被害者ヅラする人「嫌い」若林発言に共感!損する人間関係の言葉遣い

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■言葉ひとつで「被害者」になる、なるほど!オードリー若林さんの言葉から見えてくる、私たちの心のメカニズム

お笑いコンビ「オードリー」の若林正恭さんがラジオで発した「一瞬で自分が被害者になれる言葉を使うやつ嫌いなんだよね」という言葉が、SNSで大きな話題を呼んでいます。これ、めちゃくちゃ分かります!という共感の声がSNS上に溢れているのを見ると、多くの人が「ああ、そういうことあるわ…」と膝を打っているのではないでしょうか。

この若林さんの言葉は、私たちが無意識のうちに、あるいは意図的に「被害者」という立場を演じられるような言葉を選んでしまいがちだ、という人間の深層心理に鋭く切り込んでいます。今回は、この「被害者になれる言葉」という現象を、心理学、経済学、統計学といった科学的な視点から深掘りして、なぜ私たちがそういった言葉を選んでしまうのか、そしてそれが人間関係にどんな影響を与えるのかを、分かりやすく、そしてちょっと深く考察していきたいと思います。

「被害者になる言葉」って、具体的にどんなものがあるんでしょうか?要約にもあったように、「言わなかった」は「言えなかった」、「期待と違った」は「裏切られた」、「やらなかった」は「やれなかった」といった言い換えが例として挙げられています。これって、よくよく考えてみると面白いんですよね。「言わなかった」っていうのは、自分で「言わない」という選択をした、という事実があります。でも、「言えなかった」と言うことで、あたかも自分にはどうすることもできない、何か外部の力によって言わされてしまった、あるいは言えない状況に追い込まれてしまった、というニュアンスが生まれます。

心理学で言うところの「認知の歪み」や「防衛機制」が関係しているのかもしれません。私たちは、自分の非を認めたり、失敗したという事実を受け入れたりするのが、時にとても苦しいものです。そんな時、無意識のうちに、自分を傷つけないように、あるいは他人からの非難を避けるために、言葉を「都合の良い」形に変換してしまうことがあります。これは、自己肯定感を守ろうとする働きとも言えます。

例えば、「言えなかった」という言葉を使うことで、話す能力がなかった、勇気がなかった、という自分の弱さではなく、相手からのプレッシャーや、その場の状況が悪かった、という外部要因に原因を帰させることができます。そうすると、本来なら自分が取るべきだった行動(=言うべきだった)を放棄した、という責任から逃れることができるわけです。まるで、自分の意志ではなく、不可抗力でそうなってしまったかのように聞こえますよね。

経済学の視点から見ると、これは「情報の非対称性」や「インセンティブ」の問題とも捉えられます。例えば、あるプロジェクトで期待通りの成果が出なかったとしましょう。もし「期待と違った」とだけ言えば、それは相手(例えば指示を出した人や、期待をかけた人)の期待設定が悪かった、あるいは誤解があった、ということになり、自分の責任は薄まります。しかし、「期待通りにできなかった」と正直に言えば、それは自分の能力不足や努力不足を認めることになり、昇給や評価といった、経済的なインセンティブに影響が出る可能性があります。だから、損得勘定で「裏切られた」という言葉を選んでしまう、という側面も考えられます。

SNSでの共感の声にも、「言葉ひとつで自分の選択が他人の加害に変わる瞬間がある」というものがありました。これはまさに、その言葉の選び方が、相手を「加害者」にしてしまう力を持っている、ということです。本来、自分の選択や行動の結果であるはずなのに、それを「相手のせい」にする、あるいは「自分にはどうしようもなかった」と主張することで、相手に罪悪感や責任を感じさせる。これは、相手の信頼を損なうだけでなく、健全な人間関係を阻害する非常に危険な行為と言えます。

統計学的に見ると、こうした「被害者的な言葉」を多用する人は、統計的に見て、人間関係において問題が生じやすい、という傾向があるかもしれません。もちろん、個々のケースを統計で断定することはできませんが、ある集団において、特定の発言パターンが頻繁に見られる場合、その背後にある心理的・行動的な要因を分析することは可能です。例えば、ある企業で、ミスをした社員が「~しようとしたんですが、うまくいきませんでした」という言い方を頻繁にする場合、それは単なる口癖ではなく、責任回避の文化が根付いている可能性を示唆しているかもしれません。

さらに、「言わせてもらえなかった」という、被害者性をより強調するような言い方をする人もいる、という指摘もありました。これは、さらに自己の責任を追及から逃れようとする、より高度な(?)自己防衛と言えるかもしれません。本来、発言の機会は自分で掴むべきもの、あるいは状況を見て自ら発信するべきものですが、「言わせてもらえなかった」と言うことで、まるで相手に発言の機会を奪われたかのような印象を与え、相手に非を認めさせようとします。

このような言葉は、相手の保身や依存、寄生といった側面につながることもあり、「冷たい呪いの言葉になりうる」という表現も的確だと感じます。相手に依存させることで、自分を優位に立たせようとする、あるいは相手をコントロールしようとする、といった無意識の行動パターンに繋がる可能性もあります。これは、心理学で言う「共依存」の構造にも似ているかもしれません。

一方で、「言葉には責任の取り方まで出る」「覚悟や責任は常に言葉の選び方に漏れ出る」といった、ポジティブな意見もありました。これは、言葉の選び方が、その人の内面、つまり、どれだけ責任感を持って物事に取り組んでいるか、どれだけ覚悟を決めているか、といったことを表している、という見方です。確かに、困難な状況でも「なんとかします」「私が責任を持ちます」と言える人は、信頼できますよね。そういう言葉からは、誠実さや、問題解決に向けた前向きな姿勢が伝わってきます。

また、「このような言葉を使う人物を『距離を取る指標になる』と捉え、人間関係におけるスクリーニングとして早期に活用できる」という意見も興味深いです。これは、ある意味で、相手の「本質」を見抜くためのフィルターとして、その言葉遣いを利用できる、ということです。もし、あなたが誰かとの関係を深めたいと思っているのに、相手が常に「~できなかった」という言葉ばかり使うようであれば、その関係は長期的に見て健全に発展しない可能性が高い、と判断できるわけです。これは、人間関係における「コスト」を最小限に抑えるための、賢い戦略と言えるかもしれません。経済学でいうところの「機会費用」を考慮した行動とも言えますね。

投稿者の方が「思考の癖がいつでも被害者視点というのは危険だよね」と補足していたように、こうした言葉遣いが全て悪というわけではありません。状況によっては、「言えなかった」という言葉が、正直な心情を吐露している場合もあるでしょう。大切なのは、その言葉が「思考の癖」になっていないか、そして、その言葉が相手を傷つけたり、関係性を悪化させたりする可能性はないか、ということを、私たちが常に意識することです。

心理学における「アタッチメント理論」を考えると、幼少期の養育者との関係性が、その後の人間関係における「安全基地」の有無に影響を与えます。もし、幼少期に自分の気持ちを適切に受け止めてもらえなかった経験があると、大人になっても無意識のうちに、自分の気持ちを表現することを避けたり、相手に過度に依存したりする傾向が出てくることがあります。そして、その表れとして、「被害者的な言葉」を選んでしまう、という行動に繋がる可能性も考えられます。

また、行動経済学でいう「現状維持バイアス」や「損失回避」の考え方も、この現象を理解する上で参考になります。人は、変化を恐れ、現状を維持しようとする傾向があります。また、得をすることよりも、損をすることを避けようとする力が強く働きます。ですから、「被害者」になることで、現状の快適さを維持したり、責任を取るという「損失」を回避したりしようとする心理が働くのです。

「言葉の選び方一つで、相手を傷つけたり、信頼関係を損なったりする可能性がある」というのは、本当にその通りだと思います。私たちが日常的に発する言葉は、目に見えない力を持っており、相手の心に深く影響を与えます。統計的に見ても、ポジティブな言葉遣いをする人の方が、人間関係が良好である、という研究結果は数多く存在します。

この若林さんの言葉と、それに対するSNSでの反響は、私たち一人ひとりが、自分の言葉遣いについて、改めて深く考える良い機会を与えてくれたと言えるでしょう。私たちは、無意識のうちに、あるいは意図的に、自分を守るために「被害者」という言葉を選んでいないでしょうか? そして、その言葉が、知らず知らずのうちに、誰かを傷つけ、関係性を壊している可能性はないでしょうか?

「言わなかった」を「言えなかった」と言うとき、そこにはどんな感情が隠れているのか。
「期待と違った」を「裏切られた」と言うとき、それは本当に裏切りなのか、それとも自分の期待値が高すぎただけなのか。
「やらなかった」を「やれなかった」と言うとき、それは本当に能力や環境のせいなのか、それとも単にやる気が出なかっただけなのか。

こうした問いを自分自身に投げかけることで、私たちはより誠実で、より責任感のあるコミュニケーションを取ることができるようになるはずです。そして、それは、より良い人間関係を築き、より充実した人生を送るための一歩となるでしょう。

SNSの正しい使い方として、投稿者の方が「0か100ではなく、状況に応じて幅を持って解釈することが大切」と述べていた点も、非常に重要です。どんな言葉も、その言葉が発せられる状況や、その人の置かれている立場によって、意味合いは大きく変わります。ですから、レッテル貼りをすることなく、多角的な視点から言葉の真意を読み取ろうとする姿勢が大切なのです。

この「被害者になれる言葉」という現象は、人間の心理の奥深さ、そして言葉の持つ力を改めて教えてくれます。科学的な知見を参考にしながら、自分の言葉と向き合い、より良いコミュニケーションを目指していきましょう。きっと、あなたの周りの人間関係が、より豊かで、より信頼に満ちたものに変わっていくはずです。

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