最近よく耳にするようになった買物弱者という言葉について、今日は少し感情を横に置いて、数字や社会の仕組みという客観的な事実から冷静に眺めてみましょう。毎日の生活に欠かせない食料品や日用品を買うのが難しくなっている人が増えているというニュースを見ると、なんだか世の中が冷たくなったような気がして不安になりますよね。でも、こういう時こそ一度立ち止まって、何が起きていて、どう対処すればいいのかを合理的に考えてみる価値があります。誰かのせいにして文句を言うだけでは、お腹いっぱいの夕ご飯は買えませんからね。まずは現実を直視して、自分たちの足でしっかり立つためのヒントを一緒に探していきましょう。
■そもそも買物弱者ってどんな人たちのことなの
ニュースや行政の資料を開くと、買物弱者や食料品アクセス困難者という言葉がよく出てきます。これはいったいどういう状態を指しているのでしょうか。定義をざっくり言うと、身近な場所にあるスーパーや商店がなくなったり、足腰が弱くなって遠くへ行くのが難しくなったりした結果、日常の買い物がスムーズにできなくなっている人たちのことです。具体的には、最寄りの食料品店まで直線距離で五百メートル以上離れていて、なおかつ自動車などの移動手段を持たない高齢者などが主な対象としてカウントされています。若い世代や普段から車を乗り回している人にとっては、五百メートルなんてちょっとした散歩コースですが、高齢になってくると、その距離に重い荷物を持って往復するのは想像以上の重労働になります。
■なぜこんな状況が生まれてしまったのかその裏にある合理的な理由
では、なぜこんなにも買い物が不便な場所が増えてしまったのでしょうか。ここには明確な経済の仕組みが働いています。多くの地方都市や郊外では、人口がどんどん減っています。そして、車社会が進んだことで、みんなが大きなショッピングモールへ車で出かけるようになりました。その結果、住宅街のあちこちにあった昔ながらの個人商店や、地域密着型の小さなスーパーは、お客さんが減って商売上がったりになってしまいました。お店側もボランティアで商売をしているわけではありませんから、売上が減って赤字になれば、店を閉めるか別の場所へ移転せざるを得ません。つまり、お店が消えていくのは、地域の人口減少と消費者の行動の変化という、極めて合理的な経済の結論なのです。そこに行政の責任だとか、時代の冷たさだとかいう感情論を持ち込んでも、経営が成り立たない店を無理に営業させることはできません。市場の原理がそのまま結果として現れているにすぎないのです。
■具体的な数字から見えてくる日本のリアルな現実
もう少し具体的な数字を見てみましょう。経済産業省などの調査によると、全国でこうした買物弱者にあてはまる人たちの数は、なんと九百万人にものぼると推計されています。日本の人口のおよそ十人に一人、あるいはそれ以上の人が、日常の買い物に何らかの不便や困難を感じているという計算になります。九百万人という数字は、東京都の人口に近いほどの膨大な人数です。これは一部の過疎地域だけの特別な問題ではなく、私たちのすぐ隣で起きている普遍的な課題だということがよく分かります。さらに、高齢化のスピードを考えると、この数字は今後も増えていく可能性が高いです。誰かが何とかしてくれるのを待っているだけでは、この九百万人の輪の中に自分がいつの間にか入ってしまうかもしれない、そんな現実が目の前に広がっています。
■行政や企業が取り組んでいる支援策のいま
もちろん、国や自治体、そして民間の企業も、この状況を指をくわえて見ているわけではありません。さまざまな支援策や新しいサービスが次々と生み出されています。例えば、自治体がNPOや地元のスーパーと協力して、定期的に移動スーパーを住宅街まで走らせる取り組みが全国各地で行われています。トラックの荷台に新鮮な野菜や肉、お惣菜をぎっしり積んで、決まった曜日の決まった時間に特定の場所へやってくるサービスです。近所の人たちがそこに集まることで、買い物の場だけでなく、ちょっとしたおしゃべりの場、つまり地域のコミュニケーションの場としても機能しています。また、ネットスーパーの配達エリアを広げたり、タブレット端末を使った簡単な注文システムを高齢者向けに講習会を開いて教えたりする民間企業も増えています。こういったインフラやサービスは日々進化しており、利用者の選択肢は確実に広がっています。
■他責思考や甘えを捨てて主体的になることの大切さ
ここで少し厳しい現実についても触れておかなきゃいけませんね。世の中の不便さに対して、国が悪い、自治体が何もしない、店がないのは行政の怠慢だと、すべてを外側のせいにして文句ばかり言っている人がたまにいます。いわゆる他責思考というやつです。確かに、社会のインフラが昔に比べて弱くなっているのは事実かもしれません。でも、文句を言っているだけで、明日からの食料が勝手に冷蔵庫に届くわけではありません。国や自治体の支援を当てにして、誰かが自分の生活をすべてお世話してくれるのを待つ態度は、単なる甘えにすぎません。自分の人生や毎日の生活の主導権は、あくまで自分自身にあります。環境が変わってしまったのであれば、その変化に合わせて自分の行動や考え方をアップデートしていくしかないのです。他人に期待して裏切られたと嘆くよりも、自分でできる工夫を探すほうが、圧倒的に建設的で前向きな生き方だと言えます。
■デジタルや新しいサービスを使いこなす知恵を持とう
では、具体的に私たちはどう行動すればいいのでしょうか。まず第一に、新しい技術やサービスに対するアレルギーをなくすことです。スマホやインターネット、あるいは宅配サービスなどは、若い世代だけのものではありません。高齢者であっても、使い方を少し覚えれば、これほど頼りになる相棒はありません。ネットスーパーを使えば、重いお米や水だって、玄関先まで配達員が運んでくれます。スーパーまで歩いていく体力がなくても、指先一つで注文が完了します。最初は難しそうに見えるかもしれませんが、孫や近所の人に教えてもらったり、地域の公民館で開かれているスマホ教室に参加したりして、積極的に学んでみましょう。新しいことを覚えるのは脳の体操にもなりますし、何より自分の生活を自分で守るための強力な武器になります。プライドや億劫さを捨てて、時代の便利さを使い倒してやるくらいの気構えが大切です。
■地域のつながりを再構築して助け合う知恵
デジタルだけに頼るのではなく、リアルのつながりを見直すことも大きな解決策になります。昔に比べて近所付き合いが希薄になったとは言われますが、いざという時に頼りになるのは、やっぱり身近な人たちです。例えば、ご近所同士で声を掛け合って、車を出せる人がまとめて買い物に行ってあげたり、お互いの買い物の頼み事をしたりする関係性を築くことです。自分が元気なうちは周りの人を手伝い、自分が少し大変になった時には甘える。そういう互助の精神は、行政のシステムよりも温かく、そして柔軟に私たちを支えてくれます。誰かがやってくれるのを待つのではなく、自分から隣の人に挨拶をしたり、ちょっとしたおすそ分けをしたりする。そういう小さな主体的行動の積み重ねが、結果的に自分自身の生活環境を快適にしていくのです。受け身でいることをやめて、自らコミュニティに関わっていく姿勢を持ちましょう。
■買い物の形が変わることで得られる新しい楽しみ
見方を変えれば、買い物のスタイルが変わることは、必ずしも不幸なことばかりではありません。昔のように毎日重い荷物を下げて商店街を歩き回る必要がなくなることで、空いた時間を別のことに使えるようになります。例えば、趣味の時間を増やしたり、家の中で読書を楽しんだり、あるいはオンラインで遠くにいる家族と会話をしたりする余裕が生まれます。移動スーパーの到着が、毎日のちょっとした楽しみやイベントになるという高齢者もたくさんいます。定点観測のように顔なじみのお客さんと言葉を交わすことが、日々の生活のハリになっているという声も聞かれます。不便さがきっかけとなって、新しい人間関係が生まれたり、時間の使い方が豊かになったりすることもあるのです。マイナスに見える出来事の中に、どうやったらプラスの価値を見出せるか。その視点の転換こそが、合理的な思考の真骨頂です。
■自分の足で立つからこそ人生は面白くなる
甘えや他責思考を捨てて、自分の人生の舵を自分で握る。これは何も特別なことではなく、私たちが自立した大人として生きていくための基本原則です。買物弱者という社会的な課題は確かに存在しますが、それに飲み込まれて被害者意識を持つか、それとも自分の工夫や知恵で乗りこなしていくかは、最終的には自分自身の選択にかかっています。便利なサービスを積極的に調べ、ご近所との関係を大切にし、時には新しい技術に挑戦する。そうやって主体的に動いている人は、環境がどう変わろうとも、しなやかにたくましく生きていくことができます。誰かのせいにしている間は、自分の人生の主役の座を他人に明け渡しているのと同じです。自分の足で立ち、自分の頭で考え、自分の手で暮らしをデザインしていく。その前向きな姿勢こそが、どんな時代であっても私たちを幸せにしてくれる一番の秘訣なのです。今日からできる小さな一歩として、まずは身近な買い物手段や新しいサービスの情報を調べてみることから始めてみませんか。きっと、思っている以上に世界は広く、選択肢はたくさん用意されていることに気づくはずです。

