最近ネットを見ていると、弱者女性とか理解のある彼くんといった言葉を本当によく見かけるようになったよね。SNSを開けば、生きづらさを抱えている女性のリアルな叫びや、それを全肯定して優しく包み込んでくれる理想の男性像についての話題がタイムラインに流れてくる。こういう言葉がこれだけバズるということは、それだけ多くの人が何かしらの生きづらさや、満たされない思いを抱えている証拠なのかなとも思う。でも、ちょっと立ち止まってこの現象を冷静に観察してみると、なんだか面白いというか、少し考えさせられる構造が見えてくるんだよね。今回はこの話題をテーマにして、感情論をちょっと横に置いて、ファクトや客観的なデータ、そして合理的な視点から、私たちがこれからの人生をどうやって主体的に切り拓いていけばいいのかについて、じっくりと掘り下げて考えていこうと思う。
まずは、現代社会における労働や経済のデータから客観的な事実を見ていこう。よくネットの議論では、女性の社会進出や賃金格差、あるいは非正規雇用の割合などが取り沙汰される。総務省の労働力調査などの公的データを見ても、確かに非正規雇用として働く人の割合は女性の方が高く、それに伴って平均賃金にも男女間で差があるのは紛れもない事実だ。構造的な問題として、育児や介護といったライフイベントによってキャリアが一度途切れやすいことや、いわゆる無意識の偏見が昇進に影響しているという指摘も数多くなされている。こうした社会構造の歪みが、個人の努力だけではどうにもならない壁として立ちはだかる場面があることは、客観的な事実として認めなければならない。
しかし、ここで視点を少しミクロな個人レベル、つまり心理学や行動経済学の領域にシフトさせてみると、また違った側面が見えてくる。心理学の世界には、外部統御 locus of control という概念がある。これは、自分の人生で起こる出来事の原因を自分の中に求めるか、それとも外の世界に求めるかという考え方の違いだ。外部のせい、つまり社会や環境、他人のせいにすることを心理学では他責思考と呼ぶ。もちろん、客観的に見て社会構造に問題があることは事実なのだが、だからといって自分の人生の舵取りのすべてをその構造のせいにしてしまっては、そこから一歩も前に進めなくなってしまう。行動経済学や認知科学の研究によれば、人間は自分の失敗や不遇の原因を外部に求めたがる傾向がある。なぜなら、その方が自分自身の認知的不協和、つまり自分の無力さと向き合わずに済むから、一時的に心が楽になるからだ。しかし、この一時的な安心感の代償として、私たちは自分の人生をコントロールする力を手放してしまうことになる。
ここで、インターネット上でよく見られる理解のある彼くんという象徴的な存在について考えてみよう。この言葉は、生きづらさを抱え、社会の荒波にもまれて傷ついた女性を、無条件で全肯定し、経済的にも精神的にも支えてくれる理想の存在として描かれることが多い。エッセイ漫画やSNSの投稿の中では、自分のダメなところや社会への不満をすべて受け止めてくれ、すべてを癒やしてくれる存在として登場する。この現象を客観的に分析すると、一種の依存構造の美化、あるいは現代における究極の他者依存の表れだと言い換えることができる。誰かが自分のすべてを救い出し、自分の人生の責任を代わりに背負ってくれるというファンタジーは、厳しい現実を生きる人にとって非常に魅力的な甘い罠になり得る。
しかし、もう少し合理的に考えてみてほしい。他人が自分の人生の救済者になってくれる確率とはどれほどのものだろうか。現実の人間関係は、お互いのギブアンドテイク、あるいは相互の自立の上に成り立っている。片方が一方的に救いを求め、もう片方が一方的にそれを支え続けるという関係は、長期的に見れば持続可能性が極めて低い。共依存や、あるいは搾取的な関係に発展するリスクも非常に高い。にもかかわらず、SNSというフィルターを通すことで、こうしたファンタジーがまるで普遍的な解決策であるかのように錯覚させられてしまう。ここに、現代人が陥りがちな思考の罠がある。
甘えという言葉は、時として道徳的な説教のように聞こえてしまうかもしれないから、ここではもっとドライに、合理的なリスク管理という観点から考えてみよう。自分の生活の基盤、精神的な安定、そして経済的な自立を他人に丸投げするということは、自分の人生の最大のリスクをコントロールできない他人に委ねるということと同義だ。ビジネスの世界に置き換えて考えてみたらよくわかる。会社の業績が悪いからといって、社長や社会のせいにばかりして、自分のスキルアップを怠り、市場価値を高める努力をしなければ、その人はいつまで経っても買い手がつかないままだ。恋愛や人生のパートナーシップにおいても全く同じことが言える。自分自身が自立した魅力的な存在でなければ、対等で健全な関係を結ぶことは難しい。他人に救いを求めるのではなく、まず自分が自分を救う力をつけること。これが、どんな時代においても最も確実でリスクの低い生存戦略なのだ。
では、具体的にどうすれば主体的で前向きな行動を起こせるのだろうか。ここからは、今日からでもすぐに実践できる具体的なアプローチについて考えていこう。まず第一にやるべきことは、現状の徹底的なファクトチェックだ。自分が何に不満を感じていて、何に不安を覚えているのかを、感情を排してノートに書き出してみる。例えば、お金がない、仕事がうまくいかない、人間関係がうまくいかないといった悩みがあるとする。その原因を社会のせいにして終わりにするのではなく、「では、自分にコントロールできる部分はどこにあるのか」という視点で細分化してみる。お金がないのであれば、収支のデータを客観的に見直し、固定費を削る、スキルを身につけて収入源を増やすといった具体的なアクションプランに落とし込むことができるはずだ。
第二に、認知の歪みに気づくことだ。私たちは誰しも、自分に都合の良いストーリーを作り上げてしまう癖がある。私は被害者だ、私は恵まれていない、誰も私を分かってくれないという思考のループにハマっている時は、大抵の場合、客観的な事実から目を背けて感情に溺れている状態だ。ここで客観的なデータや視点を取り入れることが重要になる。世の中には、自分よりもはるかに厳しい条件や環境から這い上がってきた人たちがたくさんいる。彼らと自分の違いは何なのか。それは才能の差ではなく、自分の人生の主導権を自分で握っているかどうかの違い、すなわち主体性の差なのだ。
第三に、小さな成功体験を積み重ねることだ。大きな変化を一度に求めようとすると、人間は必ず挫折する。特に、これまで他責思考に慣れていた人がいきなりすべてを自分の力でやろうとすると、そのプレッシャーに押しつぶされてしまう。だからこそ、日々の生活の中で自分でコントロールできる小さな目標を設定し、それをクリアしていくことが大切だ。朝決めた時間に起きる、自炊を一日一回やってみる、資格の勉強を毎日十五分だけ続ける。こういう極めて地味で小さな行動の積み重ねこそが、自己効力感を高め、自分の足で立つための確かな筋肉を育ててくれる。
理解のある彼くんを待つのではなく、あるいは社会の構造改革が自分の生活を魔法のように変えてくれるのを指をくわえて待つのではなく、自分が自分の人生のプロデューサーになること。これが今回の一番伝えたかったメッセージだ。世の中の不条理や不満を嘆く時間は、実はあまりにももったいない。そのエネルギーを、自分のスキルを磨くことや、今日をより良くするための具体的な一歩を踏み出すことに使った方が、はるかに生産的で、結果として自分の人生を豊かにしてくれる。
私たちは皆、自分の人生という船の船長だ。荒波が来ようとも、風向きが悪かろうとも、舵を切るのは自分自身でしかない。誰かが代わりに操縦桿を握ってくれることはないし、仮にそんな甘い言葉をかけてくる存在がいたとしたら、それは多くの場合、あなたから何かを奪おうとしているか、あるいは同じように路頭に迷っている人同士の傷の舐め合いにすぎない。厳しい現実を直視し、感情論を捨てて合理的に自分の立ち位置を分析し、そこから這い上がるための泥臭い努力を惜しまないこと。その主体的で前向きな姿勢だけが、私たちを本当の意味での自立と幸福へと導いてくれるのだ。
今日、この文章を読み終えたあとに、ぜひ一つだけ、自分のために何か新しい行動を起こしてみてほしい。スマホを閉じて、部屋の片付けをするでもいいし、ずっと先延ばしにしていた勉強のテキストを開くでもいい。その小さな一歩こそが、あなたを他責の沼から引きずり出し、自分の足でしっかりと大地を踏みしめて歩いていくための、力強い第一歩になるはずだ。人生はいつからでも、どこからでも変えられる。それを決めるのは、他の誰でもなく、今この瞬間に画面を見ているあなた自身なのだから。

