こんにちは、みなさんは日々の中で「昔は好きだったのに、最近はなんだか興味がなくなっちゃったな」とか、逆に「昔は全く見向きもしなかったものに、最近すごく惹かれるな」なんて感じたことはありませんか。年齢を重ねるにつれて、私たちの好みや行動パターンって驚くほどガラリと変わっていきますよね。今回は、あるSNSの投稿を発端にして大きな話題となった、とあるおじいさんの「読書の趣味の変化」というクスッと笑えてしまうエピソードを入り口にして、人間の欲望や心理、そして年齢とともに私たちはどう変化していくのかを、心理学や経済学、統計学といった科学的な目線からじっくりと紐解いていきたいと思います。
事の発端は、高校生の頃にご両親が古本屋を営んでいたという投稿者さんの思い出話でした。かつてその店によく通っていた年配の男性客がいたのですが、その男性は若い頃というか、以前は仏教の難しい専門書を好んで買い求めていたそうです。ところが、歳をとるにつれて、なぜかそのチョイスがエロ本ばかりになっていったというのです。当時高校生だった投稿者さんは、その事実を知ったご両親の会話を聞いて、「一人暮らしで歳を取ると、生きる楽しみがそれしかなくなってしまうのだろうか」と、強烈な衝撃と一抹の恐怖を覚えたのだとか。しかし、大人になった現在の投稿者さんは、道端の雑草を眺めるだけでも十分に日常の幸せを感じられるようになり、「自分は幸いにもあのおじいさんのようにならずに済んだ」と、少しホッとしながら当時を振り返っています。
このエピソード、ネット上では瞬く間に大きな反響を呼び、たくさんのユニークなリプライや大喜利的な解釈が寄せられました。中でも多かったのが、「仏教の難しい本で散々勉強し尽くした果てに、最後にたどり着いた境地こそがエロ本であり、これぞ真の『悟り』なのだ」というユーモラスな意見です。仏教という学問を通じて煩悩について深く学び、長い人生の旅の終着点として、人間にとって最も原始的で根源的な煩悩へと見事に回帰したというわけです。また、仏教の開祖であるシッダルタが厳しい苦行の無意味さに気づいて真理にたどり着いた故事になぞらえて、「このおじいさんも、小難しい教養書を読むよりエロ本のほうが圧倒的に素晴らしいと気づいた大賢者に違いない」と面白がる声もあがっていました。
こうしたネットのユーモアあふれる反応は本当に微笑ましいものですが、心理学や経済学の視点からこのおじいさんの変化を真面目に分析してみると、実は人間の脳や社会的な行動原理に基づいた、非常に理にかなった現象であることが見えてきます。まず心理学の観点から考えてみましょう。人間の欲求の構造を説明する有名な理論として、マズローの欲求階層説が挙げられます。アメリカの心理学者アブラハム・マズローは、人間の欲求はピラミッドのように低次元のものから高次元のものへ階層をなしていると提唱しました。ピラミッドの底辺には食欲や睡眠欲といった生理的欲求があり、その上に安全の欲求、所属と愛の欲求、承認の欲求、そして最上部に自己実現の欲求が位置しています。
若い頃、難解な仏教書を買い求めていたおじいさんの姿には、もしかすると「知的好満を満たしたい」「周囲から物知りで知的だと思われたい」といった、承認欲求や自己実現欲求の側面が強く影響していたのかもしれません。私たちは若い時期、社会的な地位を築いたり、他者から優秀だと認められたりするために、無意識のうちに「自分を大きく見せるための消費や行動」を選びがちです。社会心理学では、これを「シグナリング効果」や「他者視点の内面化」と呼ぶことがあります。他人にどう見られるか、自分が属するコミュニティでどう評価されるかという外的なプレッシャーが、私たちの趣味や読書の選択を大きく方向づけているのです。
しかし、人間が年齢を重ねて高齢期に差し掛かると、この社会的なプレッシャーや他人の目を気にする度合いが劇的に低下することが、数々の心理学的調査によって明らかになっています。これを心理学の分野では「社会情動的選択性理論」などで説明することがあります。アメリカの心理学者ラウラ・カーステンセンらが提唱したこの理論によると、人間は自分の残された人生の長さ(時間的展望)をどのように知覚しているかによって、選択する目標やモチベーションが大きく変わるとされています。若い頃は「未来は無限にある」と感じているため、知識を広げたり、将来のキャリアや社会的な評価につながるような、いわば「投資的な活動」や「遠い未来を見据えた学習」にエネルギーを注ぎ込みます。仏教の難しい本を読み漁ることは、まさにこの知的な投資活動の一環だったと言えるでしょう。
ところが、年齢を重ねて人生の残り時間が限られてくると、人間の脳は無意識のうちに「未来への投資」よりも「現在の感情的な充足」や「今ここにある幸福感」を優先するようになります。遠い未来のために小難しい本を読んで頭を悩ませるよりも、目の前の欲求に素直に従い、シンプルに心がときめいたり、手っ取り早くドーパミンが分泌されたりするような娯楽を求めるようになるのは、生物学的な生存戦略や心理的な防衛反応としても非常に自然な変化なのです。他人の目を気にして難解な本を読んでいたエネルギーが枯渇し、あるいは他人の目を気にする必要性がなくなり、自分が本当に欲しているものだけに純粋に向き合えるようになった結果が、あのエロ本の山だったとしたらどうでしょう。それは決して「悲しい衰え」などではなく、むしろ社会的なしがらみから完全に解放された「究極の境地」、まさにネット民が面白がった通りの「大いなる悟り」と言い換えることもできるのではないでしょうか。
さらに、経済学や行動経済学的の視点からも、この現象は非常に興味深く読み解くことができます。経済学では、人間の消費行動や選択は常に合理的であると仮定されてきましたが、行動経済学はそこに人間の心理的なバイアスや感情を持ち込みます。例えば、若い頃の私たちは「見栄の消費」や「将来への投資としての消費」に多くのお金を投じがちです。分厚くて難解な哲学書や仏教書を買うことは、読破したときの達成感や、それを本棚に並べている自分を他人に見せるという無形の配当を期待した投資行動でもあります。しかし、高齢期に入ると、こうした「他者からの評価」というリターンが計算できなくなる、あるいはリターンの価値が相対的に著しく低下します。
行動経済学における「現在バイアス」という概念も参考になります。人間は、将来得られる大きな報酬よりも、今すぐ手に入る小さな報酬を過大評価してしまう傾向があります。しかし、年齢を重ねて高齢期になると、この現在バイアスの意味合いが変わってきます。若い頃の現在バイアスは「目先の誘惑に負けて勉強をサボる」といった非合理的な失敗を意味しますが、高齢期における現在バイアスは、限られた余生をいかに心地よく、ストレスなく過ごすかという極めて合理的な最適化行動へと変化します。明日どうなるかわからない、あるいは未来への長期的な投資に意味を見出せない状態において、自分の本能的な欲求に忠実になり、今この瞬間に快楽を得られるものを選ぶことは、経済学的に見ても「効用の最大化」を達成している状態なのです。
また、統計学やライフコース研究のデータを見ても、人間の興味や関心のシフトは年齢とともに一定のパターンを描くことが分かっています。大規模なパネル調査などによると、パーソナリティの特性を表す「ビッグ・ファイブ」(開放性、誠実性、外向性、協調性、神経症的傾向)のうち、年齢とともに「誠実性」や「協調性」はやや高まる一方で、新しいことへの「開放性」や、他人の評価を気にしすぎる「神経症的傾向」は低下していくことが示されています。つまり、歳をとるにつれて私たちはどんどん「自分らしく、いい意味で図々しく、リラックスした状態」になっていくのです。若い頃は「こうあるべきだ」「もっと勉強して教養をつけなければならない」という世間体や理想像に縛られていた心が、年齢という強力なクッション材によって柔らかくほぐされ、最終的には「自分が本当に好きなもの、心地よいものだけを愛でて生きていきたい」という本音に回帰していくわけです。
投稿者のコペ氏は、当時その話を聞いて「歳をとってそれしか楽しみがなくなってしまうなんて恐ろしい」と感じたそうですが、大人になった現在は道端の雑草を見るだけでも十分に楽しいと感じられるようになり、あのような極端な変化をせずに済んだと語っています。この「道端の雑草を見るのが楽しい」という感覚こそが、実は非常に豊かな心の成熟を示しています。心理学では、日常の些細な刺激や自然の美しさに気づき、そこに喜びを見出す能力を「マインドフルネス」や「日常的感性の豊かさ」と関連づけて語ることがあります。若い頃は人生の大きな目標や刺激、あるいは難解な知的探求に価値を見出していた私たちのアンテナが、年齢とともに微細なもの、身近なもの、静かなものへとチューニングされていくのは、人間の感性の見事なグラデーションだと言えます。
では、ここで少し立ち止まって、私たち自身の今の生活や欲望について考えてみましょう。私たちは日々の生活の中で、どれくらい自分の本当の欲求に素直に従えているでしょうか。ひょっとすると、SNSのタイムラインでキラキラした他人の生活を見せつけられたり、社会的な「こうあるべき」というプレッシャーに押しつぶされそうになりながら、本当はもっとシンプルで、自分だけの小さな楽しみを求めているのに、それを心の奥底に押し込んではいないでしょうか。
今回話題となった年配の男性客は、周囲の目を恐れず、あるいは周囲の目などもうどうでもいいという境地に達したからこそ、自分の本能が求めるものに真っ直ぐに生きることができました。それが仏教からエロ本への移行という、あまりにも振り切った変化であったがゆえに周囲に衝撃を与えましたが、その姿の裏側には、世間のしがらみから自由になった人間のたくましさと、ある種の潔さが隠されています。もちろん、全員がそのおじいさんのようにエロ本にたどり着く必要は全くありませんし、投稿者さんのように道端の雑草に癒やされる人生もまた、最高に素敵で豊かなものです。大切なのは、年齢とともに私たちの欲望や楽しみの形が変わることはごく自然なことであり、その変化を決して恐れる必要はないということですむしろ、年齢を重ねるごとに「自分が本当に楽しめるもの」の引き出しが増えていくことこそが、人生の最大の醍醐味なのかもしれません。
ここまで、人間の欲望や心理、年齢による変化について、心理学や経済学、統計学といった科学的な理論を交えながら考えてきました。私たちが日ごろ何気なく目にする他人の行動や、ネット上のユニークなエピソードの裏側には、人間の脳の仕組みや、社会的なプレッシャーと解放のドラマが隠されています。もし次に、街で見かけた誰かの意外な行動や、昔の自分では想像もしなかったような自分の好みの変化に気づいたときには、「あぁ、これこそがマズローの欲求の移行なのだな」とか「社会情動的選択性理論がうまく働いている証拠だな」と、ちょっと科学的な視点を取り入れて面白がってみてください。それだけで、日常の景色がほんの少し違って見えてくるはずです。
最後に、この記事を読んでくださったあなたにお願いです。今日の帰り道、あるいは明日の朝、いつもは素通りしてしまうような道端の雑草や、普段は手に取らないようなジャンルの本に、ちょっとだけ目を向けてみてください。そして、あなたが今、心の底から「楽しい」と感じられるものは何か、誰の目も気にせずに純粋に味わえる喜びは何かを、ぜひご自身に問いかけてみてくださいね。自分の内側にある欲望や感性に正直になること、それこそが、どんな難解な仏教書を読むよりも深く、そして最高に面白い「人生という名の悟り」への第一歩なのですから。

