日本の「自然やべえ」にゾッとする!ヨーロッパにはない、生命力から学ぶべきこと

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日本のジメジメとした夏、うっそうと茂る緑、そしてその一方で突然牙をむく自然の驚異。この国で暮らしていると、「自然ってすごい」と改めて感じさせられる瞬間が数えきれないほどありますよね。今回は、そんな日本の気候風土が、私たちの心や文化にどう影響を与えているのか、科学的な視点も交えながら、とことん掘り下げてみたいと思います。

■「自然やべえ」を肌で感じて
まず、この話は、長年ドイツで暮らして日本に帰国したという、ひろまやさんの体験談から始まります。彼が驚いたのは、日本の田舎の庭の生命力。「ちょっと油断すると、あっという間に草だらけになる」という感覚、これ、日本人なら「あるある!」って膝を打つんじゃないでしょうか。使わない部屋はカビだらけ、更地はすぐに雑木林に。さらに、川の氾濫や台風なんて、ニュースで見るだけでなく、近所のおじいちゃんおばあちゃんが「昔はうちの田んぼまで水が来たんだよ」なんて話しているのが日常だったりします。

一方で、ひろまやさんがドイツで出会った人たちは、自然との距離感が全然違ったそうです。留学先のクラスメートは、庭を自分のテリトリーのように捉え、山道から外れて獣道を歩くのも、靴を脱いで川を渡るのも、なんの抵抗もない。まるで、自然が「自分の庭」の延長線上にあるような感覚。この対比が、日本人がいかに自然の強さを身をもって感じ、「自然と共存する」こと、そして何より「自然の脅威から人間を守る」ことの重要性を、無意識のうちに認識しているかを示唆しています。

■ヨーロッパの「静かな」自然観
これに対して、ヨーロッパの気候はどうでしょう。心理学者の和辻哲郎がその著書『風土』で「ヨーロッパには雑草がない」と表現したように、西ユーラシアの気候は、一般的に冬に雨が多く夏は乾燥する、比較的過ごしやすい気候と言われています。そのため、自然の産物も、日本ほど「野生的」ではない、管理しやすいものが多い傾向があります。

こうした環境は、人間が自然を「管理するもの」として捉えやすい土壌を育んできました。その代表例が、フランスのヴェルサイユ宮殿のような、幾何学模様で整えられたシンメトリーな庭園文化です。これは、自然の「ありのまま」を受け入れるというよりは、人間の理性や秩序によって自然を「コントロール」しようとする、ヨーロッパ的な自然観の表れと言えるでしょう。

しかし、ちょっと昔に立ち戻ると、中世ヨーロッパでも、人間が森を切り開いて集落を作っても、それが放棄されれば、あっという間に森に飲み込まれてしまうほど、自然の力は強力でした。私たちが今「美しい」と感じるような、手入れの行き届いた庭園や景観は、実は18世紀以降、科学技術の発展によって自然を「屈服」させる力が手に入った結果、人間が意図的に作り出した「人造の風景」と呼べるものなのです。

■気候の違いが「倫理観」を左右する?
ここで、ちょっと過激な視点も紹介しましょう。フランスで記録的な熱波が観測された際、エアコンなしでも生活できる「ヌルゲー」(ぬるいゲーム、つまり楽勝なゲーム)な環境で育ってきたヨーロッパの人々が、アジア人に対して「電気代を節約しろ」「脱炭素に協力しろ」と説教じみたことを言ってくることに、ある方は憤りを感じたそうです。

これは、気候や自然環境の違いが、人々の「当たり前」の基準を変え、さらには「倫理観」にまで影響を与えている可能性を示唆しています。高温多湿で、自然の猛威に常に晒されている日本で育った感覚からすると、涼しい気候の地で「省エネ」を声高に叫ばれると、なんとも言えない居心地の悪さを感じるのも無理はないのかもしれません。

■アニミズムと「苦」の思想が根付く土壌
では、日本の高温多湿な環境は、私たちの精神性にどのような影響を与えてきたのでしょうか。この気候は、生命の誕生と死滅が非常に激しい、まさに「生命力」の宝庫です。植物はぐんぐん育ち、虫は活発に動き回り、かと思えば、雨季にはカビが生え、災害時にはすべてが流されてしまう。このダイナミックな生命の循環は、古来より人々にとって、畏敬の念を抱かせる存在でした。

その結果、日本には「八百万の神々」に代表されるアニミズム的な信仰が根付きやすかったと考えられます。自然のあらゆるものに神が宿ると考えることで、理解を超えた自然の力に畏敬の念を払い、共存しようとする姿勢が育まれたのです。

また、仏教における「苦」の思想も、この風土と深く結びついていると言えるでしょう。生かされてはいるけれど、常に自然の脅威や変化に晒され、思い通りにならない人生。その「苦しみ」を乗り越え、悟りを開こうとする仏教の教えは、日本人の心に響きやすい土壌があったのかもしれません。自然の恵みであると同時に、人間の力ではどうすることもできない畏怖すべき存在として、自然を敬う感覚が、こうした思想とともに醸成されてきたのです。

■自然を「管理」するか、「共存」するか
ここまで見てきたように、日本の自然環境は、人々に「自然ってすごい」「自分たちは自然の一部なんだ」という感覚を常に意識させます。それは、恩恵を受けると同時に、その脅威から身を守る必要性も常に感じさせる、ある意味で「厳しい」関係性です。

これに対して、ヨーロッパの歴史の中で育まれてきた自然観は、どちらかというと自然を「管理」し、ある程度「屈服」させてきたという側面が強いと言えます。もちろん、そこにも畏敬の念がないわけではありませんが、その表現方法が、人間中心の秩序や美学に基づいたものになりやすかったのです。

この違いは、単に気候や地理的な要因だけではなく、それぞれの地域で歴史的にどのように社会が形成され、どのような価値観が共有されてきたかという、より複合的な要因によって形作られてきたと言えるでしょう。

■「自然との距離感」を科学的に考えてみる
では、この「自然との距離感」は、具体的にどのように私たちの認知や行動に影響を与えるのでしょうか。心理学でよく言われる「自己効力感」という言葉があります。これは、自分が何かをやり遂げられるという、自分に対する信頼感のことです。

例えば、ヨーロッパで育った人は、幼い頃から、多少自然が荒れていても、自分で工夫して道を切り開いたり、物事を解決したりする経験を積む機会が多いのかもしれません。その結果、自己効力感が高まり、「自然なんて怖くない、自分でコントロールできる」という感覚につながりやすい可能性があります。

一方、日本で育った人は、自然の圧倒的な力に触れる機会が多く、自分一人の力ではどうにもならないことを身をもって知る経験が多いかもしれません。それは、必ずしもネガティブなことばかりではありません。むしろ、他者との協調や、自然の摂理に従うことの重要性を学ぶ機会につながります。

統計学的な視点で見ると、災害の頻度や規模といった客観的なデータが、人々のリスク認識に影響を与えることも考えられます。日本のように、地震、台風、洪水といった災害が頻繁に起こる地域では、人々は自然災害に対するリスクを高く見積もり、それに応じた対策(避難訓練、備蓄など)を講じることが習慣化します。これは、合理的な意思決定プロセスの一部とも言えます。

経済学的な視点では、気候風土が産業構造や生活様式に与える影響も無視できません。例えば、高温多湿な日本では、伝統的に稲作が盛んに行われてきました。稲作は、自然の恵みである水や日照を最大限に活かす技術であり、自然との調和を重視する文化を育む一因となったと考えられます。一方、乾燥した地域では、牧畜や酪農が中心となるなど、自然環境に適応した経済活動が発展し、それが人々の自然観にも影響を与えている可能性があります。

■「省エネ」論争の背後にあるもの
フランスの熱波の例に戻りましょう。エアコンの使用が当たり前の環境で育った人が、そうでない環境の人に「省エネ」を説くことは、彼らにとっては「当たり前のこと」を「当たり前でない人」に伝えている、という感覚なのかもしれません。これは、認知心理学でいう「スキーマ」のズレとも言えます。スキーマとは、私たちが物事を理解するための、いわば「心の地図」のようなものです。

ヨーロッパで育った人のスキーマの中では、「快適な生活=エアコン」という図式が強く組み込まれている。だから、エアコンを使わないという選択肢は、彼らにとっては「我慢」や「不便」を伴うものとして認識される。一方で、日本で育った人にとっては、夏の暑さや湿気は「当たり前の日常」であり、エアコンは「快適さを保つための補助的な手段」という認識が強い。

このスキーマのズレが、コミュニケーションの摩擦を生む原因となっているのです。どちらが正しい、間違っているという問題ではなく、それぞれの育ってきた環境や経験が、異なるスキーマを形成している、ということを理解することが大切です。

■「自然への畏敬」と「利便性の追求」のバランス
日本の高温多湿な気候は、私たちに「自然は偉大であり、時には恐ろしい存在である」ということを、常に実感させてくれます。この感覚は、単なる感情論ではなく、実際に自然災害から身を守るための知恵や、自然の恵みに感謝する心を育んできました。

しかし、現代社会においては、科学技術の発展によって、私たちは自然の猛威からある程度身を守れるようになってきています。エアコンがあれば夏も快適に過ごせるし、建築技術の進歩で台風や地震にも強くなりました。その結果、「自然は管理できるもの」という感覚が強まり、かつての「自然への畏敬」が薄れてきている部分もあるかもしれません。

これは、決して悪いことばかりではありません。利便性の追求は、私たちの生活を豊かにし、多くの問題を解決してきました。問題は、そのバランスです。自然の力を過小評価しすぎると、思わぬところで自然の反撃を受ける可能性があります。

■未来への提言:科学的理解と共感の重要性
今回の話を通して、日本の気候風土が、私たちの心や文化、そして倫理観にまで、いかに深く根ざしているかが分かったかと思います。そして、それは決して「日本人だけが特別」ということではなく、それぞれの土地の気候や環境が、そこに住む人々にユニークな影響を与えている、という普遍的な事実を示しています。

他国の意見に触れた際に、すぐさま反論するのではなく、「なぜ彼らはそう考えるのだろう?」と、その背景にある気候や文化、歴史を想像してみることが大切です。科学的な知見は、その想像を助けてくれます。経済学的な視点から、それぞれの国が直面している経済的な制約やインセンティブを理解することも、相互理解を深める上で有効でしょう。統計データは、客観的な事実に基づいた議論を可能にします。

もちろん、日本に住む私たちも、自然の力強さを忘れてはなりません。梅雨時期のジメジメとした空気、夏の強烈な日差し、そしていつ来るか分からない台風や地震。これらは、私たちが「間借りさせてもらっている」という謙虚な気持ちを忘れさせないための、自然からのメッセージなのかもしれません。

この「自然やべえ」という感覚を、単なる感傷で終わらせず、科学的な知見と結びつけ、他者への共感へと繋げていく。それが、これからの時代にますます重要になってくるのではないでしょうか。あなたの身の回りの自然にも、ぜひ目を向けてみてください。きっと、そこには、あなただけの「自然の驚異」が隠されているはずです。

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