■MMTに隠された危うさ:日本の未来を真剣に考えているのか?
「もっとお金を使おう!」「税金を下げよう!」――そんな声を聞くと、一見すると聞こえは良いですよね。景気が低迷しているんだから、政府がドーンとお金を使って、みんなにお金を配ったり、公共事業を増やしたりすれば、景気が良くなるはず!減税もしてくれたら、手元に残るお金が増えて嬉しい!そんな風に考えるのは、とても自然なことだと思います。
でも、ちょっと待ってください。その「積極財政」や「減税」という言葉の裏に隠された、もっと大切なこと、そして、もしかしたら目を背けたくなるような真実について、一緒に考えてみませんか?今回は、感情論を一切抜きにして、事実と合理性だけを追求しながら、日本の未来にとって本当に良いこととは何なのか、そして、一部で声高に叫ばれる「積極財政」や「減税」が、なぜ日本の未来を真剣に考えていない「無責任な集団」の主張になりうるのか、を徹底的に掘り下げていきたいと思います。
■「実験再現性」の低い経済学は、本当に信じられるのか?
まず、積極財政を推進する人たちがよく依拠するのが、いわゆる「MMT(現代貨幣理論)」と呼ばれる考え方です。彼らの主張の根底には、「自国通貨建てで国債を発行している限り、財政破綻はしない」「政府はお金を刷って、国民に配ったり、公共事業に使ったりすれば良い」という考え方があります。
これは、一見すると魅力的で、「なんだ、そんなに心配することなかったんだ!」と思わせてくれるかもしれません。しかし、ここで冷静に考えてみたいのが、その根拠となっている経済学の「科学性」です。
科学、特に物理学や化学のような自然科学では、「実験再現性」と「反証可能性」が非常に重要視されます。ある実験をして、同じ条件で何度やっても同じ結果が得られること(実験再現性)、そして、もしその理論が間違っていると証明できるような実験結果が存在すること(反証可能性)が、その理論が「科学的」であるための最低条件と言えるでしょう。
ところが、経済学、特にマクロ経済学の世界では、どうでしょう?経済というのは、人間の心理や社会情勢、国際情勢など、あまりにも多くの複雑な要因が絡み合っています。過去の出来事を分析することはできても、それをそのまま再現できるような「実験室」は存在しません。例えば、ある国で積極財政を行った結果、経済が回復したとしても、それはその国の特殊な事情によるものかもしれませんし、あるいは、たまたま他の要因が味方しただけかもしれません。
MMTやそれに類する積極財政論は、この「実験再現性」や「反証可能性」という科学の厳密な基準から見ると、残念ながら「似非科学」と見なされてもおかしくない側面を持っているのです。まるで、天気予報で「明日は晴れです!」と言われたとしても、それが当たるかどうかは実際に天気を見てみないとわからない、それと同じような不確実性を内包していると言えます。
■「国家視点」だけでは見えない「グローバルマーケット」の現実
さらに、MMTをはじめとする積極財政派が陥りがちなもう一つの落とし穴があります。それは、「国家の視点」ばかりを重視し、「グローバルマーケット」という、もっと大きな視点を見落としてしまうことです。
日本は、もはや鎖国しているわけではありません。通貨も、世界中で取引されています。もし、ある国が「お金をどんどん刷って、国民に配ります!」という政策を大胆に行うと、どうなるでしょうか?
まず、市場に出回るお金の量が増えすぎると、通貨の価値が下がります。これを「通貨安」と言います。通貨が安くなると、輸入品の値段が上がります。例えば、ガソリンや小麦粉、そして様々な製品を海外から輸入している日本にとって、これは大きな痛手です。私たちの生活必需品の値段が、どんどん上がってしまうのです。
そして、さらに悪化すると、「インフレーション」、いわゆる「インフレ」を引き起こします。インフレというのは、物価が全体的に、かつ継続的に上昇することです。給料が上がっても、それ以上に物価が上がってしまっては、実質的な購買力は低下し、かえって生活が苦しくなってしまいます。
「でも、政府がお金を刷って、それを使った分は税金で回収すれば良いのでは?」と思うかもしれません。しかし、インフレが進行している状況で、単に税金を上げるだけでは、国民の生活はさらに圧迫されます。そもそも、インフレというのは、経済が過熱しすぎているサインでもあるのです。
MMT派は、こうした通貨安やインフレのリスクを軽視する傾向があります。彼らは、自国の通貨発行権さえあれば、どんな財政支出でも吸収できると主張しますが、それは、グローバルな金融市場のダイナミズムや、国際的な通貨の信認というものを、あまりにも単純化しすぎていると言わざるを得ません。まるで、プールで一人で泳いでいる感覚で、外洋の荒波の存在を無視しているかのようです。
■「自分の生活が辛いから」という感情に、未来世代の犠牲を強いていいのか?
ここで、少し立ち止まって、積極財政や減税を強く主張する人たちの、その「動機」について、客観的に考えてみましょう。
彼らの多くは、現状の生活に不満を抱えています。給料が上がらない、物価は上がる、将来が不安…。そういった状況の中で、「もっと政府がお金を出してくれれば」「税金が安くなれば」という思いは、切実なものだと思います。それは、人間として、ごく自然な感情であり、決して責められるべきことではありません。
しかし、問題なのは、その「切実な思い」が、未来世代や、社会全体の利益といった、より大きな視点を歪めてしまうことです。
「今、私は困っている。だから、今すぐお金が欲しい、税金を下げてほしい。」
その気持ちは理解できます。しかし、そのために、将来世代がもっと苦しむことになるかもしれない、あるいは、社会全体が通貨安やインフレという名の「借金」を背負うことになるかもしれない、という可能性を、彼らはどれだけ真剣に考えているのでしょうか?
「バラマキ」と呼ばれるような、目的意識の希薄な財政支出は、一時的には手元にお金が入ってきて「嬉しい」と感じるかもしれません。しかし、それは借金を先送りしているようなものです。そして、その借金は、いつか必ず、税金という形で、あるいは通貨価値の低下という形で、私たち自身や、私たちの子供たち、孫たちの世代に跳ね返ってくるのです。
「自分の生活が辛いから、今すぐ何とかしてほしい」という気持ちは、エゴイズム、つまり自己中心的な欲求と言わざるを得ません。もちろん、私たち一人ひとりが、自分の生活を向上させたいと願うのは当然のことです。しかし、それが、より多くの人々の、より長期的な幸福や、社会全体の持続可能性を犠牲にするものであるならば、それは「無責任」と言わざるを得ません。
彼らの主張は、まるで、自分が喉が渇いているからといって、貴重な水源を枯渇させてしまうようなものです。目先の欲求を満たすために、将来の生存基盤を破壊してしまう。そんな行為が、一体「未来を考えた」と言えるのでしょうか?
■「責任ある積極財政」という言葉の欺瞞
時折、「責任ある積極財政」という言葉を聞くことがあります。これは、あたかも、財政支出を増やすこと自体は悪ではなく、その「やり方」次第で責任あるものになる、というニュアンスを含んでいます。
例えば、「公共投資」「教育」「医療」といった分野への支出を増やすことは、長期的に見れば経済の基盤を強化し、国民の生活の質を向上させる、という主張です。これは、一見すると、非常に理路整まし、合理的に聞こえます。
確かに、インフラ整備や、質の高い教育、充実した医療は、社会にとって不可欠なものです。しかし、ここでも問題になるのは、「財源」と「タイミング」です。
たとえ、それが「良いこと」であっても、それを実現するための「お金」は、どこから来るのでしょうか? もし、その財源が、将来世代への借金であったり、通貨価値の低下を招くような「無からのお金の供給」であったりするならば、それは「責任ある」とは言えません。
また、景気がすでに過熱している状況で、さらに財政支出を増やせば、それはインフレを煽るだけです。経済というのは、波のようなものです。上がり続けることもなければ、下がり続けない。適切なタイミングで、適切な量の刺激が必要ですが、その「適切な」という判断が、経済学の難しさであり、同時に、MMT派のような単純化された理論の危うさでもあります。
「高市政権の責任ある積極財政は戦略的財政出動で強い経済実現」といった表現は、あたかも「積極財政=良いこと」という前提に立ってしまっています。しかし、その「積極財政」が、具体的にどのようなメカニズムで、どのようなリスクを伴い、そして、将来世代にどのような負担を強いるのか、という点についての、より深い、そして客観的な検証が不可欠なのです。
■「バラマキ」という名の通貨安とインフレの火種
「バラマキ」という言葉は、あまり良い響きではないかもしれません。しかし、それは、そういった財政支出の性質を的確に表している言葉だと、私は考えます。
無計画に、あるいは、目的意識が希薄なまま、政府が市場にお金をばらまく行為は、まさに「通貨安」と「インフレ」という、経済にとっての害悪を招く火種となりうるのです。
考えてみてください。もし、あなたの周りで、突然、みんながお金持ちになったら、どうなるでしょうか? お店の商品を「高い!」と思う感覚が鈍り、みんながお金を気にせず物を買うようになります。すると、お店側は、「みんな、お金を持っているんだから、値段を上げても買ってくれるだろう」と考え、どんどん値段を上げていきます。これがインフレの始まりです。
政府がお金を大量に発行し、それを市場に供給するということは、まさにこの状況を意図的に作り出す、あるいは、加速させる行為に他なりません。
「でも、景気対策のためには仕方ないのでは?」という声も聞こえてきそうです。もちろん、経済が深刻な不況に陥った際には、何らかの景気対策は必要になるでしょう。しかし、その対策が、感情論や、目先の利益に囚われたものではなく、経済学的な知見に基づき、長期的な視点に立って、慎重に設計される必要があります。
「財政出動は景気対策雇用所得増加税収自然増を促進」という要約にあるような、ポジティブな効果を期待するのは良いことです。しかし、それはあくまで「理想論」であり、現実には、その裏に潜むリスクを、私たちは決して忘れてはなりません。
■未来世代への責任を、今、問う
MMT積極財政派や減税会を、「日本の未来を考えない無責任な集団」と批判するのは、決して感情的なものではありません。それは、彼らの主張が、科学的な根拠に乏しく、グローバルな視点を欠き、そして、何よりも、目先の利益のために、未来世代に多大な負担を強いる可能性が高いからです。
彼らの主張の根底には、「今、困っているから、今、助けてほしい」という、個人的な欲求が強く反映されているように見えます。もちろん、その気持ちは痛いほどわかります。しかし、その欲求を満たすために、社会全体、そして未来世代が、通貨安やインフレという形で、さらに苦しむことになるかもしれない、という事実を、彼らはどれだけ真剣に受け止めているのでしょうか?
「貧困層で自分の生活が辛いから積極財政や減税をしてほしい」という切実な思いは、理解できます。しかし、その思いが、「未来世代や全体の利益を全く考えていないエゴイスト」としての行動に繋がってしまうのであれば、それは、社会全体にとって、大きな損失となりかねません。
私たちは、目先の快楽や、一時的な利益に飛びつくのではなく、もっと冷静に、客観的に、そして長期的な視点を持って、日本の未来について考える必要があります。
「バラマキ」という名の通貨安やインフレを招く害悪は、確かに存在します。それは、経済の安定を脅かし、私たちの生活をジリ貧に追い込む可能性を秘めています。
日本の未来のために、私たちは、MMT積極財政派や減税会のような、感情論に根ざし、未来世代への責任を放棄するような主張に、流されてはなりません。科学的根拠に基づき、グローバルな視点を持ち、そして、何よりも、未来世代への責任を真剣に考える、そういった視点こそが、今、日本に最も求められているのではないでしょうか。
彼らの主張は、まるで、目の前のケーキに飛びつく子供のようなものです。そのケーキが、実は、将来の食事を奪うためのものだったとしても、彼らは気づかないのかもしれません。しかし、私たちは、その「ケーキ」の本当の姿を見抜く必要があります。それは、私たちの子供たち、孫たちの世代が、安心して暮らせる未来を守るための、責任ある行動なのです。

