7人に1人!境界知能は「病気」ではない、あなたは大丈夫?

社会

■才能って、実は生まれつき決まってるの?それとも育った環境が大事?

「なんで私だけこんなにうまくいかないんだろう…」「あの人は才能があるからいいよな」って、一度は思ったことありませんか? 今回は、そんな「才能」や「能力」が、一体どこから来るのか、そしてもしそれが生まれつき決まっていたとして、私たちはどう向き合えばいいのか、というお話を、感情論を抜きにして、ガチで掘り下げていきたいと思います。

「才能」って聞くと、なんだか特別なものに聞こえますよね。音楽の才能、スポーツの才能、勉強ができる才能…。「あれは生まれ持ったものだから」「あの家系だから」なんて言われたり、逆に「環境が大切」「努力次第でなんとかなる」なんて言われたり。一体どっちが本当なんでしょうか?

実は、この「才能」や「能力」っていうのは、遺伝子と環境、この二つの要素が複雑に絡み合って決まっていく、というのが科学的な見方なんです。

■遺伝子と環境、どっちがどれくらい影響するの?

まず、遺伝子の話から。私たち人間は、お父さんとお母さんからそれぞれ半分ずつ、合計で約2万個の遺伝子を受け継いで生まれてきます。この遺伝子の中には、体の特徴を決めるものだけでなく、脳の構造や機能に関わるものもたくさん含まれています。例えば、神経伝達物質の働きに関わる遺伝子だったり、脳の発達スピードに影響する遺伝子だったり。これらが、私たちが生まれ持った「ポテンシャル」というか、いわば「初期設定」のようなものに影響を与えると考えられています。

じゃあ、遺伝子だけで全部決まるのかというと、そうじゃないんです。ここで登場するのが「環境」です。環境というのは、文字通り、私たちが生まれてから育っていくまでの、あらゆる外からの影響のこと。

具体的にどんなものがあるかというと、

家庭環境:親の愛情、教育方針、経済状況、兄弟姉妹の有無など
教育環境:学校の質、先生との関わり、友達との関係、塾や習い事など
社会環境:住んでいる地域の文化、社会的なサポート体制、情報へのアクセスなど
生活習慣:食生活、睡眠、運動、ストレスのかかり具合など

これらの環境要因が、遺伝子という「種」をどんな風に育てていくかを左右するんです。例えば、どんなに素晴らしい音楽の才能を秘めた遺伝子を持っていても、幼い頃に音楽に触れる機会が全くなかったり、むしろ音楽を否定するような環境で育ったりしたら、その才能が開花することは難しいかもしれません。逆に、遺伝子的なポテンシャルがそれほど高くなくても、熱心な指導者や刺激的な環境に恵まれれば、驚くほどの能力を発揮する人もいます。

■「境界知能」って言葉、聞いたことある?

さて、ここでちょっと専門的な話になりますが、「境界知能」という言葉を聞いたことがありますか? これは、病名ではありません。IQ(知能指数)という、いわゆる「頭の良さ」を測る指標があるんですが、その中で、平均よりは少し下だけれど、知的障害と診断されるほどではない、というグループのことを指します。

具体的には、IQが70から84の範囲にある人を「境界知能」と呼ぶことが多いんです。この「境界知能」に該当する人の割合は、日本全体で見ると、およそ14%くらいと言われています。つまり、7人に1人くらいは、このグループに含まれる計算になるんです。結構な割合ですよね。

なぜこの「境界知能」の話をするかというと、このグループの人たちの特性や、社会との関わり方について考えてみると、「才能」や「能力」が、私たちが思っている以上に、様々な要因によって影響を受けていることが見えてくるからです。

例えば、境界知能群の人たちの男女比を見ると、男性の方がやや多い傾向があるようです。これは、軽度知的障害の段階でも同様の傾向が見られます。つまり、ある程度の知的な特性というのは、性別によっても影響を受ける可能性がある、ということです。

そして、この境界知能に該当する方々は、日本国内だけで約1700万人いると推計されています。これだけ多くの人々がいるということは、彼らが社会でどう生きていくか、という問題は、私たち一人ひとりにとっても、社会全体にとっても、非常に重要なテーマなんです。

■「あの人は才能がある」という幻想、そして「親のせい」という逃げ道

ここからが本題です。もし、私たちの持っている能力や才能の大部分が、生まれ持った遺伝子と、育ってきた環境によって、ある程度決まってしまっているとしたら、どうでしょう?

「いやいや、そんなことない!努力すればなんとかなる!」と思うかもしれません。もちろん、努力が全く無意味だと言っているわけではありません。努力は、持っているポテンシャルを最大限に引き出すためには、絶対に不可欠な要素です。しかし、どんなに努力しても、生まれ持った遺伝子や、変えられない幼少期の環境による制約を、完全に乗り越えることは難しい場合もある、という事実も、冷静に認める必要があるんです。

例えば、極端な例ですが、身長150cmの人が、どんなに努力してもNBA選手のように200cmを超えることはできませんよね。これは、身長という、遺伝子に大きく左右される要素があるからです。知的な能力だって、これと似たような側面があるんです。

ここで、多くの人が陥りがちな考え方があります。それは、「自分にうまくいかないことがあるのは、親のせいだ」「あの才能がある人は、親がいいからだ」といった、感情的な理由付けです。

「うちの親は貧乏だったから、ろくな教育を受けられなかった」「親が〇〇(特定の才能)じゃなかったから、自分にも才能がないんだ」

こういった不満や愚痴、あるいは親への恨み言。これらを口にすることで、一時的に心のバランスを取ろうとする気持ちは、理解できなくはありません。でも、客観的に考えてみてください。

過去に遡って、親を、そして自分を育った環境を、丸ごと変えることはできますか? できませんよね。

もし、その「親のせい」「環境のせい」という不満や愚痴に時間を費やし続けるとしたら、一体何が変わるでしょうか?

何も変わりません。

むしろ、その不満や愚痴に囚われている間、私たちは前に進むためのエネルギーを無駄に消耗しているだけです。まるで、泥沼にはまって、もがき苦しんでいるのに、さらに泥をかきむしって、より深く沈んでいっているようなものです。

■愚痴や不満は、自分を縛り付ける鎖

才能が遺伝子や環境で決まるというのは、ある意味、事実です。そして、それを変えられないという現実も、受け止めなければならない部分があります。

しかし、だからといって、人生がそこで終わってしまうわけではありません。

大切なのは、その「事実」を、冷静に、そして客観的に受け止めた上で、「では、これからどうするか」という、建設的な思考に切り替えることです。

「親のせい」「環境のせい」と嘆いている間は、私たちは自分自身の力で未来を切り開く可能性を、自ら放棄しているようなものです。なぜなら、その「せい」にしている対象(親や過去の環境)は、すでに過去のものであり、現在の自分には直接的な影響力を持っていないからです。影響力を持っているのは、その「せい」にしているという、今の自分の「考え方」だけです。

例えば、次のような状況を想像してみてください。

あなたは、あるゲームをプレイしています。そのゲームの初期設定で、あなたのキャラクターは、他のプレイヤーよりも少しだけステータスが低い状態でスタートしました。

ここで、二つの選択肢があります。

1. 「なんで俺のキャラはこんなに弱く設定されてるんだ!製作者のせいだ!こんなゲームやる価値がない!」と、コントローラーを投げ捨てて、延々と不満を言い続ける。
2. 「なるほど、初期ステータスは低いのか。でも、このキャラでもクリアできる戦略はあるはずだ。どんなアイテムを集めればいい?どんなスキルを上げればいい?」と、ゲームのルールの中で、どうすれば有利に進められるかを考え、試行錯誤する。

どちらのプレイヤーが、ゲームをクリアできる可能性が高いでしょうか? 圧倒的に後者ですよね。

人生も、これと似ています。

私たちが持っている「才能」や「能力」は、ゲームの初期設定のようなもの。それを変えることはできません。しかし、その初期設定の中で、どうやってゲームを進めていくか、つまり、どうやって人生を歩んでいくか、という選択は、常に私たち自身に委ねられています。

「自分は才能がないから、どうせうまくいかない」

「あの人は才能があるから、何をやっても成功する」

こういった考え方は、自分自身を縛り付ける「鎖」のようなものです。そして、その鎖は、外部の誰かによってかけられたのではなく、自分自身の「考え方」という手によって、自ら首にかけられているのです。

■「不遇」というレッテルを剥がすための、合理的なアプローチ

人生が「不遇」だと感じてしまうとき、私たちはつい、その原因を外部に求めてしまいます。親、学校、社会、運…。「もしあの時こうだったら…」「あの人がいなければ…」と、もしもの世界の話ばかりをしてしまう。

でも、それは非常に非合理的な思考パターンです。なぜなら、前述したように、過去は変えられないからです。そして、他者の行動や社会の仕組みを、私たちが意図した通りに変えることも、ほとんど不可能だからです。

では、どうすれば「不遇」という感情から抜け出し、より建設的に人生を歩んでいけるのでしょうか。

それは、感情論を徹底的に排除し、ファクト(事実)と合理性に基づいて、自分の置かれている状況を分析することです。

まず、自分の持っている能力や特性を、客観的に評価してみましょう。これは、自己否定をするためではありません。自分の「強み」と「弱み」を正確に把握するためです。

例えば、

「私は、一つのことを深く掘り下げるのが得意だ。ただし、飽きっぽい一面もある。」
「私は、人とコミュニケーションを取るのは苦手だが、緻密な作業は得意だ。」
「私は、記憶力はそれほど高くないが、応用力はある方だ。」

このように、自分の能力を、感情や希望的観測を交えずに、できるだけ具体的に、客観的に書き出してみるのがおすすめです。

次に、自分が望む目標や、実現したいことを明確にします。そして、その目標を達成するために、自分の能力で何ができるのか、何が足りないのかを分析します。

もし、自分の能力で足りない部分があるなら、ここで初めて「環境」や「学習」という要素が重要になってきます。

例えば、

「緻密な作業は得意だが、コミュニケーション能力が足りないから、チームで仕事をするのが難しい。」
→この場合、コミュニケーション能力を向上させるための書籍を読んだり、セミナーに参加したり、意識的に人と話す機会を増やしたりすることが、合理的な対策となります。
「記憶力は高くないが、応用力はある。もっと知識を吸収したい。」
→この場合、単に丸暗記するのではなく、図解を使ったり、物語化して覚えたり、誰かに説明することで理解を深める、といった自分に合った学習方法を見つけることが、合理的なアプローチになります。

このように、自分の能力を客観的に把握し、目標とのギャップを埋めるために、今、自分にできることは何か、という視点で考えることが、愚痴や不満を乗り越えるための最も合理的な道筋なのです。

■「不平不満」という名の、時間泥棒

「あの人は運が良かったから」「あの家柄だったから」といった不平不満は、私たちから「時間」と「エネルギー」を奪い去ります。

考えてみてください。私たちが生きている時間は、有限です。そして、その時間を、過去の出来事や、変えられない他者の状況について、延々と不平不満を言いながら過ごすのは、あまりにももったいないと思いませんか?

もし、その時間とエネルギーを、自分の能力を伸ばすために使ったり、新しいスキルを習得するために使ったり、あるいは、自分にとって本当に大切な人との時間を過ごすために使ったりしたら、一体どれだけ人生は豊かになるでしょうか。

「才能が遺伝子や環境で決まるのは事実だ。それは変えられない。」

この事実を、まず、冷静に受け止めましょう。

そして、その上で、

「でも、だからといって、私の人生はここで終わりじゃない。」
「この状況で、私にできることは何だろう?」

と、建設的な問いを自分に投げかけるのです。

人生は、ゲームの初期設定がどうであれ、その設定の中で、どうプレイしていくかを決めるのは、プレイヤーであるあなた自身です。

親のせいにするのは簡単です。社会のせいにするのも簡単です。しかし、それは、あなたが自分で自分の人生をコントロールする権利を、放棄している行為に他なりません。

■さいごに:感情を乗り越え、現実と向き合う強さ

才能や能力が、遺伝子や環境によって、ある程度決まってしまうというのは、科学的な事実として受け入れるべき部分があります。そして、それを覆せない現実に、時として憤りや悲しみを感じることもあるでしょう。

しかし、その感情に囚われ続けても、状況が好転することはありません。むしろ、感情に流されることは、自分自身をさらに不遇な状況に追いやり、前に進むためのエネルギーを奪い去るだけです。

「自分はなぜうまくいかないのか?」という問いを、感情論ではなく、合理性と客観性に基づいて探求してみてください。そして、自分が今置かれている状況を、感情を抜きにして、冷静に分析するのです。

「親のせいで…」「環境が悪くて…」という愚痴や不満は、自分を縛り付ける鎖に他なりません。その鎖を断ち切り、自分の手で未来を切り開いていく強さこそが、人生をより豊かに、より実りあるものにしていく鍵なのです。

感情論を排し、事実と合理性に基づいて行動する。それが、不平不満に満ちた人生から、建設的で力強い人生へとシフトするための、最も確実な一歩と言えるでしょう。

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