人生って、なんかうまくいかないことばかりだなって感じること、誰にでもありますよね。周りの人がキラキラして見えて、自分だけが取り残されているような、そんな気持ちになることもあるでしょう。でも、その「うまくいかない」って、本当にどうしようもないことなんでしょうか?それとも、もしかしたら、ちょっとした考え方や行動の違いで、状況って変えられるんじゃないかって、そんなことを一緒に考えていきたいんです。
■みんなが抱える「なんか違う」の正体
最近、SNSなんかを見ていると、色々な意見が飛び交っていますよね。「あの人は恵まれてるのに不満ばかり」「自分はこんなに苦労してるのに、誰も分かってくれない」なんて声。これって、一体どうしてなんでしょうか。
人は、自分と他人を無意識のうちに比べてしまう生き物です。これは、進化の過程で、集団の中で自分の立ち位置を確認し、生き残るための戦略でもあったと言われています。例えば、昔であれば、周りの獲物の情報や、危険な動物の兆候をいち早く察知できる人が、集団の生存確率を高められたわけです。
現代社会においても、この「比較」というメカニズムは、私たちの行動や心理に深く影響を与えています。特に情報化社会では、SNSなどを通じて、他者の生活や成功、あるいは失敗談に触れる機会が圧倒的に増えました。その結果、私たちは、自分自身の状況を客観的に把握するよりも、他者との比較の中で自分の「立ち位置」を認識しがちになるんです。
この比較によって、「自分は恵まれていない」「自分だけが損をしている」といった感情が芽生えることがあります。これが、いわゆる「剥奪感」と呼ばれるものです。例えば、ある統計によると、所得格差が拡大するにつれて、上位所得者層と下位所得者層の間での「幸福度」の差は、予想されるほど大きくないという研究結果もあります。これは、単に絶対的な所得だけでなく、相対的な所得、つまり「周りと比べてどうか」という感覚が、幸福感に影響を与えている可能性を示唆しています。
■「弱者」というレッテルと、そこから生まれるもの
さて、「弱者」という言葉。これは、社会的に不利な立場に置かれている人々を指すことが多いですよね。経済的な困難を抱えていたり、何らかのハンディキャップがあったり。でも、この「弱者」という言葉が、時に厄介な感情を生むことがあるんです。
考えてみてください。もし、自分が「弱者」だと認識したとします。すると、どうしても「自分は損をしている」「世の中は不公平だ」という気持ちが強くなるかもしれません。そして、その不満を、自分よりも「強者」だと見える人たちに向けることがある。これが、冒頭の要約にある「恵まれたマジョリティが社会的弱者に剥奪感を抱き攻撃する」という状況に繋がっていきます。
さらに、興味深いのは、「曖昧な弱者」が「明確な弱者」を攻撃するケースです。これは、社会には、声高に「自分は弱者だ」と主張する人もいれば、そうではないけれど、どこか生きづらさを感じている人もいます。後者の「曖昧な弱者」が、明確に「弱者」と認識されている人たちに対して、自分自身の「弱者性」を主張するかのように攻撃的になることがあるんです。これは、自分の抱える生きづらさを、外部の対象に投影することで、一時的にでも安心感を得ようとする心理が働いているのかもしれません。
また、「新しい弱者」が「既存弱者」を攻撃する、という現象もあります。これは、社会の変化の中で、新たに不利な立場に置かれた人々が、それまで「弱者」とされてきた人々を攻撃することで、自分たちの「弱者性」を際立たせようとする動きです。例えば、経済状況の変化によって、それまで中流層だった人たちが、経済的に苦しくなった際に、かつての「弱者」層へのバッシングに転じる、といったシナリオが考えられます。
■「誰かのせい」にすることで、本当に楽になるのか?
私たちは、困難に直面したとき、つい「誰かのせい」「何かのせい」にしたくなることがあります。もちろん、社会構造や他者の言動が、私たちの状況に影響を与えることは否定できません。しかし、その「誰かのせい」という考え方に固執しすぎると、どうなるでしょうか。
科学的な研究では、人間の認知には「認知バイアス」と呼ばれるものが存在します。その一つに「根本的帰属の誤り」というものがあります。これは、他者の行動の原因を、その人の内的な要因(性格や能力)に帰属させがちで、状況的な要因を過小評価してしまう傾向です。逆に、自分自身の行動については、状況的な要因を重視し、内的な要因を過小評価する傾向があります。
つまり、他者がうまくいかないときには「あの人は能力がないからだ」と考え、自分がうまくいかないときには「周りが悪い」「運が悪かった」と考えやすいということです。このバイアスが、「他責思考」を助長する一因となります。
「他責思考」は、一見すると、自分を正当化し、傷つきにくくしてくれるように感じられるかもしれません。しかし、長期的には、自分自身の成長や問題解決の機会を奪ってしまう可能性があります。なぜなら、問題の原因を自分以外のところに求めてしまうと、「自分にはどうすることもできない」という無力感に囚われやすくなるからです。
考えてみてください。もし、あなたが部屋で寒さを感じているとします。暖房器具がないとします。この状況で、「壁が薄いからだ」「窓が古いからだ」「大家さんがケチだからだ」と、すべての原因を外部に求めていたら、部屋は暖かくなりませんよね。でも、「毛布をかけよう」「厚着をしよう」「温かい飲み物を飲もう」といった、自分自身でできる行動を起こせば、状況は少しでも改善するはずです。
■「甘え」と「主体性」の境界線
「甘え」という言葉も、よく使われますよね。「あの人は甘えている」とか、「もっと頑張るべきだ」とか。この「甘え」と「主体性」の境界線は、実はとても曖昧です。
「甘え」とは、一般的に、他者に頼りすぎて、自らの責任を回避する状態を指します。例えば、必要な努力を怠りながら、結果だけを期待したり、困難な状況から逃げようとしたりすることです。
一方、「主体性」とは、自分の意思で考え、行動を選択し、その結果に責任を持つことです。たとえ困難な状況であっても、自分なりに最善を尽くそうとする姿勢と言えるでしょう。
ここで、私たちが陥りがちなのは、「他責思考」が「甘え」を内包しているということです。前述したように、問題の原因を外部に求めてしまうと、「自分にはどうすることもできない」という思考に陥り、結果として、積極的に行動を起こさなくなってしまう。これが、実質的な「甘え」に繋がってしまうのです。
例えば、ある調査では、若者の就職活動において、「企業側がもっと歩み寄ってほしい」「面接の機会をもっと増やしてほしい」という意見を持つ人が一定数いる一方で、自己分析を徹底したり、応募書類の書き方を研究したりといった、自分自身でできる努力を十分に行っている人は、その中の一部に過ぎないという結果も出ています。もちろん、社会的な要因も大きいのですが、自分自身でできる限りの努力を尽くすことが、主体的な行動と言えるでしょう。
■「被害者意識」という名の牢獄
特に、男性の生きづらさからくる「被害者意識」や、それを女性への敵視に繋げる動きも、現代社会で見られます。これは、非常に複雑で、社会全体で向き合っていくべき問題です。
「被害者意識」が強くなると、人は、常に自分が不利益を被っていると感じるようになります。そして、その原因を、特定の集団や個人に求めがちです。例えば、「男性だから、女性に比べて損をしている」「社会が女性優遇だから、自分はうまくいかない」といった思考です。
しかし、このような被害者意識は、私たち自身を、ある種の「牢獄」に閉じ込めてしまいます。なぜなら、常に「誰かが自分を攻撃している」「誰かが自分を妨害している」という前提で物事を捉えてしまうと、建設的な解決策を見つけにくくなるからです。
脳科学の分野でも、私たちの感情や思考は、脳の活動と密接に関連していることがわかっています。ネガティブな感情や思考が続くと、脳の特定の領域が活性化し、それがさらにネガティブな感情を増幅させるという悪循環に陥ることがあります。
たとえば、心理学における「自己成就予言」という考え方があります。これは、ある信念や期待が、その信念や期待に沿った結果を引き起こす現象です。もし、「自分はうまくいかない」「周りは敵だ」という信念を持っていると、無意識のうちに、その信念に沿った行動をとってしまい、結果として、その信念を強化してしまうのです。
■「転落不安」と、それによる攻撃性
私たちが、「弱者」とされる人々に対して、時に攻撃的になってしまう背景には、「転落不安」という心理が潜んでいることがあります。これは、「自分もいつか、ああいう立場になってしまうのではないか」という恐れです。
一般的に、社会の中で安定した立場にあると感じている人でも、経済状況の変化、病気、人間関係の悪化など、いつ何が起こるかわからないのが現実です。そのため、自分よりも明らかに不利な状況にある人を見ると、「自分はまだマシだ」と安心すると同時に、「自分もああなってしまうかもしれない」という漠然とした不安を感じることがあります。
この「転落不安」を軽減するために、人は無意識のうちに、その「弱者」とされる人々を攻撃したり、見下したりすることがあります。これは、自分自身の立場を相対的に優位に見せることで、一時的にでも不安を解消しようとする心理的な防衛機制と言えるでしょう。
例えば、ある統計によると、経済的に不安定な状況にある人々が、より「強者」とされる人々に対して寛容になる傾向があるという研究結果もあります。これは、自分自身の立場が不安定なために、他者を攻撃する余裕がない、あるいは、攻撃することでさらに状況が悪化するリスクを理解しているためと考えられます。
■「自分ごと」として捉えることの力
さて、ここまで色々な「なぜ?」を考えてきましたが、結局、どうすればいいのでしょうか。
ここで、私たちが意識すべきは、「自分ごと」として捉えるということです。
「あの人は頑張ってないからダメなんだ」と、他者を批評する前に、「自分は今、何に一番力を入れているだろうか?」「自分は、もっとこうすれば、目標に近づけるんじゃないか?」と考えてみましょう。
「社会が悪い」「誰かのせいだ」と嘆く前に、「自分には、今、何ができるだろうか?」「この状況を、少しでも良くするために、どんな一歩を踏み出せるだろうか?」と自問自答してみましょう。
もちろん、最初から完璧な行動はできません。失敗することもあるでしょう。でも、大切なのは、その失敗から学び、次に繋げていくことです。
例えば、大学のキャリアセンターのデータを見ると、就職活動で最初から成功する学生はごく一部です。多くの学生は、何社も不採用になり、面接で失敗を繰り返しながら、徐々に自分に合った企業を見つけ、内定を獲得していきます。このプロセスこそが、「自分ごと」として捉え、試行錯誤を繰り返すことの重要性を示しています。
■「甘え」を断ち切り、「主体的」な一歩を踏み出すために
では、具体的に、どうすれば「甘え」を断ち切り、「主体的」な一歩を踏み出せるのでしょうか。
まず、自分の「目標」や「理想」を明確にすることです。漠然と「うまくいきたい」と思うのではなく、「〇〇のスキルを身につけたい」「〇〇のような状態になりたい」といった具体的な目標を設定しましょう。
次に、その目標達成のために、「何が必要か」を具体的にリストアップします。そして、そのリストの中から、「今日、今すぐできること」を一つ選んで実行してみましょう。たとえ小さな一歩でも、それを積み重ねることが、大きな変化に繋がります。
例えば、外国語を習得したいと思ったとします。目標は「日常会話ができるようになる」とします。そのために必要なこととして、「単語を覚える」「文法を学ぶ」「話す練習をする」などが挙げられます。今日できることとして、「単語帳を10個覚える」「オンライン英会話の無料体験に申し込む」などが考えられます。
そして、最も重要なのは、「行動した自分」を認めてあげることです。たとえ目標を達成できなくても、行動したこと自体を褒めてあげましょう。自己肯定感が高まることで、次の行動へのモチベーションに繋がります。
■「転落不安」を「成長の糧」に変える
「自分もいつか、ああなってしまうのではないか」という「転落不安」。これは、決して悪い感情ではありません。むしろ、その不安を、「成長の糧」に変えることができるんです。
不安を感じたとき、「なぜ、自分は不安を感じているのだろう?」と、その原因を深く掘り下げてみましょう。そして、「その不安を解消するために、自分には何ができるだろうか?」と考えてみましょう。
例えば、将来の経済的な不安を感じているとします。その原因は、「貯蓄が少ない」「収入が不安定」といったことかもしれません。では、それに対する行動は、「節約をする」「副業を始める」「スキルアップして転職を考える」といったことになるでしょう。
このように、不安を具体的な行動に結びつけることで、私たちは、その不安に支配されるのではなく、むしろ、その不安を乗り越えるための原動力に変えることができるのです。
■「他責思考」から「自己責任」へのシフト
最後に、私たちが目指すべきは、「他責思考」から「自己責任」へのシフトです。
これは、決して「すべて自分のせいにする」ということではありません。社会的な課題や、他者の言動が、私たちの人生に影響を与えることは、確かにあります。
しかし、それでもなお、私たちは、自分自身の人生の「主人公」であるべきです。自分の人生を、誰かのせいにすることなく、自分の意思で、自分の力で切り拓いていく。その意識を持つことが、何よりも大切なのです。
例えば、仕事でうまくいかないことがあったとします。その原因が、上司の指示が悪かった、同僚が非協力的だった、といったことかもしれません。しかし、その状況下で、「自分はどうすれば、この状況を打開できるだろうか?」「自分には、どんな選択肢があるだろうか?」と考えること。そして、その選択肢の中から、自分で納得のいく行動を選ぶこと。それが、「自己責任」の精神です。
■読者の皆さんへ
もし、あなたが今、人生の壁にぶつかっていると感じているなら、一度立ち止まって、自分自身の心に問いかけてみてください。
「本当に、どうしようもないことなのだろうか?」
「もしかしたら、自分にできることがあるのではないか?」
「甘え」や「他責思考」は、一時的な安心感を与えてくれるかもしれませんが、それは、あなたを前進させる力にはなりません。
「弱者」というレッテルに囚われるのではなく、あなた自身の力で、一歩、また一歩と、前に進んでいきましょう。その一歩が、あなたの人生を、きっと、より豊かで、より輝かしいものにしてくれるはずです。
応援しています。

