こんにちは、かなこです。先日SNSで見かけたあるエピソードが、私の心から離れなくて、ずっと色々な角度から考えてしまったんですよね。日本古代史を専攻している投稿者さんが、担当の営業さんと話していたときのことです。相手の営業さんは国立大学の理系出身らしく、悪気なく(あるいは悪気たっぷりに?)、「ダメですよー!何で未来に関心持てないんです?過去はいくら掘っても意味ないですよ」って言ってきたそうなんです。これ、なかなか強烈なパンチですよね。投稿者さんは「あなたの専門も過去からの先行研究の蓄積で成立していますよ」と大人の対応で反論したみたいなのですが、あいにくその言葉は営業さんの心に届かなかったみたいです。このエピソード、ネット上でもめちゃくちゃ盛り上がって、「営業としてどうなの?」というツッコミから、「理系でも過去の積み重ねは大事だよ!」という学問の本質に関する議論まで、本当にたくさんの意見が飛び交いました。この一見すると「ちょっと視野の狭い営業さんと、それにイラッとしたお客さん」という日常のよくある(?)一コマですが、実は心理学や経済学、そして統計学といった硬派な学問のレンズを通して覗いてみると、人間の脳の仕組みや社会の構造、そして私たちが犯しやすい認知のバイアスについて、めちゃくちゃ面白い深い学びが隠されていることに気づくんですよ。今回は、この「過去は意味がないのか問題」を、科学的なファクトをたっぷり使いながら、一緒に解きほぐしていきたいと思います。
■なぜ営業マンは未来しか見えないと言ってしまったのか、心理学と行動経済学で読み解く
まず最初に気になったのが、この営業マンの「未来に関心を持て、過去は意味がない」という極端な発言の背景です。なぜ彼はそんなことを言い放ってしまったのでしょうか。ここに、人間の認知のクセや、営業という職種特有のプレッシャーが深く関わっています。心理学の世界には「現在バイアス」や「計画の誤謬」という面白い概念があります。行動経済学では、人間は未来の報酬よりも目の前の報酬を過大評価してしまう傾向があることが、数々の実験で証明されています。たとえば、心理学者のウォルター・ミシェルが有名なお菓子を使って行った「マシュマロ実験」を思い出してみてください。子どもの頃に目の前のマシュマロを我慢できずに食べてしまう衝動と同じように、大人のビジネスパーソン、特に目先の数字に追われる営業職は、脳の報酬系が「今すぐ達成できる目標や、未来の即効性のある成果」に強く反応するようにプログラミングされてしまいやすいのです。
さらに、脳科学の視点から見ると、人間はストレスを感じたり、切羽詰まったりすると、脳の前頭葉の働きが低下し、視野が極端に狭くなることが分かっています。前頭葉は、長期的な視点を持ったり、他者の視点に立って物事を客観的に捉えたり、過去のデータから将来を予測したりする高次な機能を担っています。営業ノルマや短期的な成果主義のプレッシャーにさらされ続けると、脳はエネルギーを節約しようとして、「今、この瞬間、数字に直結すること以外は無駄だ」という近視眼的な思考、いわゆる「トンネリング現象」に陥ってしまいます。この営業マンも、もしかしたら日々の数字に追われて脳がすっかり「トンネリング状態」になっており、目の前のお客様が話している古代史という壮大なスケールの話を、自分の狭いトンネルの中から処理できなくなっていたのかもしれません。心理学的に言えば、彼の発言は教養の有無というよりも、極度のストレス環境が生み出した「脳の防衛反応」や「認知の歪み」の一種として説明できるのです。
●過去を否定することは統計学と科学の歴史を全否定することに等しいというファクト
そして、「過去はいくら掘っても意味がない」という言葉の科学的なヤバさについても、しっかり突っ込んでおかなければなりません。結論から言うと、この発言は統計学や科学の根底を根本からひっくり返すほどの矛盾を孕んでいます。私たちが普段使っているスマートフォンも、インターネットも、AI技術も、すべては過去の膨大なデータの蓄積、つまり「過去の遺産」の上になり立っています。統計学の歴史を振り返ってみても、それは過去のデータから法則性を見出し、未来の確率を予測する学問そのものです。
たとえば、確率論の基礎を作ったピエール=シモン・ラプラスは、過去の位置と運動量を完全に把握できれば未来のすべての現象を予測できるという「ラプラスの悪魔」という概念を提唱しました。現代の機械学習やビッグデータ解析だって、基本的には「過去の膨大なデータ(履歴)」をアルゴリズムに学習させることで、未来のトレンドや需要を予測していますよね。「過去に意味がない」のであれば、AIに過去のデータを読み込ませる学習プロセス自体が無意味ということになってしまい、現代のテクノロジーの9割以上は一瞬で崩壊します。
物理学や宇宙論を見ても同じことが言えます。私たちが夜空を見上げて観察している星の光は、何百万年も、あるいは何億年も「過去」に出発した光です。宇宙の起源を調べるビッグバン理論だって、過去をどこまでも遡ることでしか宇宙の未来や法則を解き明かすことはできません。技術者や理系の研究者が「過去の先行研究の論文」を読まずに、いきなり明日から全く新しい発明ができるかと言えば、答えは絶対にノーです。アイザック・ニュートンが「私が他者よりも遠くを見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩に乗っていたからです」という名言を残したように、科学とはまさに「過去の知恵という巨人の肩」に登ることで、ようやく未来の地平線を見渡すことができる営みなのです。営業マンが誇りに思っているはずの理系のテクノロジーや科学そのものが、実は徹底的な「過去の掘り起こし」によって支えられているというこの強烈な皮肉に、彼は気づいていなかったわけですね。
■歴史と科学はどちらも人間の営みであるという認知科学的アプローチ
では、文系が扱う「歴史」と、理系が扱う「科学」は、本当に全く別物で、歴史には未来を生きるヒントがないのでしょうか。認知科学や社会学の視点から人間社会を分析すると、歴史と科学は、アプローチこそ違えど、本質的にはまったく同じ目的を持っていることが見えてきます。それは、「人間とは何か、世界とは何かを理解し、私たちがより良く生きるための羅針盤を手に入れること」です。
行動経済学や行動科学の分野では、人間の意思決定が必ずしも合理的ではなく、歴史的な文化や制度、過去のトラウマや成功体験に強く依存していることが示されています。たとえば、経済危機の歴史を研究することは、未来の金融バブルを防ぐための統計モデルを作る上で欠かせないファクトを提供します。ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンらの研究によって、人間の心理や経済行動がいかに過去の経験則(ヒューリスティックス)に支配されているかが明らかになりましたが、これも突き詰めれば「過去の人々の行動パターンを分析する」という歴史的・心理学的なアプローチそのものです。
人間は、物語を語る動物、すなわち「ストーリーテリング・アニマル」だと言われます。科学が客観的な数字や物理法則で世界を切り取る一方で、歴史は人間が歩んできた試行錯誤のドラマ、つまり「生きたデータの蓄積」を物語として残してくれます。科学が「人間はどう宇宙に存在しているか」を解き明かすなら、歴史は「人間が絶望や希望の中でどう選択し、どう生き延びてきたか」を教えてくれます。この両輪があって初めて、私たちは人間という存在を立体的に理解することができるのです。未来を予測したいのであれば、過去の失敗と成功のパターンをデータベースとして頭の中に蓄えておくことが最も効率的であり、統計学的に見ても理にかなっています。「過去を振り返らない者は、同じ過ちを繰り返す」という有名なジョージ・サンタヤナの言葉がありますが、これは単なる精神論ではなく、脳の記憶システムや社会的学習のメカニズムに基づいた厳然たる科学的真実なのです。
●他者へのリスペクトを生み出す心理学的メカニズムと私たちが目指すべき姿勢
さて、ここまで営業マンの発言を心理学や経済学のレンズを通して徹底的に解剖してきましたが、最後に考えたいのは「なぜ彼はそんなにも自分の専門外の世界に対して不遜でいられたのか」という点と、私たちがそこからどういう教養やマインドセットを学ぶべきかということです。
心理学には「ダニング=クルーガー効果」という非常に興味深い認知バイアスが存在します。これは、能力が低い人ほど、自分の能力を過大評価し、他者の専門性や複雑な現実の価値を過小評価してしまうという現象です。知識が浅い段階では、世界がとてもシンプルに見えてしまうため、「未来だけ見ていればいいんだ」という単純なスローガンを真に受けて、他者の領域に土足で踏み込んでしまうわけです。逆に、深く学べば学ぶほど、自分の知っていることの小ささや、世の中の複雑さに気づき、謙虚にならざるを得なくなります。かなこ氏の古代史という深遠な世界に対して、自分の狭い物差しだけで「意味がない」と断じてしまった営業マンの姿は、まさにこのダニング=クルーガー効果の典型例と言えるかもしれません。
私たちがこのエピソードから得られる最大の教養は、「自分の専門性や世界観だけが絶対正しいという呪縛から自由になり、他者の営みに対する深いリスペクト(敬意)を持つことの重要性」です。ビジネスでもプライベートでも、目の前の数字や短期的な成果だけに囚われていると、人生の豊かさや、目に見えない文脈の価値を見落としてしまいます。科学的・経済学的な合理性を追い求めることと、歴史や文化、人間ドラマといった過去の蓄積を愛おしむことは、決して矛盾するものではありません。むしろ、その両方をバランスよく持ち合わせている人こそが、真に知的で、予測不可能な未来をしなやかに生き抜くことができる人なのだと思います。
今回のエピソードをきっかけに、ぜひあなたも自分の日常を少しだけ引いた目で観察してみてください。目の前の忙しさに追われて「過去の蓄積」や「他者の専門性」を軽視してしまっていませんか。たまには立ち止まって、私たちが今立っている場所が、どれほど多くの先人たちの過去の努力という「巨人の肩」の上にあるのかを思い出してみるのも素敵ですね。過去を知ることは、未来をより深く、より優しく見つめるための最高の武器なのですから。
