社員退職は組織の通信簿!困らなかったAさんと崩壊したBさんに見るマネジメント責任

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こんにちは。心理学や経済学、統計データの海を泳ぐのが大好きな、分析屋です。

SNSで話題になっていた「引き継ぎなしで辞めたAさんと、完璧に引き継いで辞めたBさん」の話、みなさんも見かけましたか?これ、単なる「職場の愚痴」や「あるある話」として消費してしまうにはあまりにも勿体ない、組織論の宝石箱のようなケーススタディなんです。

一見すると、「Aさんは無責任、Bさんは優秀」あるいは「上司が無能」という感情的な結論で終わりがちなこの話。ですが、科学的なメスを入れると、私たちの直感とは少し違う、しかし残酷なほどリアルな「組織の構造的欠陥」が浮かび上がってきます。

今日はこの事例を、心理学、経済学、統計学といった学術的なレンズを通して徹底的に解剖してみましょう。なぜ上司はAさんがいなくなっても困らなかったのか?なぜBさんがいなくなると組織は崩壊したのか?そして、なぜ上司はそれに気づけなかったのか?

コーヒーでも飲みながら、少しだけ知的で、でも明日から使える組織の真実について語り合いましょう。

■パレートの法則とプライスの法則から見る「生産性の不平等」

まず、統計学的な観点から「Aさんが抜けても困らなかった」という現象を紐解いてみましょう。これには、皆さんも一度は耳にしたことがあるかもしれない「パレートの法則」が深く関係しています。

イタリアの経済学者ヴィルフレド・パレートが提唱したこの法則は、別名「80:20の法則」とも呼ばれます。組織において言えば、「成果の80%は、全体の20%の従業員によって生み出されている」というものです。残酷なようですが、多くの組織において、収益の大部分を稼ぎ出しているのは一部のエース級社員であり、残りの大半の社員は、それをサポートするか、あるいは単にそこに存在しているだけに過ぎないというデータが数多く存在します。

さらに、これをより厳密にした「プライスの法則」というものがあります。これは物理学者のデレク・プライスが提唱したもので、「組織の成果の50%は、全従業員数の平方根の人数によって生み出される」という法則です。
例えば、10人の組織なら約3人、100人の組織ならたったの10人が、仕事の半分の成果を上げていることになります。

今回の事例に当てはめると、Bさんは間違いなくこの「平方根」に含まれるハイパフォーマーでした。一方、Aさんは残念ながら、成果への寄与度が低い「その他大勢」のグループに属していた可能性が高いのです。
Aさんが辞めても上司が困らなかったのは、Aさんの業務が組織のコアバリュー(核心的価値)に直結していなかったか、あるいはAさんの生産性が統計的に無視できる誤差の範囲内だったからです。逆に、Bさんが抜けた時の混乱は、組織の出力の大部分を担っていた「心臓部」が突然消失したことを意味します。これは個人の能力差というレベルを超えて、統計的な必然として組織機能の停止を招くのです。

■暗黙知と形式知のジレンマ:なぜマニュアルは役に立たなかったのか

次に、Bさんが「丁寧に引き継ぎをした」にもかかわらず、現場が大混乱に陥った理由を、ナレッジマネジメント(知識経営論)の観点から考察します。ここでキーワードになるのが、ハンガリーの物理化学者・哲学者マイケル・ポランニーが提唱した「暗黙知」という概念です。

ポランニーは有名な言葉を残しています。「我々は、言葉にできるより多くのことを知っている(We can know more than we can tell)」。
例えば、自転車の乗り方を言葉だけで説明して、誰かに乗れるようにさせることはほぼ不可能です。バランスの取り方、ペダルを踏むタイミング、重心の移動。これらは体感として習得している「暗黙知」だからです。

職場における業務もこれと同じです。マニュアルや引継書に書けるのは、言語化可能な「形式知」だけです。「このボタンを押す」「この書類を提出する」といった手順は書けます。しかし、Bさんが持っていた本当の価値は、そこにはありませんでした。
「あのクライアントの担当者は機嫌が悪い時は返信を遅らせた方がいい」「このトラブルが起きた時は、マニュアルにはこうあるけれど、実は総務の〇〇さんに電話一本入れた方が早い」「Aさんのミスはこのタイミングでカバーしておけば大ごとにならない」といった、文脈依存的な判断や人間関係のネットワークこそが、Bさんの業務遂行能力の核だったのです。

上司や周囲が「引き継ぎ完了」と見なしたのは、氷山の一角である「形式知」の移転が終わったに過ぎません。水面下にある巨大な「暗黙知」の塊は、Bさんの退職と共に組織から消滅しました。Bさんがいなくなって初めて「回らない!」とパニックになったのは、組織がこの暗黙知の価値を過小評価し、形式知だけで業務が回っていると錯覚していた証拠なのです。これは心理学で言う「説明深度の錯覚(Illusion of Explanatory Depth)」にも通じます。人は、物事の仕組みを実際以上に理解していると思い込む傾向があります。上司はBさんの仕事を「理解しているつもり」でしたが、実際には表面的な手順しか見ていなかったのです。

■ダニング=クルーガー効果と上司の認知バイアス

ここで多くの人が指摘する「上司の無能さ」について、心理学的に切り込んでみましょう。なぜ上司はBさんの過重労働や重要性に気づけなかったのでしょうか?単に性格が悪いからでしょうか?いいえ、ここには「ダニング=クルーガー効果」という強力な認知バイアスが働いています。

コーネル大学のデヴィッド・ダニングとジャスティン・クルーガーが示したこの効果は、能力の低い人物は、自身の能力不足を認識できないだけでなく、他者の能力を正しく評価することもできないというものです。
もし上司自身のマネジメント能力や実務能力が低ければ、Bさんが行っている高度な業務処理や、水面下でのトラブルシューティング(Aさんの尻拭いなど)の難易度を理解する「物差し」を持っていません。上司の目には、Bさんが涼しい顔で仕事をこなしているように見えるため、「その仕事は簡単なんだろう」と誤認してしまうのです。

さらに、「利用可能性ヒューリスティック」という心理作用も加わります。これは、脳が思い出しやすい情報(目立つ情報)だけを重視して判断する傾向のことです。
Aさんが辞めた時、何も問題が起きなかった。この「問題が起きなかった」という事実は、上司にとって「自分の部署は安定している」「自分はうまく管理できている」という自信(過信)に繋がります。しかし、実際にはBさんが裏でAさんの穴を埋めていたという「見えにくい情報」は、上司の意識には上りません。結果として、上司は「誰が辞めてもなんとかなる」という誤った学習をしてしまい、Bさんの退職というクリティカルな局面でも楽観視してしまったのでしょう。

■Oリング理論が予言する組織崩壊のメカニズム

経済学には「Oリング理論」という非常に興味深いモデルがあります。これは1986年のスペースシャトル・チャレンジャー号の事故(Oリングという小さな部品の欠陥が爆発を招いた)にちなんで、経済学者のマイケル・クレマーが提唱したものです。

この理論は、「生産工程において、一連のタスクの質は、最も能力の低い部分(ボトルネック)によって決定される」というものです。例えば、あるプロジェクトを成功させるために10の工程があり、それぞれの成功確率で最終的な成果が決まるとします。
もし、9人が超優秀(成功率1.0)でも、1人が全くダメ(成功率0.0)なら、全体の成果は「1.0 × 1.0 … × 0.0 = 0」になってしまいます。

今回の事例で言えば、実はAさんがこの「弱いリング(成功率が低い要素)」でした。しかし、Bさんがその卓越した能力でAさんの欠陥をカバーし、擬似的に成功率を1.0に見せていたのです。これを経済学では「補完性」と呼びますが、Bさんは単なる自分の仕事だけでなく、組織全体の「Oリング」が切れないように繋ぎ止める接着剤の役割を果たしていました。

Bさんが退職した瞬間、この補完機能が失われます。するとどうなるか。隠蔽されていたAさんの業務の穴(負の遺産)が一気に顕在化し、さらにBさんが担っていた高度な業務もストップする。組織の生産関数における「掛け算」の項が限りなくゼロに近づき、生産性が劇的に低下したのです。これは足し算で人員が減ったのではなく、システム全体を支えていた重要な変数が抜けたことによる、数式上の崩壊と言えます。

■社会的交換理論と衡平理論:なぜBさんは辞めたのか

最後に、Bさんの心理に寄り添ってみましょう。なぜ、あれほど優秀で責任感のあるBさんが辞める決断をしたのでしょうか。ここには「衡平理論(Equity Theory)」が強く作用しています。

心理学者ジョン・アダムスが提唱したこの理論によれば、人は自分の仕事への投入量(インプット:努力、時間、スキル)と、それに対する報酬(アウトプット:給与、評価、承認)の比率を、他人と比較します。そして、この比率が不公平だと感じた時、強いストレス(不協和)を感じ、それを解消しようと行動します。

Bさんの視点に立ってみてください。
インプットは莫大です。自分の業務に加え、Aさんのフォロー、難しい顧客対応、完璧な引き継ぎ資料の作成。
一方、アウトプットはどうでしょうか。上司はBさんの苦労を理解せず、「Aさんが辞めても問題ない」と楽観視し、おそらくBさんへの特別な評価や報酬の上乗せもなかったでしょう。
一方で、Aさんは適当に仕事をして(インプット小)、引き継ぎもせず辞めていきましたが、それによって組織が困ることもなく、おそらく給与もBさんと大差なかった可能性があります(多くの日本企業における年功序列の弊害です)。

Bさんは、「自分ばかりが損をしている」「この組織は努力に対して正当な報酬(心理的な報酬含む)を返してくれない」という「心理的契約の不履行」を感じたはずです。心理的契約とは、雇用契約書には書かれていない、「一生懸命働けば大切にされるはずだ」という暗黙の期待のことです。
上司がAさんの穴埋めをBさんがしていることに気づかず、感謝も評価もしなかった時点で、この契約は破棄されました。Bさんの退職は、単なるキャリアアップではなく、不公平な交換関係に対する是正行動、あるいは「報復」としての側面も、無意識レベルであったかもしれません。

■組織の脆弱性と「バス係数」の教訓

ソフトウェア開発の世界には「バス係数(Bus Factor)」というブラックジョークめいた指標があります。「プロジェクトの主要メンバーが何人バスに轢かれたら、そのプロジェクトが破綻するか」を示す数字です。
Bさんが辞めて現場が回らなくなったということは、この部署のバス係数は「1」だったということです。これは、リスク管理の観点から見れば、極めて危険な状態、いや、すでに「終わっている」状態と言えます。

タナカ氏の投稿に対し、かーたつ氏が「組織の脆弱性を映す鏡」と表現したのは、まさにこの点です。退職によって露呈したのは、個人のスキルの有無ではなく、組織が「特定個人への依存」というリスクをどれだけ放置していたかという、マネジメントの怠慢でした。

■結論:私たちは何を学ぶべきか

さて、ここまで科学的な視点で分析してきましたが、結論として私たちはこの事例から何を学ぶべきでしょうか。

第一に、経営者や管理職は「見えない仕事」を可視化する努力を放棄してはいけないということです。数字に表れる成果だけでなく、誰が誰を助けているのか、誰がトラブルを未然に防いでいるのか。これを見抜くには、ダニング=クルーガー効果の罠を自覚し、現場を「観察」する以上の「洞察」が必要です。

第二に、ナレッジマネジメントの限界を知ることです。マニュアルを作れば安心、ではありません。暗黙知は、長い時間をかけた共同作業や対話の中でしか移転しません。Bさんが辞めると決まるもっと前から、ペアプログラミングやジョブローテーションのように、業務を属人化させない仕組み(冗長性)を日常的に組み込んでおく必要がありました。これは経済学で言う「リスク分散」の基本です。

そして第三に、働く私たち自身の視点です。もしあなたがBさんのような立場なら、自分の価値を組織が正しく評価していないと感じた時、衡平理論に従って「去る」という選択は、精神衛生上もキャリア戦略上も、極めて合理的です。自己犠牲の上に成り立つ組織は、遅かれ早かれOリング理論の餌食となり崩壊する運命にあるからです。

この事例は、単なる「困った退職劇」ではありません。現代の組織が抱える、評価制度の不全、属人化のリスク、認知バイアスの罠が凝縮された、生きた教科書なのです。
Aさんが去り、Bさんが去った後の焼け野原で、残された上司と組織がどう再生を図るのか。あるいはそのまま淘汰されていくのか。それは、彼らがこの「科学的な教訓」を痛みを伴いながら理解できるかどうかにかかっています。

皆さんの組織の「バス係数」は大丈夫ですか?そして、あなたの隣にいる物静かな同僚は、実は組織の命運を握る「Bさん」ではないでしょうか?
次に誰かが辞表を出した時、それが単なる欠員補充で済むのか、それとも組織の終わりの始まりなのか。それを分けるのは、今日お話ししたような視点を持っているかどうかなのです。

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