、確かに多くのファンに安心感を与え、心の救いになりました。これは心理学的に見ても、人間関係の温かさを再確認するという意味で非常にポジティブな効果を持っています。しかし、経済学や社会科学の視点に立つと、ここで一つの大きな罠が潜んでいることにも気づかされます。それは、「個人の善意や人間関係の美しさ」に焦点を当てすぎるあまり、「組織の構造的な問題やガバナンスの欠如」という本質的な課題が霞んでしまうというリスクです。世の中の大きな組織で不祥事が起きたとき、それを「一部の悪いやつの仕業だ」とか「うちの担当の人はすごく良い人だから会社全体を責めないでほしい」という論理で片付けてしまうと、肝心の「なぜそういう問題が起きてしまう組織の仕組みになっていたのか」「どうすれば二度と同じような不祥事を防げるのか」という構造的な議論がどこかに吹き飛んでしまう恐れがあります。経済学では、コンプライアンス違反や不祥事は個人の道徳心の欠如だけで起きるのではなく、むしろ「そうせざるを得ないインセンティブ構造」や「チェック機能の不備」というシステムの問題として捉えます。つまり、「編集者に良い人がいるかどうか」という問題と、「講談社という企業組織がガバナンスをどう効かせるべきか」という問題は、本来は全く別のレイヤーの話なのです。現場の人情話で世間の批判を和らげることは、短期的には心理的なセラピーとしての効果を持ちますが、長期的には組織の体質改善を遅らせる「免罪符」として機能してしまう危険性も孕んでいます。この二つの視点をいかにバランスよく持てるかどうかが、現代の複雑な情報社会を生き抜く私たち大人に求められているリテラシーなのだと言えるでしょう。
●SNS時代における感情のコントロールと私たちに必要な知性
ここまで心理学、経済学、統計学といったさまざまな科学的見地から、今回の講談社をめぐるSNSのやり取りについて深く考察してきましたが、いかがだったでしょうか。ネットという巨大な空間では、ひとたび不祥事が起きると、人間の脳の「外集団均質性効果」が働き、組織全体を悪者扱いするステレオタイプが一気に拡散します。その過激なバッシングの嵐はSNSのアルゴリズムによって統計的なバイアスを伴って増幅され、私たちの目を曇らせます。そんな中で、漫画家の山村東さんによる「現場の編集者は誠実だった」という具体的なエピソードの投稿は、認知の不協和を起こしながらも、多くの人に「例外情報」を提供し、過度なレッテル貼りから私たちを救い出す心理的なクッションの役割を果たしました。一方で、経済学や構造改革の視点から見れば、個人の美談だけで組織の構造的な問題をうやむやにしてはならないという冷徹な指摘もまた、非常に重要なファクトであることに変わりはありません。結局のところ、私たちがSNSという情報のジャングルで溺れないために必要なのは、白黒ームードに流されないためのメタ認知能力だと言えます。「この情報はどの程度偏っているのだろうか?」「個人の善意と組織のシステムを混同していないだろうか?」と、一歩引いて自分の頭で考える習慣を持つことこそが、現代社会を賢く生き抜くための最強の武器になります。感情的に誰かを叩くことも、逆に過剰に誰かを守ることも、どちらも人間らしい自然な反応ではありますが、そこに科学的な視点を少しだけトッピングするだけで、見えてくる世界はガラリと変わります。ネットの海で流れてくる情報に一喜一憂するだけでなく、その裏にある人間の心理メカニズムや、社会の経済的構造に少しだけ思いを馳せてみる。そんな知的でクールな視点を持ちながら、明日からのSNSライフをより健やかに、そして楽しんで過ごしていきたいものですね。

