19℃でダウン!?ベトナム人の異常な寒がり、あなたも体験したい?

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いやはや、ベトナムの人々が19℃でダウンを着込んだり、中には布団を体に巻き付けてバイクに乗ったりするなんて話、初めて聞くと「え、マジで?!」ってなりますよね。投稿者の方が0℃でも半ズボンでベトナムに行くとおっしゃるのとは対照的で、この温度差…じゃなくて「体感温度差」には、なんか不思議な魅力がありますよね。

でもこれって、単に「国民性が違うんだね」で片付けちゃっていいんでしょうか? もちろん、文化や習慣の違いは大きいんですが、私たち専門家としては、その「なんで?」の裏側に隠された、もっと深い心理学、経済学、そして統計学的なメカニズムを紐解いてみたいと思うわけです。今回は、その謎を一緒に探っていきましょう!

■19℃を極寒と感じる身体の不思議:温熱中立帯の秘密

まず、ベトナムの人々がなぜ19℃をそんなに寒く感じるのか、身体的な側面から探ってみましょう。人間って、環境に適応する能力がすごく高い生き物なんです。赤道直下の熱帯で暮らす人と、極寒の地で暮らす人では、体のつくりや生理機能が微妙に違ってくるのはご存存じのとおり。この違いが、私たちが「快適」と感じる温度範囲、つまり「温熱中立帯」に影響を与えるんです。

一般的に、熱帯地域で育った人々は、寒い地域の人々に比べて、より高い室温を快適と感じ、低い室温を不快と感じる傾向があることが研究で示されています。例えば、インドのような温暖な地域での研究では、居住地の気候帯によって快適な室内温度の範囲が異なることが報告されています(Nikolopoulou & Steemers, 2003)。これは、長期間にわたる環境への生理的適応によるものだと考えられています。

ベトナムの人々は、年間を通して比較的高い気温に慣れているため、体が「低温」と認識する基準点が、私たち日本人よりも高いところにあるのかもしれません。普段の生活で25℃〜30℃が当たり前だとすると、19℃というのは、彼らにとっては体感としてかなり大きな温度の「降下」なんです。

さらに、基礎代謝も関係している可能性があります。寒い地域で暮らす人々は、体内で熱を産生するために基礎代謝量が高くなる傾向がありますが、温暖な地域の人々は、そこまで高い基礎代謝を必要としません。つまり、ベトナムの人々は、私たちの体よりも、そもそも「熱を生み出す力」が低い状態で生活している可能性も考えられるわけです。デンマークの熱快適性研究の第一人者であるP.O. Fanger(ファンガー)の熱快適性モデルは、環境要因だけでなく、活動量や着衣量、さらには代謝量といった個人差が快適性に大きく影響することを示唆しています(Fanger, 1970)。

体と環境が密接に影響し合っていることを考えると、ベトナムの人々が19℃を寒く感じるのは、彼らの体がその環境に最適化された結果とも言えるでしょう。

■「参照点」が左右する体感温度:プロスペクト理論で読み解く心の動き

身体的な適応があるとはいえ、同じ気温なのに「災害レベルの寒さ」とまで表現されるのは、何か別の心理的な要因も働いているはずですよね。ここで登場するのが、行動経済学の巨匠、ダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーが提唱した「プロスペクト理論」です。

この理論は、人間は絶対的な価値ではなく、「参照点(基準点)」からの変化によって、利得(得すること)や損失(損すること)を評価し、意思決定を行うというもの。例えば、急に1万円もらった時と、もともと10万円持っていたのが9万円になった時では、同じ「1万円」の変化なのに、感情的なインパクトが全然違いますよね? 後者の方が「損した!」という気持ちが強く残るはずです。

この考え方を体感温度に当てはめてみましょう。普段、平均気温が25℃以上という快適な環境で過ごしているベトナムの人々にとって、19℃という気温は「参照点」である普段の快適な温度から大きく下がる「損失」として認識される可能性があります。だからこそ、生理的な寒さに加えて、「いつもより寒い!」という心理的な不快感が強調され、私たち日本人から見ると「過剰」とも思える反応につながっているのかもしれません。

また、Helsonの適応レベル理論(Adaptation Level Theory)も、この現象を説明するのに役立ちます。この理論は、現在の経験が以前の経験に順応して基準が形成されることを説明しています。つまり、ベトナムの人々は普段の高い気温に順応しているため、少しの気温低下でもより強く寒く感じ、それを不快と感じる「適応レベル」が形成されている、と解釈できるわけです。

体は順応し、心はその変化を「損失」と捉える。この二重のメカニズムが、彼らの「寒がり」の背景にあるのかもしれませんね。

■なぜみんな布団を巻く? 集団心理が生み出す「流行」

投稿のコメントには、「みんなお布団被ってる」「布団着たまま通勤したいという願望が実行されてる」なんて、ちょっとユーモラスな表現もありましたよね。布団を巻いてバイクに乗るなんて、日本ではまず見ない光景です。でも、もしそれが「みんなやっている」状況だったらどうでしょうか?

ここで登場するのが、心理学における「社会的証明」の原理です。ロバート・チャルディーニの著書『影響力の武器』で詳しく解説されているこの原理は、人は他人が何を正しいと考えているかを知ることで、自分自身の行動を決定するというものです。特に、自分がどう行動すべきかわからない状況では、周囲の行動を真似る傾向が強くなります。

ベトナムで急な寒さに見舞われた際、もし誰かが「手持ちの防寒具がないから、家にある布団を巻いていこう」と考え、それを実行したとします。そして、周りの人も同じように寒がっていて、しかも手持ちの防寒具が乏しいとなると、「あ、あの人布団巻いてる!なるほど、それなら暖かいし、他にいい方法もないし…」と、次々にその行動に同調していく可能性が大いにあります。

アッシュの同調実験など、人は集団の中で多数派の意見や行動に流されやすいことが数多く実証されています。みんなが布団を巻いてバイクに乗っていれば、それはその状況における「正しい防寒対策」であり、「恥ずかしいことでも危険なことでもない」という認識が広がるかもしれません。結果的に、「布団巻きバイク」が一時的な「流行」として定着する、なんてことも十分にありえるわけです。人間って、面白いですよね。集団の中では、個人の常識が簡単に書き換えられちゃうんですから。

■防寒具が普及しない経済的理由:需要と供給の法則

しかし、なぜベトナムではそんなに防寒具が手に入りにくいのでしょうか? 「急な寒さへの対応策が独特なものになるのは、防寒具が一般的でなかったり、必要とされていなかったりするからではないか」というユーザーの推測は、経済学の観点から見ると非常に的を射ています。

経済学の基本原理である「需要と供給」の法則を考えれば、これは納得できます。温暖な気候のベトナムでは、分厚いダウンジャケットや高性能な防寒肌着といった本格的な防寒具への需要は、普段から極めて低い状態にあります。たまにしか使わないものに、わざわざ高いお金を出そうと思う人は少ないでしょう。

そのため、企業側も防寒具の生産や流通に力を入れません。大規模な生産ラインを構築したり、全国に流通網を整備したりするインセンティブがないため、市場に出回る防寒具の種類は限られ、価格も高くなりがちです。これは、寒い地域で水着や扇風機がほとんど売れないのと同じ理屈です。結果として、いざ「寒い!」と感じた時に、手頃な価格で適切な防寒具が手に入らない、という状況が生まれてしまうわけですね。

さらに、経済発展の段階も影響している可能性があります。先進国では当たり前のセントラルヒーティングや二重窓といった住宅の断熱性能、公共施設の暖房設備などが、まだ十分に整備されていない地域も多いでしょう。こうしたインフラが不足していれば、室内でも寒さを感じやすくなり、個人レベルでの防寒対策(例えば、布団を巻くなど)に頼らざるを得ない状況が生まれるのも当然です。経済学は、個人の行動だけでなく、社会全体のインフラや市場構造にも目を向けることで、より深い理解をもたらしてくれるんです。

■「布団巻きバイク」に見る限定合理性とリスク認知のバイアス

さて、布団を体に巻き付けてバイクに乗る、という光景。安全性の懸念も多く寄せられていましたが、なぜ人々はそれでもそのような行動をとるのでしょうか? ここには、人間の意思決定における「限定合理性」と「リスク認知のバイアス」が関わっています。

ノーベル経済学賞受賞者であるヘルベルト・サイモンが提唱した「限定合理性」の概念によれば、人間は常に完璧な情報と計算能力を持って意思決定を行うわけではありません。人は限られた情報、限られた時間、そして限られた認知能力の中で、「満足できる」選択をすることが多いのです。

布団を体に巻いてバイクに乗るという行動は、確かに危険と隣り合わせです。しかし、その瞬間の「寒さをしのぎたい」という強い生理的・心理的欲求に対して、手っ取り早く、かつ最も効果的に感じられる解決策なのかもしれません。他に選択肢がない、あるいは選択肢が非常に限られている状況では、その「満足できる」解決策を選ぶのが、人間らしい選択と言えるでしょう。

さらに、ダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーの「プロスペクト理論」は、リスクに対する人間の認知が必ずしも合理的ではないことを示しています。特に「損失回避」の傾向が強い場合、目先の寒さという「確実な損失(不快感)」を避けるために、事故のリスクという「確率的な損失」を過小評価してしまうバイアスが働く可能性も考えられます。

例えば、多くのベトナムの人々にとって、バイクは主要な移動手段であり、日常生活に不可欠です。だからこそ、多少のリスクを冒してでも、その日の寒さを乗り切り、日常を継続したいという欲求が強く働くのでしょう。これは、まさに経済学が教えてくれる「費用対効果」の考え方です。布団を巻くことで得られる「暖かさ」という便益が、事故という「リスク」よりも、彼らにとっては重く見積もられているのかもしれません。

もちろん、これは決して「正しい」とか「推奨される」行動ではありません。統計的に見れば、マフラーや衣服の巻き込みによる事故は確かに存在し、深刻な結果につながる可能性も高いです。世界保健機関(WHO)の報告書でも、東南アジア諸国における二輪車事故の多さと、それに伴う負傷・死亡リスクの高さが指摘されています。しかし、個々の行動の背景には、このような心理的・経済的な判断が複雑に絡み合っている、という視点を持つことが重要なんです。

■統計で見る「異常気象」のインパクト:社会の脆弱性

今回の話題は、19℃という、私たち日本人からすれば「冬にしては暖かい」とさえ感じる気温が発端になっています。しかし、これを統計的な観点から見てみましょう。

ベトナムのような温暖な気候の国にとって、これまで経験しなかったような、あるいは頻度が低かった「低温」は、まさしく「異常気象」と捉えられます。気候変動が世界の各地で極端な気象事象を引き起こしていることは、世界気象機関(WMO)などの報告書でも繰り返し強調されています。ベトナムも例外ではなく、エルニーニョ現象などの影響で突発的な低温に見舞われることがあります。

これらの「異常気象」は、過去のデータと比較して発生頻度が低いため、社会全体がそれに対応する準備(防寒インフラ、教育、適切な防寒具の備蓄など)ができていない状況で発生します。その結果、人々は予期せぬ困難に直面し、普段は起こらないような行動(布団巻きバイクなど)をとってしまうわけです。

例えば、10℃以下で学校が休み、5℃以下で仕事が休みになるという話は、まさに社会が「想定外の低温」に対して、まだ十分なレジリエンス(回復力や適応力)を持っていないことを示唆しています。日本であれば、多少の雪や寒さでは学校や仕事が休みになることは稀ですが、それは社会全体がそのような気象条件に対応するためのシステムや慣習を長年培ってきたからです。

統計的に見て「稀な事象」が起こった時、その影響は、平均的な事象よりもはるかに大きくなることがあります。今回のベトナムの事例は、気候変動がもたらす「極端な気象」が、人々の日常生活や社会システムにどれだけ大きなインパクトを与えうるかを示す、身近な例とも言えるでしょう。

■異文化理解の心理学:私たちの「常識」は世界の「非常識」?

ここまで、ベトナムの人々の「寒がり」という現象を、心理学、経済学、統計学といった科学的な見地から深掘りしてきました。いかがでしたか? 単なる「国民性」で片付けられない、奥深い理由がたくさん隠されていたことがお分かりいただけたかと思います。

私たちは無意識のうちに、自分の文化を基準にして物事を判断する「自文化中心主義」に陥りがちです。日本の冬の基準で「19℃なんて寒くないじゃん!」と思ってしまうのは、ある意味自然な反応です。しかし、文化人類学における「文化相対主義」の考え方は、ある文化圏の行動や慣習は、その文化独自の文脈の中で理解されるべきであり、普遍的な基準で良し悪しを判断すべきではないと教えてくれます。

ベトナムの人々の「寒がり」や独特な防寒対策も、彼らの生理的・心理的適応、社会的規範、経済状況、そして気候条件といった複合的な要因によって形成された、彼らにとっては「合理的」な行動なんです。

私たちは、異なる文化や環境で暮らす人々の行動に出会ったとき、「なんであんなことするんだろう?」という疑問だけでなく、「なぜそうなっているんだろう?」と一歩踏み込んで、その背景にある科学的なメカニズムや文化的な文脈を理解しようとすることが大切です。そうすることで、世界はもっと面白く、もっと深く見えてくるはずです。

今回のベトナムの事例を通して、皆さんの異文化に対する見方が少しでも広がってくれたなら、これほど嬉しいことはありません。これからも、身の回りの「なんで?」を科学的に紐解く旅を、一緒に楽しんでいきましょうね!

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