世の中を見渡してみると、なんとなく生きづらさを感じたり、自分以外の誰かや環境のせいでうまくいかないと感じたりすることって、誰しも一度や二度はあるものですよね。給料が上がらないのは会社のせいだ、政治が悪いから自分の生活が苦しいのだ、SNSでキラキラしているあの人は親のすねをかじっているだけで不公平だ、そんな風に思いたくなる気持ちも、人間ですから少しは分かります。でも、ちょっと立ち止まって考えてみてほしいのです。そうやって外側の何かのせいにして文句を言い続けているだけで、あなたの毎日の生活や未来は、本当に良くなっているでしょうか。おそらく、答えはノーのままだと思います。むしろ、不満を言えば言うほど状況は悪化し、自分のエネルギーがどんどん削り取られていくような感覚に陥っているのではないでしょうか。今回は、こうした現代人にも深く関係する心のメカニズムについて、感情論を一切抜きにして、科学的な視点や歴史的な哲学の視点から客観的かつ合理的に紐解いていきたいと思います。難しい言葉に聞こえるかもしれませんが、初心者の方にもすんなり理解できるように噛み砕いてお話ししていきますので、ぜひ最後までリラックスして読んでみてくださいね。
まず最初に、私たちが日常で無意識にやってしまっている「誰かを悪者にして自分が被害者でいようとする心理」の正体についてお話しします。哲学者のフリードリヒ・ニーチェという人物が遺した言葉に、「ルサンチマン」というものがあります。なんだか聞き慣れない難しそうな言葉ですが、要するに「自分よりも強い立場にいる人や、恵まれている環境にいる人に対して、どうあがいても勝てないという無力感から生まれる、ねたみ、そねみ、恨み、そして復讐心」のことを指します。人間は、自分が持っていないものを持っている人や、自分よりもうまくやっている人を見ると、本来であれば「自分もあんな風になりたい」「どうすれば追いつけるだろうか」と前向きなエネルギーに変えるのが理想です。しかし、そこには圧倒的な才能の差や、努力では埋められない現実、あるいは単なる怠け心が存在している場合、人はその直視したくない現実から目を背けたくなります。自分の無力さを認めるのは、プライドが傷つくし、ものすごく痛みを伴う作業だからです。そこで人間の脳は、非常にずる賢い防衛本能を発動させます。それが、「自分がうまくいかないのは、世の中が間違っているからだ」「あいつらが汚い手を使っているから、自分のような真面目な人間が割を食っているのだ」という思考のすり替えです。つまり、強者や成功者を悪者に見立てることで、何も行動せず現状維持にしがみついている惨めな自分自身を「被害者という名の善人」に仕立て上げて、心の平穏を保とうとするわけです。
ここで少し、現代のデータや科学的な視点も交えて考えてみましょう。心理学や行動経済学の世界では、人間には「自己奉仕バイアス」という認知の歪みがあることが分かっています。これは、物事がうまくいったときは自分の実力だと考え、逆に失敗したときやうまくいかなかったときは、環境や他人のせいにする傾向のことです。例えば、テストで良い点を取ったら「自分が猛勉強したからだ」と思うのに、悪い点を取ったら「今回のテストの作り方がおかしかった」「先生の教え方が悪かった」と言い訳するようなものです。この自己奉仕バイアスは、一時的には私たちの自尊心をプライドの傷から守ってくれるクッションの役割を果たしますが、長期的には致命的な毒になります。なぜなら、失敗の原因を自分以外の外部に求めてしまうと、「自分には改善できる余地がない」と脳が勘違いしてしまうからです。天気や景気、あるいは他人の性格を変えることは、どれだけ願っても私たちにはコントロールできません。コントロール不可能なものに原因を求めて文句を言い続けるということは、つまり「私は一生このまま変わらないし、変えられない無力な存在です」と自分で宣言しているようなものなのです。これほど非合理的で、自分の可能性を自分でドブに捨てるような行為はありません。
では、なぜ世の中にはこれほどまでに他責思考が蔓延し、自分を棚に上げて他人を攻撃したくなる風潮が強くなっているのでしょうか。その最大の原因の一つが、現代私たちが四六時中手にしているスマートフォンと、SNSの普及にあると客観的に分析できます。SNSのタイムラインを開けば、自分とは比較にならないほど若くして成功した起業家や、毎日贅沢な暮らしをしているインフルエンサー、あるいは完璧に見える人生を送っている人たちの情報が、洪水のように流れ込んできます。人間というのは残酷なもので、自分と似たような境遇の人の成功にはそこまで嫉妬しなくとも、少しだけ自分より上にいるように見える人や、圧倒的な強者に対しては、強いルサンチマンを抱きやすい生き物です。心理学のデータによると、SNSの利用時間が長ければ長いほど、他者との比較による幸福度の低下や、社会に対する不満感、いわゆるルサンチマンの感情が肥大化する傾向にあることが示されています。画面の向こう側のキラキラした世界と、目の前にある代わり映えのしない日常を無意識に比較して、「自分は不当に扱われている」「自分は社会の被害者だ」という被害妄想的なストーリーを頭の中で作り上げてしまうのです。しかし、ここで冷静に考えてみてください。画面の向こうの他人がどれだけ成功していようが失敗していようが、あなたの明日の生活の豊かさは1ミリも変わりません。他人の動向に自分の感情のハンドルを握らせていること自体が、極めて受動的であり、自分の人生の主導権を他人に明け渡している最大の甘えだと言わざるを得ません。
ここで、少し視点を変えて、弱者という言葉の本質について考えてみましょう。世の中には、生まれ持った環境や身体的なハンデなど、客観的に見て支援が必要な本当の意味での弱者が存在します。これは紛れもない事実であり、社会全体で支え合うべきものです。しかし、現代においてSNSやネットの掲示板などで声高に叫ばれている「弱者」の多くは、実は社会的弱者ではなく、単に「努力や挑戦から逃げ続けて、現状に不満を抱いているだけの自称弱者」であるケースが少なくありません。ここを混同してはいけません。自称弱者の方々は、弱者という立場を盾に使うことで、自分を批判から守ろうとします。「私はいま大変なんだから、もっと優しくしてくれ」「努力しろなんて言うのは強者の暴力的ないじめだ」という論法です。この構造は、弱い立場を「正義」に置き換え、努力している人や成果を出している人を「強欲で冷酷な悪者」として攻撃するという、まさにニーチェが指摘したルサンチマンそのものです。しかし、このような甘えの構造に浸っている限り、その人が経済的、あるいは精神的な意味でその状況から抜け出すことは絶対に不可能です。なぜなら、現状を維持したまま誰も助けてくれない世界を呪うことだけにエネルギーを使っているからです。
客観的で合理的な現実を直視しましょう。この資本主義社会、あるいは現代の社会システムにおいて、個人の境遇や収入、生活水準の大部分は、過去の選択の積み重ねと、現在どれだけ他者に価値を提供できているかという方程式によって成り立っています。もちろん、すべての人が全く同じスタートラインに立っているわけではありません。不平不等な部分は確実に存在します。世の中は決して完全にフェアではありません。親の経済力や生まれ育った環境によって、有利な人と不利な人がいるのは厳然たる事実です。しかし、だからといって「どうせ自分は不利だから何をしても無駄だ」と諦めてしまうのは、論理の飛躍であり、単なる思考停止です。スポーツの試合に例えるなら、最初から相手にハンデをもらっているような試合かもしれません。審判の判定が少し不公平に感じることもあるでしょう。しかし、そこでコートに座り込んで「こんなルールはおかしい!やり直せ!」と文句を言い続けても、試合の時間は容赦なく進み、最終的には不戦敗になるだけです。どれほど不利な条件であったとしても、その限られたカードの中でいかに最善手を打ち、泥臭く得点を重ねていくか。それしか、私たちが自分の人生を好転させる合理的な方法は存在しないのです。
ここで、読者の皆さんが最も知りたいであろう、圧倒的な成果を出し、自分の人生をコントロールするための具体的なアプローチについてお話しします。私たちが人生を前進させるためには、まず「コントロールできること」と「コントロールできないこと」を完全に切り分ける必要があります。世の中のほとんどの出来事は、実は私たちにはコントロールできません。他人の性格や評価、景気の動向、過去の出来事、そして生まれ育った環境などは、どれだけ叫んでも1ミリも変えられないものです。一方で、私たちが100%コントロールできるものは何でしょうか。それは「自分の思考」と「今日、今この瞬間の自分の行動」のたった二つだけです。他人のせいにしたり、世の中の不条理を呪ったりすることは、コントロール不可能なものに対して自分の貴重な時間とエネルギーという限られた資源をドブに捨てているのと同じです。そんな非合理的なことにリソースを使うのは今すぐやめましょう。代わりに、自分がコントロールできる「今日の自分の行動」にすべてのエネルギーを集中させるのです。これが、他責思考を断ち切るための最も強力で、かつ唯一の科学的アプローチです。
主体的で前向きな行動を起こすためには、小さな成功体験の積み重ねが不可欠です。人間はいきなり大きな目標を掲げても、途中で圧倒されて挫折しやすくなります。だからこそ、今日からすぐにできる、ほんの些細な行動から変えていくことが重要です。例えば、朝のルーティンを10分早めて読書の時間にあてる、スマホを見る時間を1日30分だけ削ってその分のエネルギーを自分のスキルアップに使う、仕事や勉強で分からないことがあったときに誰かのせいにせず「自分はどうすればもっとうまくやれただろうか」と振り返るノートをつける、そんな小さなことで十分なのです。ポイントは、矢印を常に自分に向けることです。「自分には何ができるか」「今の自分に足りない知識やスキルは何か」「どうすれば昨日よりも1ミリだけ成長できるか」。この自責の思考回路を定着させることができれば、驚くほど周囲の環境が気にならなくなっていきます。他人がどうこう、社会がどうこうというノイズが消え去り、自分の成長curveだけに集中できるようになるため、毎日の充実感が文字通り劇的に変わっていきます。
ここで、少し厳しい現実もお伝えしておかなければなりません。自分で人生の舵を取る、つまり主体的になるということは、すべての結果に対して自分が全責任を負うということです。他人のせいにしているうちは、「自分は悪くない、被害者だ」という歪んだ心地よさに浸っていられますが、同時に「自分の人生は他人に握られている無力なものだ」という絶望とも常に隣り合わせです。しかし、主体的になるということは、どれほど厳しい結果になったとしても、「それは自分の選択の結果だ。だからこそ、次は別の方法でリベンジしてやる」と、自分の人生の運転席に堂々と座り直すことを意味します。この覚悟を持った瞬間から、人はもはや「弱者」という名の甘えのシェルターに隠れる必要がなくなります。自分自身の力で立ち上がり、自分の足で歩き出すことができる真の「自立した人間」へと生まれ変わるのです。考えてみてください。誰かの救済を待ち望み、不平不満を言いながら誰かに依存して生きる人生と、自分の実力と行動力で切り開いていく人生、どちらが人間として誇らしく、ワクワクするものですか。答えは明白なはずです。
私たちは皆、限られた時間の中でこの人生を生き延びています。文句を言って誰かを攻撃したり、社会の不条理を呪ったりしている暇があったら、自分の未来をより良くするために使えるエネルギーを、一滴残らず自分の成長のために注ぎ込むべきです。他人の成功をねたむルサンチマンの感情に囚われている時間は、あなたの大切な人生の時間の壮大な無駄遣いでしかありません。今日からその不毛なゲームから降りましょう。そして、自分の足で立ち、目の前にある小さな一歩を踏み出してください。失敗してもいい、思い通りにいかなくてもいいのです。重要なのは、矢印を常に自分に向け、自分の人生の主導権をしっかりと握りしめることです。あなたが本気で変わりたいと願い、主体的に行動を始めたその瞬間から、停滞していたあなたの人生の歯車は間違いなく力強く回り始めます。言い訳を捨て、甘えを断ち切り、客観的な現実を直視した上で、誰よりも前向きに泥臭く生き抜く。その覚悟を持ったあなたを、未来のあなた自身が必ず誇りに思う日が来ます。さあ、今日、この瞬間から、あなたの新しいストーリーを自分の手で始めましょう。

