最近ネットを見ていると、「もう自分には失うものなんて何もない」とか「いっそすべてを投げ出してしまいたい」というような言葉を耳にする機会が増えたような気がします。社会に対して絶望感を抱き、極端な道を選んでしまう人たちを指して、ある種のネットスラングで表現されることもありますよね。今回は、こうした心理状態に陥る背景には何があるのか、そしてなぜそこから犯罪などの破壊的な行動に走ってしまうことが極めて非合理的で、自分にとっても最大級の損害になってしまうのかについて、感情論を一切抜きにして、ファクトと合理的な視点からじっくり考えていきたいと思います。
まず最初に冷静に整理しておきたいのは、「失うものがない」という状態そのものの定義についてです。人間社会で生きている以上、完全に「失うものがない」という人間は理論上存在しません。どれほど生活が困窮していようとも、最低限の生命や身体、そして未来の選択肢という資本が残されています。警察庁や内閣府などが発表している各種の統計データを見てみても、社会的孤立や経済的な困窮が犯罪の引き金になるケースがあることは事実として確認されています。しかし、データが示しているもう一つの動かしがたい事実として、極端な犯罪行為に走った人間のその後の結末は、例外なく「さらなる極度の不利益」をもたらしているという点です。経済的な行き詰まりや人間関係の断絶を感じて自暴自棄になる人は、目の前のストレスや絶望感から逃れたい一心で破滅的な行動に出ますが、合理的に計算すれば、その選択は自分自身の生存確率や利益を完全にゼロにしてしまう自殺行為に他なりません。感情の波に流されて合理的な損益計算ができなくなっている状態こそが、この問題の本質的な原因なのです。
では、なぜ人はそのような非合理的な判断を下してしまうのでしょうか。その背景には、現代社会特有の構造的な問題があります。内閣府の孤独・孤立対策に関する実態調査などによると、日常的に悩みを相談できる相手がいない人や、地域社会とのつながりが希薄な人は、精神的なストレスを抱え込みやすい傾向にあります。人間は本来、社会的な動物であり、他者との関わりの中で自分の存在価値を確認するように進化してきました。しかし、現代はインターネットの普及によって表面的なつながりは増えた一方で、いざという時に頼れる深い人間関係を築くのが難しい世の中になっています。身近に相談できる人がいないと、脳内でネガティブな思考がループしやすくなります。これを心理学や行動経済学の視点から見ると、人は強いストレスや閉塞感を覚えると、正常な認知機能が低下し、目の前の苦痛を今すぐ取り除くことだけに集中してしまう「トンネリング現象」と呼ばれる状態に陥ることが分かっています。つまり、将来どうなるかという長期的な視点がすっぽりと抜け落ち、今日明日をやり過ごすことや、社会に対して復讐したいという短絡的な衝動だけが肥大化してしまうのです。
ここで一度、私たちが暮らす社会の仕組みと、そこに存在する合理性について考えてみましょう。人間社会は、個々の人間がバラバラに生きるよりも、役割を分担して協力し合った方が圧倒的に生存率が高まり、得られる利益も大きくなるという合理的なシステムの上に成り立っています。これを経済学では「社会的分業」や「協調の利益」と呼びます。私たちは普段、意識することなく水道の水を使用し、電気を使い、安全な食料をスーパーで購入して生活しています。これらはすべて、無数の他者がそれぞれの持ち場で社会に貢献し、システムを維持してくれているからこそ成り立っている恩恵です。もしここで、自分一人が社会から見放されたと感じて自暴自棄になり、そのシステムを破壊するような行為に出たとします。一瞬の感情を満たすことはできたとしても、その結果として待ち受けているのは、長期にわたる拘禁刑や、社会的な信用を完全に失うという、人生における最大のコストの発生です。経済学やゲーム理論の観点から見ても、反社会的な行動は、短期的なカタルシスを得られる可能性はあっても、長期的には自分の得点をマイナスへと急降下させる「最悪の選択肢」であることが証明されています。
よく、周囲の目を気にせず自由に生きているように見える人や、組織に縛られずに生きる人を羨ましく思う心理が語られることがあります。しかし、他人に迷惑をかけずに自分の責任で自由に生きることと、社会を逆恨みして自暴自棄になることの間には、天と地ほどの違いがあります。前者は確固たる自己決定と規律に基づいた合理的なライフスタイルですが、後者は単なる思考停止であり、自分の人生の操縦桿を他者や感情に明け渡してしまう怠慢でしかありません。「失ったものがないから何をしてもいい」という考え方は、数学的に見ても論理的に見ても完全に破綻しています。なぜなら、人間の人生という資源は有限であり、その限られた時間をどのように配分するのが最も自分の利益になるかを考えたとき、犯罪や破壊行為に時間を費やすことは、投資対効果がゼロどころかマイナス無限大になるからです。
では、実際に生活が苦しくなったり、精神的に追い詰められたりして、世の中のすべてが嫌になってしまったとき、私たちはどのように行動すれば合理的なのでしょうか。まず第一にやるべきことは、自分の脳がストレスによって正常な判断力を失っているという事実を客観的に認識することです。いわゆる「認知の歪み」が生じている状態に気づくことが、すべてのトラブルを防ぐ第一歩になります。その上で、公的な支援制度や相談窓口を利用することが、最もコストパフォーマンスの高い解決策となります。日本国内には、生活困窮者自立支援法に基づく窓口や、自治体の福祉事務所、厚生労働省が設置している様々な相談窓口が存在します。これらは税金によって運営されているインフラストラクチャーであり、国民が利用する権利を持っています。プライドが邪魔をしたり、誰かに頼るのが恥ずかしいと感じたりするかもしれませんが、感情論を捨てて合理的に考えれば、利用できる制度は使い倒して自分の生活を立て直すことが最も賢い選択です。一人で抱え込んで破滅的な道を選ぶことと比べれば、行政の窓口に足を運ぶことは圧倒的に低コストでありながら、状況を好転させる確率を高める最善の手段なのです。
さらに視野を広げて、私たちはどのように社会と関わっていくべきかについても考えてみましょう。人間の幸福度に関する心理学的・脳科学的な研究の多くは、他者への貢献や利他的な行動が、自分自身の脳内物質であるドーパミンやオキシトシンの分泌を促し、持続的な幸福感をもたらすことを明らかにしています。つまり、社会への貢献というのは、道徳的な綺麗事ではなく、科学的に見て自分自身のメンタルヘルスを安定させ、人生の満足度を向上させるための非常に合理的な戦略なのです。仕事を通じて誰かの役に立ったり、地域コミュニティに何らかの形で参加したり、あるいは身近な人に小さな親切をしたりすること。そうした行動の積み重ねが、自分自身を守る強固なセーフティネットを作り上げます。社会に対して敵意を向けて孤立を深めることは、自らの生存基盤を自らの手で切り崩す行為であり、戦略としても戦術としても大間違いです。
もし今、この記事を読んでいるあなたが、何らかの理由で将来に希望を持てず、すべてを投げ出してしまいたいという気持ちを抱えているとしたら、どうか一歩立ち止まって、冷徹なまでの客観性と合理性を取り戻してください。あなたが抱えている苦しみや孤独感は、あなた自身のせいではなく、社会構造や一時的な環境のミスマッチによって生じている可能性が高いものです。そして、その状況から抜け出すための脱出口は必ず存在します。感情の赴くままに破壊的な行動に走ることは、自分の未来の可能性を自ら踏み潰す、最も愚かで割に合わない行為です。それよりも、まずは深呼吸をして、信頼できる専門機関や相談窓口に連絡を取り、自分の人生の主導権を取り戻すことから始めてみてください。
人生というゲームにおいて、プレイヤーであるあなた自身が生き残り、少しでも多くのリターンを得ることが最も重要な目的であるはずです。社会への貢献を考え、他者との健全な繋がりを再構築し、自らのリソースを最も効率的に配分していくこと。それが、どのような困難な状況にあっても力強く生き抜き、最終的に勝者となるための唯一にして最大の合理的な道筋なのです。感情の波に飲み込まれることなく、ファクトを見据え、一歩ずつ冷静に、自分のための最善の選択を積み重ねていってください。

