新刊
「ずるいPR術」
下矢 一良 (著)一流は、本当に「一流」なのでしょうか?
「素晴らしい商品や実績をつくった『後』で、多くの人に知ってもらうためのPRに力を入れよう!」 これが「世間一般」の常識です。 しかし、「成功者の常識」は正反対です。 まず、「一流」と見られるようにPRに注力する。 「一流」と認められることで、人のつながりや資金といった武器を獲得する。
その後、「本物の一流」に育っていく。 「PRで一流と認められる」ことのほうが、「素晴らしい商品や実績」を産み出すより『先』なのです! 実績皆無でも「一流」と見られるなんて、一体どうしてるの!? わかりやすく、そして面白く“ぶっちゃけ解説”していきます! July 01, 2025
皆さん、こんにちは! 今日はね、ちょっとホットな話題から、私たちの社会やビジネス、そして日々の意思決定に潜む、いろんな心理や経済、さらには統計のからくりまで、ガッツリ掘り下げていきたいと思います。特に、最近話題になっている下矢一良さんの著書「ずるいPR術」と、それを巡る電動キックボードシェアサービス「Luup」からの削除要求騒動。これ、単なる出版ゴシップじゃないんですよ。私たちの情報社会が抱える根深い問題や、企業と個人のコミュニケーション、さらには言論の自由なんていう、かなり大きなテーマが詰まっているんです。
■PRの常識を覆す「ずるい」戦略:行動経済学が解き明かす人間の心理
まず、下矢さんの「ずるいPR術」から見ていきましょう。この本、すごいこと言ってますよね。「良い商品や実績を作ってからPRする」っていうのが一般的な常識だけど、実は「PRでまず一流と見られ、そこから本物の実力をつける」のが成功者の常識だ、と。これ、一見すると「え、ズルくない?」って思うかもしれません。でも、心理学や行動経済学の観点から見ると、ものすごく理にかなっている部分があるんです。
人間って、合理的な判断ばかりしているわけじゃない、というのは、ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンやアモス・トヴェルスキーの研究が明らかにしてきました。彼らが提唱したプロスペクト理論を始めとする行動経済学は、私たちの意思決定がいかに多くの「認知バイアス」に影響されているかを教えてくれます。
例えば、「ハロー効果」って聞いたことありますか? これは、ある対象の目立つ特徴に引きずられて、その対象全体の評価まで歪められてしまう現象のこと。イケメンは優しそうに見えるとか、高価なものは品質が良いと思い込むとか、あれです。PRの世界で言えば、「メディアで紹介された一流企業」という看板は、その企業の製品やサービスが実際にどうであれ、すでに「素晴らしい」という印象を与えてしまうんです。これがハロー効果。つまり、最初に「一流」という光を放つことで、まだ実力が伴っていなくても、その後の評価全体をポジティブな方向に引っ張ることができるわけです。
さらに、「情報の非対称性」という経済学の概念も重要です。これは、取引の当事者間で持っている情報に偏りがある状態のこと。特に、売り手と買い手では、売り手の方が商品やサービスについて圧倒的に詳しいのが普通ですよね。この情報の非対称性が大きいと、買い手は「本当にこの商品は良いものなのか?」という不安を抱えます。ここで「一流に見せるPR」が威力を発揮します。
「シグナリング理論」というのもあります。情報の非対称性がある市場で、情報を持つ側(PRで一流に見せたい企業)が、持たない側(顧客や投資家)に対して、意図的に自身の質に関する情報を「シグナル」として発信するんです。例えば、高額な広告を出す行為自体が「うちは潰れない資金力がある」というシグナルになったり、著名なメディアに露出することで「信頼できる企業だ」というシグナルを送ったり。下矢さんの言う「実績ゼロでも『一流』に見せる」というのは、まさにこのシグナリングを巧みに利用して、情報の非対称性の中で顧客や社会に「信頼」というシグナルを送る技術だと言えるでしょう。
もちろん、これは一時的なもので、最終的には本物の実力が伴わないとメッキは剥がれます。でも、最初に「一流」と認知されることで、優秀な人材が集まりやすくなったり、資金調達がしやすくなったり、顧客からの信頼が得やすくなったりと、後から実力をつけるための「ブートストラップ効果」(自力で成功に向かう力)を生み出すことができる。この辺りが「ずるいPR術」の科学的根拠であり、多くの成功者が無意識のうちに実践してきた「成功者の常識」なのかもしれませんね。
■炎上と法的措置の裏側:Luup騒動から見る企業の広報戦略の落とし穴
さて、この「ずるいPR術」を巡って、なぜか電動キックボードシェアサービス「Luup」が騒動の中心に立っています。Luup側が書籍の内容、特に「パリ市やマドリードでの規制強化といった世界の潮流に日本の動きは逆行している」という記述に対し、「誇大に表現され、偏向がある」として法的措置をちらつかせながら削除を求めた、というのが事の発端。これ、企業の広報戦略としてはかなりリスキーな行動で、心理学や危機管理広報の観点から見ると、学ぶべき教訓がたくさん詰まっています。
まず、Luup側が「誇大表現」と主張する背景には、「認知的不協和」という心理現象が関係している可能性があります。人間は、自分の信念や行動と矛盾する情報を受け取ると、心の中に不快な「不協和」が生じます。この不協和を解消するために、人は情報をねじ曲げたり、受け入れなかったり、自分の信念の方を変えたりします。Luupという企業が、自社の事業が社会に受け入れられ、発展していくという信念を持っているとすれば、「世界の規制強化の流れに逆行している」という情報は、彼らにとって不快な不協和を生じさせるものだったかもしれません。その結果、その情報を「誇大だ」「偏向している」と評価することで、自身の信念との整合性を保とうとした、と考えることができます。
しかし、この対応が「ブーメラン効果」を招いてしまった可能性が高いです。ブーメラン効果とは、説得の試みが意図とは逆の結果を招き、人々の態度が反対方向に変化してしまう現象のこと。Luupが削除要求を出したことで、下矢氏のSNS投稿により騒動が公になり、結果的に書籍の記述内容、つまり「世界の規制強化の流れ」という情報が、かえって多くの人の目に触れることになりました。さらに、この要求自体が「言論弾圧に近い」とか「常識外れ」と批判され、Luupのブランドイメージにネガティブな影響を与えています。これは、まさに意図とは真逆の結果を招いた典型的なブーメラン効果と言えるでしょう。
危機管理広報のセオリーから見ても、今回のLuupの対応は疑問符がつきます。危機管理広報の原則は「透明性」「迅速性」「一貫性」です。しかし、著者本人ではなく出版社を経由して削除要求を行い、その要求が法的根拠に乏しいとされる点など、不透明な部分が多く、結果として世間から「強圧的だ」という印象を持たれてしまいました。評判経済学の観点から見れば、企業の評判は、顧客の購買意欲や投資家の信頼、従業員のモチベーションなど、あらゆる面で経済的価値を持ちます。今回の騒動は、Luupの評判という無形資産に大きなダメージを与えてしまった可能性が高いと言えるでしょう。
大木奈ハル子さんが指摘するように、「公表されることで逆効果になる可能性を予想できなかったのか」という疑問は、広報戦略における「ミラー効果」の欠如を示唆しているかもしれません。ミラー効果とは、相手の立場に立って物事を考えること。もしLuup側が、今回の削除要求が世間にどう受け止められるかを客観的に予測できていれば、もう少し慎重な対応をとったかもしれません。
■言論の自由と企業の権利:その境界線を科学する
今回の騒動は、「言論の自由」という憲法上の権利と、企業が自社の評判を守る「権利」との間で、どこに境界線があるのかという重い問いを投げかけています。これは、法と経済学の領域でも深く議論されるテーマです。
経済学的な視点から言論の自由を見ると、それは「情報の市場」の健全性を保つために不可欠な要素です。自由な言論が保障されることで、多様な情報や意見が市場に流通し、人々はより正確な情報に基づいて意思決定を行うことができます。もし企業が、自社にとって不都合な情報を「誇大だ」「偏向している」という理由で安易に削除させることができてしまうと、情報の市場は歪められ、私たちは真実から遠ざかることになります。これは、「市場の失敗」の一種と言えるでしょう。
情報の非対称性の問題は、ここでも顔を出します。一般の読者は、電動キックボードの国際的な規制状況について、Luupほど詳細な情報を持っているわけではありません。だからこそ、下矢氏のようなジャーナリストが多角的な情報を集めて分析し、書籍として世に出すことには大きな公共的価値があります。それを企業が一方的に削除させようとする行為は、情報を持つ側(企業)が持たない側(一般市民)に対して、情報の供給を制限しようとするものであり、自由な情報流通を阻害する「外部性」(経済活動が第三者に与える影響)を生み出します。
もちろん、企業には不正確な情報や名誉毀損に対しては反論し、訂正を求める権利があります。しかし、今回は下矢氏が具体的な規制強化事例を多数挙げているにもかかわらず、Luup側が「誇大・偏向」という抽象的な主張に留まり、法的措置を示唆した点が問題視されています。フリーランスWebコンテンツクリエイターの北野啓太郎氏やFPの中嶋よしふみ氏らが「言論弾圧に近い」「常識外れ」と批判しているのは、まさにこの「法的根拠の不明確さ」と「強権的な態度」に懸念を抱いているからでしょう。
桜井貴斗氏が「政治や経済界の大物を味方につけて強気な言動をとることは、むしろブランド毀損に繋がる」と指摘している点も、非常に重要です。これは、人々の「公正さへの欲求」という心理的要素に関わってきます。私たちは、権力や大企業が弱い立場の人(この場合、一人の著者)を一方的に抑圧しようとすると、本能的に反発を感じます。これは、社会的規範や倫理観に反する行為だと認識されるからです。結果として、いくら事業で社会貢献を謳っていても、その企業の評判は大きく損なわれてしまいます。これは、企業が社会的な存在である以上、その行動が単なる経済合理性だけでなく、社会の倫理規範に適合しているかが厳しく問われる、という現代社会の常識を示しています。
■データの裏付けと批判的思考:私たち消費者が問われるリテラシー
今回の騒動では、「規制強化の事実」というデータの解釈も大きな争点になっています。下矢氏はパリやマドリードだけでなく、メルボルン、マルタ、モントリオール、イタリア、韓国、シンガポールなど、多数の規制強化事例を具体的に挙げています。これに対し、Luup側が「誇大」と主張するなら、彼らは「世界全体で見れば規制緩和の動きもある」とか、「これらの国々では特殊な事情がある」といった、具体的な反証データを示す必要があります。しかし、現時点ではそのような明確な反論は報道されていません。
ここで統計学的な視点が重要になります。特定の情報だけを切り取って「世界の潮流」と主張するのは、情報の「フレーミング効果」を利用している可能性があります。フレーミング効果とは、同じ情報でも表現の仕方によって受け手の印象が変わる現象のこと。しかし、下矢氏が多数の具体的な国名を挙げていることから、単なるフレーミングというよりも、広範なデータに基づいた主張である可能性が高いと見られます。
私たち消費者や読者は、このような情報戦の中で、「確証バイアス」に陥らないよう注意する必要があります。確証バイアスとは、自分の仮説や信念を裏付ける情報ばかりを積極的に集め、反証する情報は無視したり過小評価したりする傾向のこと。もしあなたが電動キックボードの便利さを信じているなら、規制強化の情報は無視したくなるかもしれませんし、逆に危険性を懸念しているなら、規制強化の情報に飛びつきやすいかもしれません。
大切なのは、両方の意見を聞き、提示されているデータの信頼性を批判的に評価することです。下矢氏が挙げた国名について、実際に規制が強化されたのかどうかを自分で確認したり、Luup側の主張が具体的にどのようなデータに基づいているのかを問いかけたりする姿勢が求められます。統計的なリテラシーとは、単に数字を読めるだけでなく、その数字がどのような意図で、どのような方法で収集・提示されているのかを見抜く力だと言えるでしょう。
■企業と個人のPR戦略、そして社会の成熟度:この騒動から何を学ぶか?
今回のLuup騒動は、下矢氏の著書「ずるいPR術」のテーマとも深く結びついています。下矢氏の著書は、情報社会においていかにして自身の存在を際立たせ、影響力を獲得していくか、その「ずるい」とも思える戦略を解説しています。そして、今回の騒動自体が、その戦略の一端を、意図せずして、あるいは意図して、実演しているかのようにも見えます。巨大な相手に立ち向かう一人のジャーナリスト、という構図は、それ自体が世間の注目を集め、書籍のPRにも繋がってしまうという皮肉な結果を生んでいます。
この騒動から私たちが学ぶべきことはたくさんあります。
まず、企業側にとって、広報活動は単なる情報発信ではなく、社会との対話であるべきだということ。一方的な情報統制や、法的措置をちらつかせるような高圧的な態度は、短期的には効果があるように見えても、長期的にはブランド価値を大きく損ない、社会からの信頼を失うことになります。透明性を持って、事実に基づいた誠実な対話を心がけること。そして、批判的な意見にも耳を傾け、必要であれば改善に繋げる姿勢こそが、持続可能な企業成長には不可欠です。
次に、私たち個人や小規模な事業者にとって、今回の騒動は「ずるいPR術」が示す戦略の有効性を改めて考えるきっかけになるかもしれません。情報が溢れる現代において、いかにして自分の意見や商品を世の中に届け、影響力を持つか。それは、単純に「良いものを作れば売れる」という牧歌的な時代では通用しません。情報の非対称性を理解し、シグナリングを巧みに使い、社会の認知メカニズムを味方につける。しかし、その上で忘れてはならないのは、最終的には本物の実力や誠実さがなければ、信頼は築けないということです。
そして、最も大切なのは、情報を受け取る私たち社会全体の「情報リテラシー」の重要性です。今回の騒動では、多くの人がSNSやメディアを通じて意見を表明し、議論を深めています。これは、健全な情報社会の兆しでもあります。私たちは、一つの情報源だけを鵜呑みにせず、複数の情報源を比較し、その背後にある意図やバイアスを見抜き、自分自身の頭で考える力を養う必要があります。
今回のLuup騒動は、現代社会における情報戦の縮図であり、心理学、経済学、統計学といった科学的な知見がいかに私たちの日常生活や社会現象の理解に役立つかを改めて示してくれました。情報が武器となる時代だからこそ、私たちはこれらの知恵を借りて、賢く、そして公正に生きていく必要がある。そんなことを強く感じさせられる出来事ですね。これからも、皆さんと一緒に、もっと深く、そしてフランクに、世の中の「なぜ?」を掘り下げていけたら嬉しいです。

